三渓園、地形が三つの渓(谷)をもつことから、三渓園と名付けれているそうで臨春園の脇の道を登って行くと
「月華殿」が見えてきました。徳川家康時代の伏見城内にあった大名伺候の際の控え所の建物
「聴秋閣」谷を降りてしばらく行くと見えてきた建物、京都二条城にあった家光、春日局ゆかりの茶屋
大正11年に三渓園に移されました。とても素敵な建物で三渓園で見た中で一番のお気に入りになりました。
「旧東慶寺仏殿」鎌倉東慶寺の仏殿、良く訪ねる北鎌倉の東慶寺の仏殿が三渓園に
移されているのを知って驚きました。どんな経緯なのか知りたくなりました。
(拭き掃除をしているおばさんが一人いて、青いバケツが正面におかれていて
写真に入れないようにするのに苦労しました。)
矢篦原(やのはら)家 荘川村(岐阜県大野郡)の合掌造民家、江戸時代に建てられたものを移築で庄屋も
勤めた農家でそれぞれの部屋は立派な造りでした。
「旧燈明寺三重塔」聖武天皇の勅願寺、京都燈明寺にあったもの、関東地方では最古の塔、1457年に建築。
冬の三渓園、咲いている梅もちらほら、山茶花も少し、椿もあまり見られませんでしたが久しぶりに広い園内を
ゆったりした気分で散策でき新緑の頃、紅葉の頃に来たい所になりました。
「月華殿」が見えてきました。徳川家康時代の伏見城内にあった大名伺候の際の控え所の建物
「聴秋閣」谷を降りてしばらく行くと見えてきた建物、京都二条城にあった家光、春日局ゆかりの茶屋
大正11年に三渓園に移されました。とても素敵な建物で三渓園で見た中で一番のお気に入りになりました。
「旧東慶寺仏殿」鎌倉東慶寺の仏殿、良く訪ねる北鎌倉の東慶寺の仏殿が三渓園に
移されているのを知って驚きました。どんな経緯なのか知りたくなりました。
(拭き掃除をしているおばさんが一人いて、青いバケツが正面におかれていて
写真に入れないようにするのに苦労しました。)
矢篦原(やのはら)家 荘川村(岐阜県大野郡)の合掌造民家、江戸時代に建てられたものを移築で庄屋も
勤めた農家でそれぞれの部屋は立派な造りでした。
「旧燈明寺三重塔」聖武天皇の勅願寺、京都燈明寺にあったもの、関東地方では最古の塔、1457年に建築。
冬の三渓園、咲いている梅もちらほら、山茶花も少し、椿もあまり見られませんでしたが久しぶりに広い園内を
ゆったりした気分で散策でき新緑の頃、紅葉の頃に来たい所になりました。
なかなか行かれない場所です。
個人が これだけの建物を 移築された・・・
こういうコレクションも出来るのですね。
それにしても すごい庭園ですね。
三渓園、最初の池の印象しか残っていなくて・・・
こんなに広い庭園だったんだと、驚いて歩いてました。
もっと見所が沢山あったのですが、ブレたりして
ボツにしてしました。
横浜なのに、鎌倉より遠く感じました。
でも是非一度、いらっしゃることをお勧めします。
「原 三渓」は、横山大観など、近代日本画家にとって、パトロンとも言うべき存在だったようです。
関東大震災時には、横浜の復興に多大な貢献をなさったとか。
当時の実業家には、そのような志の高い方が多いですね。
最近は、簡単に首を切ってしまう経営者ばかり。
寂しい限りです。
東慶寺の本殿を移築した経緯、ちょっと知りたくなりました。
コレクション、といっても、スケールが違い増す。
凄い人がいたんですねぇ。
久しぶりに行きたくなりました。
しばらく前から(多分ハム次郎さんのホームページを
見てから)
三渓園に行きたいと思っていました。
以前行ったことがあるのにすっかりどんなだったか
忘れていて、初めてのような感じがしました。
多くの画家を援助したり、これほどの広さに今ほど
技術も交通手段も良くなかったので遠い所から建築物を集める財力は凄いですね。
当時の日本の勢いも今に比べると数段良かったのでしょうね。
東慶寺はどうしてお寺で一番大事な「仏殿」を
譲ってしまったのでしょうね?
とても気になります。