ヴェネツィア名物の飲み物スプリッツ(SPRITZ)。白ワインに炭酸水とアペロールというリキュールで割った飲み物。食事とともに、というよりも夕暮れ時に店先で軽く一杯飲む感じ。ワインを割る風習は今も続いていた。ただし、食事の際はワインそのものを楽しむことは周知のとおり。
【古代ギリシャは水割りで】
古代ギリシャではワインは水割りが普通でした。
たとえば古代ギリシャのホメロスの長編叙事詩『オデュッセイア』(松平千秋訳、岩波文庫、1994年)にはワインに水を割る様子が頻繁に登場しています。
「酒に水を割っていただけぬか。ポセイダイオンならびに他の神々に神酒を献じた上、眠りにつくとしましょう。」(P75)
「給仕役の若者たちが、混酒器になみなみと酒を満たし、先ず神々への献酒のために、数滴を一同の盃にたらす。生贄の舌を火にかけると、一同は立ち上がってその上へ神酒を注ぐ。献酒を終えて一同が心ゆくまで盃を傾けた時、」(P75)
「すでに給仕人たちは料理を分け、酒に水を割っているところ、」(P210)
ごくごく自然にワインを水で割っていますね。
やがて、ローマ人の時代になると、ワインの製法が飛躍的に向上し、そのものの味を楽しむようになっていったようです。イタリアでの料理の味の深さ、繊細さ、素材の味を重視するあたりが日本人の舌に似ているように思っていたのですが、味へのこだわりが飲み方を変えていったのかもしれません。
そして、マルコ・ポーロの時代。アントニー・ローリー著、池上俊一監修、富樫 瓔子訳『美食の歴史』にはこのように書かれています。
「13世紀料理研究家の医師たち(イタリア)はさらに多くの食に関する勧告を行った。たとえば、ワインは若者には滋養に、老人には治療になるので、両者には勧められるが、気持ちを和らげるというワインの性質は、困難な職務を成し遂げることとは相容れないので、成人はむしろ水で割って飲むべきである。女性に関しては水にワインを一滴たらすのは大目に見られる。」
医師が成人は「水で割って飲むべきである。」と強く推奨していると言うことは裏返せば、それはあまり行われていなかった、ということ。
マルコ・ポールは13世紀の人なので、まさに現代風の「割らない」ワインを飲んでいたといえるでしょう。
参考文献
奥田和子「ぶどう酒をワインで割る-神との関わり」(甲南女子大学研究紀要第39号 人間科学編、2003年3月)