完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

日本人の根底の意識    ~清盛に見る天皇意識~

2012年06月11日 | ライフワーク
私は初老男である。

少々疲れている。

長い会議に参加して、日頃の体を動かすのと正反対の動きのない一日は大変疲れる。

しかも、そろそろ目をつむっても動けるようになっている仕事は立ち仕事だ。

下半身がずっしりと重い。

この疲れを抜くのには、また日頃の仕事を一週間ほど要するだろう・・・。


さて、毎度おなじみの「清盛ネタ」であるが、カテゴリーが「ライフワーク」になってるのに気がついた人がいただろうか。

もうかなり長い間このカテゴリーでUpしていないので、わからない読者の方も多いと思うが、

私のライフワークは


      「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに戦争を挑んだか」
 

                              という疑問を解くことだ。


すでにこのことについては、星の数ほど研究され尽くしされているが、結局この疑問を持っている人すべてを納得させられる答は、ないのかもしれない。


だからこそ「自分だけが納得する答え」を見つけたいのだ。


話が持って回ってしまった。


先回と今回の「清盛」は、保元の乱の顛末。

その中のワン・シーンに、散々「骨肉の争い」を演じた平家・源氏の勝者に向かい帝である後白河帝(松田翔太)が「大儀であった」とのたまって、さっさと下がっていく。

傷つき血と涙をしたたらせながら、平伏する武士たち。


このシーンの何がおかしい?ってツッコまれそうだが、私には不思議に見えてならない。


どう考えても、武力で勝ってる武士がなぜ、ただ着飾り偉そうにしている帝や公家たちにヘイコラしているのかが、私にはわからない。


どっちの武士であろうが、とっとと駆け上がって帝の首を刎ね飛ばし「吾が、あたらしき『帝』なり!」って叫ばないのだろう?(中国の皇帝はその最たるものだし、フランスのナポレオンなんかも典型的だ)


この「天皇・帝」に対する畏怖・畏敬の念は、世界的に見ても珍しいのではないだろうか。


これが目に見えない「神」であるなら、世界中に転がっている。

すでに17年が経過しても、まだ、逃走犯がつかまり話題になっている「オウム真理教」なども、見方によればこの「天皇崇拝」に近い部分があると思う。


そろそろ分かってきたでしょう・・・。

この「天皇崇拝意識」が、幕末に「明治維新」を起こさせ(なんたって明治維新って「王政復古」が目的だったんだからね)さらには大正・昭和と時を経て、遂には「太平洋戦争」を引き起こすことになる。

そして「現人神(あらひとがみ)」と、言われた天皇は、格好の「操り人形」として・・・イヤ、違う。単に「操り人形」ではない。

なぜなら、操っていた軍部も決して天皇を崇拝していなかったわけではない。どころか、誰より天皇を敬っていたはずだ。


どこまでも微妙なところだが、その微妙さこそが私のライフワークとしての疑問を晴らしてくれない部分でもあるのだ。

ただ、つまり日本人の信仰に近い「天皇」の存在は、この清盛のころから「ほぼ確立していた」ということだ。

また一つ、ライフワークとしての疑問を晴らすアイテムを獲得した。


今回も、最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも自分の中に流れている「日本人意識」を忘れませんように。


                    May

ある意味、この当時は完全なる「シビリアン・コントロール」(文官統制)ができていたってことだ。その分「宮廷政治」は、腐ってたってことだけど。






コメント
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