完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

吉川英治著「宮本武蔵」(全6巻)読み終わりました。Up ~なるほど・・・~

2008年01月25日 | 
私は中年である。

さて、1月も下旬。昨日から本格的な雪が降ってきた。

雪に「本格的」とそうでないのがあるのか?と聞かれそうだが、これは間違いなくあるのだ。

思えば昔に比べて、ずいぶん「本格的」な雪が降らなくなった。

今の雪の降り方は、昨日から今日のように「爆弾低気圧」のような台風並みの低気圧が
発達して通り過ぎることで起きる大雪だ。

しかし、昔は周期的な低気圧と高気圧の入れ替わりで俗にいう「冬型」のなった。

そのため、低気圧が長く日本海側に居座って雪を降らせていた。

一昨年の大雪がこのパターンだ。こうしたパターンは本当に細かい乾いた雪が降り続く。


しかし、最近は爆弾低気圧系の雪のパターンが多いので、雪が来る前に逆に暖かい南風が、
吹いて雨が降るパターンが多い。

暖かい雨の後、急に冷え込んだ雪という変なパターンだ。やっぱり、地球の温暖化が
こんな変なパターンを引き起こしているんだろうか?

とにかく、早く冬が終わってほしい「中年」である。


さて、実は昨年末に読み終わっていたのだが、

      吉川英治著「宮本武蔵」(全6巻)

 のことをUpしようと思う。

時代小説を読むことを楽しみとしている中年でありながら、この古典的名作を
この歳になるまで読まずにいたことには理由がある。

それは・・・

  単純に最初の1巻の「出だしが今まで面白く感じれなかった」からだ。

ではなぜ今回読む気になったかというと、ラーメン屋に一人で入ったときに
劇画「バガボンド」を読んだからなのだ。

「バガボンド」の話を先にしよう。私はこれを「バカボンド」だと思っていた。

しかし「バガボンド」が正しい。これは英語で・・・って自分で調べてみてほしい。

劇画「バガボンド」は、こうして原作を読んでみると非常に劇画にして成功している。

何度かこの話はしているが、劇画は原作を「劇画にしかできない表現」にしなければ
劇画にする意味がない。

実写でないものはすべてそうである。

「劇画」の部分を「アニメ」に変えてもまったく同じことが言える。

もしかすると「バガボンド」の表現が正しいかを確認するために原作を読んだと
言っても過言ではないかもしれない。


前置きが長くなったが「宮本武蔵」がどうであったか?

確かに古典的名作であるが「やっぱり古臭い」というのが本音である。

話を途中で「それから3年が過ぎた」とか「その間はあ~でこ~で」という展開を
つかう。それも頻繁に。

それから、殺陣の部分に容赦がない。本当に人間がバッサリと切られるシーンの描写
などは非常に生々しい。

そして、一番違和感があったのは「女性の意識」である。
まあ、現代社会においてもそれが一番変わったという証明なのだろうけれど・・・。


時代小説は「不偏的」な部分を多く持っている。

しかし、当然ながらその小説が「書かれた時代」の価値観が反映され著者の解釈に
よって様々な変化を見せる。

それこそが「小説」としての面白さになる。

これからも、吉川英治の名前と「宮本武蔵」という本は残っていくだろう。

しかし、森鴎外の「舞姫」と同じようにある種「古典」としての文学と割り切って
読む必要が出てくるだろう。

・・・少々批判的な文章になってしまったが、そうこういいながらも私に途中で
諦めさせずに全6巻を読ませてしまうストーリー作りのうまさは「古典」として
生き残っていく価値が大きいと認識せざるを得ない。


新聞小説として連載されたこの小説を、毎日楽しみにしていたファンも多かったのだ
ろうなぁ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、不偏なる時代小説の真髄に触れますように。

                         may

でも、やっぱり小説ってのは本当に読んでみないとわかんないね。
超有名な「小次郎!敗れたり!」って科白は、すくなくとも「宮本武蔵」には
出てこないのね。






コメント
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