たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

虎ノ門の摩天楼「虎ノ門ヒルズ」を仰いで来ました

2014-06-30 17:28:12 | 社会見学

虎ノ門ヒルズ:地上52階、地下5階、高さ247メートル
都内では東京ミッドタウンに次ぐ2番目の高層ビル。



東京・新橋、虎ノ門、神谷町、六本木地区は「森ビル」地帯です。
この地区に通っていた現役時代の楽しみはランチとマーキングでした。
新しく高層ビルが完成すると小用をかねてwashroom(要はトイレです)を観察します。
大建築物の見かけによらず狭間っ苦しかったり、たどり着くまでが迷路だったり、
最近はフリースペース、エントランスにはなく、ガードマンが見張って居たり、
ICカードが無いと入れなかったり、社用の無いものお断りという次第もあったりします。
そんなときは「なんだい! けち」などとつぶやいたりします。
小用足しにも差別化(小用?雇用格差)が進んでいるようです。

さすが全てが洋式のウォシュレットになっていて、
今でも一部に残る「駅便」のような和式は見かけませんでした。
雰囲気のよい作りになっていると、気持ちよく用が足せてきれいに使いたくなります。
清掃のおばさんが居たりすると「ありがとう」の礼もいいたくなります。
15年あまり通った、新橋、神谷町、虎ノ門は再開発の時代でした。



このほど、6月11日に「虎ノ門ヒルズ」が開業しました。
この超高層複合ビルの完成を見ないで完全引退してから2年、
虎ノ門3丁目地帯の古いビルの解体作業から、
基礎工事、鉄骨組み上げ途中まで、写真にも記録してあります。
よく通ったランチ屋も、愛宕山神社参道前の蕎麦屋さんも、この工事で消えました。



ヒルズ完成オープンのニュースはテレビや新聞で観ていましたが、
現場に行って、この目でみて見てこようと思っていましたが、
乃木坂の国立新美術館の展覧会に行ったので、帰路に立ち寄りました。
メトロ虎ノ門駅2番出口を上がると、見慣れていた光景が一変していました。
外堀通りの特許庁前から虎ノ門病院わきに、巨大道路が貫通しトンネルに通じています。





ヒルズ直下に行くと高すぎてカメラの仰角に収まりません。
エスカレーターで上がるとヒルズの公式キャラ“トラのもん”が出迎えてくれます。









1~4階までは、オープンカフェやレストランが並ぶ街路のようです。
若い娘たちがお茶しています。
現役をリタイアしてから、こういう席に入り込むのは、どうも気後れして入れない。





目的の小用を足してビルを後にしました。
新橋までの道筋、以前は目立たなかった古い事務所や店が、
ストリートに面するようになって「へーっ」こうなったの、なんて感心しながら歩くと、
正面には汐留シオサイトのタワービルが城壁のように林立して迫ります。
新橋烏森口に出て帰路に着きました。
いささか疲れました。たどたどしくてスイマセンでした。
機会を見てもう一度、同伴者を見つけて行ってみたいと思っています。
好奇心はアンチエイジングのサプリメント。

木村大作監督「春を背負って」主役は厳しく美しい山岳

2014-06-28 14:32:19 | 劇場映画

映画「春を背負って」を観た。
立山連峰の急峻な岩肌に張り付くように建てられた山小屋。
吹雪く厳冬期には雪の中に埋まってしまう。
春の雪解けと高山植物の花が咲き始め、
雷鳥がまだら模様の羽に変わる頃から山小屋は動き出す。



小屋の管理者・長嶺勇夫(小林薫)は遭難者の救助で命を落としてしまう。
東京で投資銀行のトレーダーとして過酷な現場で働く一人息子。
亨(松山ケンイチ)がメールを見たのは、幾日か後だった。
民宿を営む母・長嶺菫(檀ふみ)の許に駆けつける亨。
かつて勇夫に遭難途中に救助され、
民宿を手伝っている高澤愛(蒼井優)がいた。

3人で小屋に上がり父・勇夫を弔い墓碑銘を立てる。
亨は父の残したこの小屋を継ぎたいと決心する。



営業再開の荷揚げには亡くなった勇夫を崇拝する、
風来山岳男の多田悟郎(豊川悦司)も駆けつけてくる。
それと幼馴染の木工屋の跡継・中川聡史(新井浩文)一家の人たち。

厳しい雪山から美しい夏山へと、そしてまた冬山へと。
物語は移り変わる山岳風景と共に、それぞれの思いが交錯しながら展開する。
登場者たちは厳しい自然と向き合い、いささかの生き方に関する葛藤はあっても、
他者と向き合う葛藤がまったく無い。
美しく厳しい自然が主役で登場者は脇役に過ぎないのか。



監督は伝説的な映画撮影カメラマンとして幾多の作品を撮ってきた木村大作氏。
初めて映画監督としてメガホンをとったのが「劒岳 点の記(2009年)」だった。
二作めの「春を背負って」も、山岳の厳しさと美しさを、存分に撮った清冽な作品となっているが、
物語の深みが薄く平板で物足りなさは否めない。



カメラは3000メートルの大雪渓と岸壁に据えられて、
CGは使わず、空撮も無しで丹念に写す映像は素晴らしい。



今日は夏至です。長い昼時間、ねむの木のように、眠くなる爺です。

2014-06-21 11:28:01 | 24節気

夏至。二十四節気のひとつ。
太陽が最も北(北回帰線の真上)に来るために、
一年で最も昼の時間が長くなる日。



夜明けも早く。
ホトトギスの鳴き声が聞こえる。
早起きの爺は夜9時には、
目を開けていられない。



この時期、刷毛のように咲くねむの木の花。
夜になると閉じるので、日暮しの木とも。



紀女郎が大伴宿祢家持に贈った合歓木の花。

 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花
 君のみ見めや戯奴さへに見よ
       (万葉集 巻8・1461)
   
紀女郎(きのいらつめ)が茅花と合歓の花を折って、家持に贈った際に添えた歌です。
昼は花ひらき、夜は恋いつつ寝る合歓木の花を、
あるじ(わたし一人)だけ見ていてよいだろうか。
お前さんも来て一緒に見ようよ。
女郎が戯れに、一夜の添い寝の誘惑に贈った歌に対し、
家持はなんと応えたのでしょうか。



おまけの百合はご近所の佳人からのいただいた花です。
部屋中悩ましい香りに充ちています。
詩は添えられていませんでした。

梅雨の晴れ間 乳白色のバラのしずく

2014-06-17 12:49:22 | Lyricism
赤い薔薇はあつい情熱をささやき
白い薔薇はそっと愛をささやく
おお、赤い薔薇は鷹
白い薔薇は鳩

ジョン・ボイル・オライリー - John Boyle O'Reilly (1844-1890)[白薔薇]



人類の想像力・抽象力の思惟の所産としてのシンボル・イメージ。
たにしの爺が薔薇に描くシンボル・イメージは、
誰だ言ったか知りませんが、
「ヒステリー女には薔薇を嗅がせろ」です。



以下のような文章を紹介します。
ジェイナ・ガライ 中村凪子・訳
「シンボル。イメージ小事典」・社会思想社刊
現代教養文庫 1990年10月30日 初版か引用

バラはヴィーナスの花であり、歓喜、勝利、完全を象徴する。
ただ一輪のバラが、ちょうど曼陀羅のように神秘の核心を表わすのである。
花言葉では、バラの花冠は美と報われた美徳を表わす。
しおれたバラは美のうつろいやすさを意味し、
大きくて鋭い刺のある野バラは快楽と苦痛を意味する。

キリスト教では、聖母マリアは原罪に汚されることなくこの世に生まれ、
そのゆえに「刺なき薔薇」とも呼ばれる。
しかし、同じバラでも黄金造りのバラは信仰の成就を表わし、
教皇に属するものとなった。

舅香(じゃこう)とバルサム香がかおりたつ黄金造りのバラは、
古くからカトリツク教会への奉仕に対する褒賞であった。
ローマ教皇の祝福とともに、この黄金のバラを最後に授かったのは、
一九五六年ルクセンブルク大公妃であった。
しかし、いかなるバラにもまして紅白のバラこそ深い意味をそなえている。

古代の錬金術では、
相反するものは紅白の二色において結合を果たすと考えられていた。
赤は情熱の象徴であり、白は純潔の象徴であり、
錬金術に使われていた不思議な紅白のバラは火と水の融合の象徴であった。
この融合は生命あるものの理想的な状態であり、
ソロモンの『雅歌』は完全無欠のキリストを「わたしの恋しい人は白く、赤く、赤銅の色に輝き、ひときわ目立つ」とたたえている。

古代ギリシャやローマでは、
招かれた先のテーブルにバラの花が吊りさげてあれば、
そこで話されたことは他言無用であるとの意味だった。
そして、後には会議室、宴会場、告解室などの天丼には思慮の象徴として、
バラの花が刻まれるようになった。

ラテン語で「秘密の」を意味する「スブ・ロサ」という言葉の語源ははつきりしないが、
あるとき、キューピツドが沈黙の神ハーポクラテスにバラの花を贈って、
母ヴイーナスの情事を他言しないように頼んだことに由来するとも伝えられている。



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バラは15世紀の王位継承をめぐる「バラ戦争」が契機で、
イングランドの「国歌」となっています。



故ダイアナ妃は「イングランドのバラ」と呼ばれ、
バラは「愛」「純潔」「高貴」の象徴となっています。
英国のガーディングには欠かせない花です。
今ごろが最盛期でロンドンの街角を飾っていることでしょう。


今日は二十四節気のうち芒種。梅雨入り、バルテュス展

2014-06-06 18:54:03 | 展覧会・美術展

6月6日、一日降り続いています。当地は昨日が梅雨入りでした。
芒種(ぼうしゅ)とは、稲や麦などの穂先にある棘のような、
芒(のぎ)のある穀物の種蒔きをする頃ということです。
実際の農作業ではこの時期より早く作業が始まっているようです。



「バルテュス展」を見ました。
4日に所用で上京する機会がありましたので、上野公園によってきました。
東京都美術館で開催中の「バルテュス展(Balthus: A Retrospective)」
を見て来ました。 ~ 6月22日(日)まで。
テレビや新聞でとりあげられれて、初めて知った絵画です。

賞賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。「ピカソが認めた孤高の画家」とか、
「少女に見た永遠の美」などと紹介・評されて、
開脚少女の大胆なポーズの絵がポスターになっています。

展覧会場に着いたのは3時過ぎでしたので、
比較的空いていて、ゆっくろ鑑賞できました。
少女とネコが主要なモチーフになったものが目につきました。
少女が直線的に開脚する、猥褻なまでなの描き込み、
バルテュスにとって少女は「創作インスピレーション」の存在だったのでしょうか。
その他、風景、静物、肖像画など多彩な作品がありましたが、
どの作品も何か「はて、???」といった感じになりました。
デッサンも沢山ありました。



上野から東京に戻る途中の秋葉原で下車して、
「マーチエキュート神田万世橋」に寄ってみました。

旧万世橋駅や交通博物館を商用施設として、昨年9月にリニューアルしたもので、
70年ぶりに歴史の痕跡を見ることができるということで、
一度、上京の際には寄ってみたいと思っていました。
細長い通路にカフェや物販などのショップが並んでいました。
お茶しようと思いましたが、高値のコーヒーなので遠慮しました。





秋葉原駅の「電気街口」から歩いて数分でしたが、
さすが少女カフェとAKB48の地元ですね。
それらしき少女たちが行き交い、アイテムショップが続いています。
久しぶりの秋葉原はアキバになっていて戸惑う夕暮れのマチでした。

初夏・猛暑日・徘徊の熱中症対策は緑陰の休息

2014-06-01 16:45:55 | Journalism

6月に入りました。初夏。
6月は夏の始まりですね。
一気に35度の猛暑日です。

1日は全国的に気温が高く、各地で35度以上の猛暑日となるなど、
猛烈な暑さとなっています。
気象庁は、熱中症に十分注意するよう呼びかけています。



気象庁によりますと、1日午後3時半までの最高気温は、
群馬県館林市と岐阜県揖斐川町で36度3分、
京都市で36度ちょうど、岡山県高梁市で35度1分、
東日本と西日本の各地で猛暑日となっています。
福島市で34度6分、東京の都心で33度1分など、
広い範囲で30度以上の真夏日となっています。(NHKニュースから)



気温の上昇に伴い、熱中症による救急搬送者数は、
前年同時期を上回るハイペースとなっているという。



毎日新聞ニュースによりますと、気温が急に高くなる初夏は、
暑さに慣れていないため汗がうまくかけず、スムーズな体温調節ができない。
梅雨になると汗が蒸発しにくいため、さらに体温調節が難しくなる。
「真夏日ではなくても、湿度の高い日は熱中症への警戒が必要」だと、
専門の医師たちが早めの対策を呼びかけています。



8000~10000歩の徘徊を日課としている爺にとっても、
これ等の熱中症対策は大切な注意点です。

この時期の熱中症対策は早朝の徘徊がいいのか。
夕暮れ時の徘徊がいいのか悩ましいことです。
どちらにしても、日中時間がありすぎます。
「小人閑居して不善をなす」の例えもありますが、
「不善をなす」ほどの体力気力金力も無く、
さて、どうしようかの思案が爺の熱中症対策です。



暑い時間の「日中対策」は永田町で最近トレンドとなっている、
「集団的自衛権」行使容認のグレーゾーン事例について、
思索してみるのも「少暑対策」になりますね。
 日本は現在、邪悪な意図の下「危険な挑発」に曝されています。
江戸城松の廊下劇が日本海の尖閣沖劇となる日は想定外でしょうか???
馬鹿な話につき合わせてしまい、ゴメン。



気象庁では最高気温が25度以上の日を夏日(なつび)、
30度以上の日を真夏日(まなつび)としています。
また、地球温暖化やヒートアイランドなどの影響で、
最高気温が35℃以上になる日が増えているという背景から、
2007年(平成19年)から新たに35度以上の日を、
猛暑日(もうしょび)という呼称を使うことに決めました。
写真はこの時期に徘徊コースに咲く花たちです。