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雲南の酒・パイチュウ編9

2016-12-03 10:48:53 | Weblog
写真は雲南北部徳欽県明永村のブドウ棚。ブドウ酒はかつてこの地域の茨中村に教会を建てたフランス人伝道師が、19世紀に伝えて、村ではブドウ酒用のブドウ栽培も行われていた。1905年の大火および文革でだいぶ破壊されたが、ブドウ酒への思いは他地域よりもは深いよう。明永村のぶどう棚は観光で潤った人々が始めた新たな畑だったが、いまでは大きく育っている。(写真は2004年撮影。)

【大都(北京)の強い酒】
前の回の昆明の記述は、フビライ・ハンの使節としてマルコ・ポーロが「大都」(北京)より西の地域に四ヶ月かけて旅したとされる文章の一節です。この旅では北京の盧溝橋から山西省の太原、平陽をへて、陝西省の西安、四川省の成都、チベット、そして雲南からミャンマー付近までの行程が書かれています。

山西省太原が葡萄酒の生産地であること、あとは葡萄酒の消費地については細やかに記述されていますが、不思議なことに酒の味まで言及されているのは昆明のこの箇所だけです。

よほど、お酒が印象的だったのでしょう。

昆明の酒を考えるために『東方見聞録』全体を俯瞰してみましょう。すると、四ヶ月の西の旅の前に書かれた元の都・大都(北京)での酒の記述が詳細です。

「彼らは米と他の多くの美味しい香料から飲み物を作り、それをとても上手く作るから、飲むと他のどんな酒よりも美味しい。それは、とても澄んでいて綺麗だ。またとても熱いから、他の酒よりもはやく人を酔わせる。」

セラド稿本も、この箇所については一致しています。

大都の酒は「澄んで」いて「とても熱いから、他の酒よりもはやく酔う」。

つまり、蒸留酒の可能姓が高まります。じつは前回、マルコポーロが飲んでいたブドウ酒は、今と同じだったのか、どうか、質問がありました。今より、よほどアルコール度数が弱いお酒だったのではないか。それなら、普通に中国の醸造酒を飲んでも「強いお酒」と思うのではないか、と。

実は、古代ギリシャの時代には、ワインは水で薄めて飲むのが普通だったのです。理由は。すごく、濃い味だったから、酔いを防ぐため、ワインは貴重だったから、など様々に言われていますが、実際のところはよくわかっていません。 それが、マルコの時代もそうだったのかどうかについて、少し脇道にそれますが、次回、触れてみます。 (つづく)




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