たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

29日付け、読売新聞の社説に反論――年金制度改悪法案は許せない

2016-11-30 09:33:59 | Journalism

29日の午後、年金支給額の新たな改定ルールを盛り込んだ、
年金制度改革関連法案が衆院本会議で可決され、参院へ送られました。
この法案は年金支給を減額する年金世代を痛めつける法案です。



同日、読売新聞朝刊の社説は、
「臨時国会延長 年金法案も確実に成立させよ」と題して、
与党政治家・行政の代弁をする社説を掲げていました。
この社説をWebで読んで唖然としました。



論説の内容が政府与党・行政の言い分とまったく同趣だからです。
【少子高齢化が進む中、年金制度を持続可能なものにするには、年金財政を安定させ、将来世代の給付水準を確保する必要がある。現役世代と高齢者が負担や給付減の痛みを分かち合い、公平感を維持することも欠かせない。】
と主張しているのだ。



冗談じゃない。【年金制度の持続可能】のために、
【高齢者が負担や給付減の痛み】に耐えろと言うことか。
現行年金制度がこのままでは、将来世代への支給が破綻するという。
破綻する原因は、現行支給年金が払いすぎるからだ。
ということは、これまで、政府、厚生関係筋から主張されている。



同趣旨の論調で「年金支給減額法案」の後押しをする社説を載せる。
この新聞社は、何を言っているんだろう。おかしいと思わないのか。
現在、社会的・政治的課題となっている「貧困高齢者」がさらに増えることになる。
新聞ジャーナリズムが、
政府・政治家の「言い分」を代弁するようになったらお終いだ。



徘徊老人、たにしの爺はぶつぶつ言いたい。
年金制度の機能不全を国民にシワ寄せ「痛み分け」を強要する、
新たな「年金制度」は、許容できるものでない。



現行年金制度が政府に都合良くないなら、
将来世代にも、現行並みの支給可能な年金制度に改めるべきで、
そのための抜本的な改革、国家事業施策を構築すべきです。
それが政治家・行政の仕事でしょう。



現行年金世代が【痛みを負う】のは筋が違うでしょう。
現行年金世代には「なんら、責めを負う事はないのです」
年金支給を減らすことで、制度の維持を図ろうとすることは、
「経世済民」に反する政治家放棄の怠慢ではないか。



コップに7分目くらいしかない水をすくい取って、
後から来る人のコップに入れる。なんという姑息な政治でしょう。


 
また同社説は、
【民進党などは、賃金の下落に連動させて給付を減額することから「年金カット法案」と批判するが、あまりに近視眼的で的外れだ】とも言う。
たにしの爺は民進党を積極支持するものではないが、
同党は「年金制度の抜本的改革」を求めているのであって、
この事に触れないで、
上記のような論説子の言い方は「あまりに短絡眼で作為的だ」



新聞ジャーナリズムは与党の旗振りに落ちたのだろうか。
なお、たにしの爺は、この新聞を定期購読したことはありません。



完走のご褒美は新米千葉県産こしひかりの「おにぎり」――鎌スタランフェスタ2016

2016-11-29 14:34:36 | 鎌スタ

3年目を迎えた鎌ケ谷ランフェスタ2016――
11月27日(日)、日本ハムのファームの拠点・鎌ケ谷スタジアムに、
大勢のランナーが参加して開催されました。
8時30分からグラウンド行われた開会式では、
清水聖士・鎌ケ谷市長が激励と開会宣言を行いました。
参加選手の大半はグラウンドの外でウォーミングアップしています。



「イベント応援ランナー」ゲストが紹介されました。
レースをサポートする日ハム選手団も紹介されました。
続いて島津樹さん、鈴木郁海さんによる選手宣誓です。
壇上に清水市長と石川直投手が立っています。



スタジアムに近接する鎌ケ谷四中の吹奏楽部が開会式からイベント終了まで、
大会を盛り上げる素晴らしい演奏を披露していました。
グランド内には飲食ブースの屋台も出ています。
今年は「チャレンジ10キロコース」と小中学生、ファミリー向けの「3キロコース」でした。



「10キロコース」はスタジアム前広場から9時スタートで、
撮影車、千葉県警のパトカーが先導します。



このコースには日頃から走りこんでいる全国のマラソン愛好者、
市内、近郊市の高校陸上部や現役高校生が中心で、
例年かなりの高速レースが展開されています。



「3キロコース」は一塁側スタンド脇からです。
ここには小学生、パパママのファミリーや健康ジョギングの愛好者が参加します。
記録より参加、ゼッケンを着けて走ることを楽しみます。



両コースとも「たにしの爺」が日頃、徘徊している道です。
坂が多く、起伏があって、カーブも多いです。





早くも10分足らずで、「3キロコース」のトップ集団が、
スタジアムへの取り付け道路に戻ってきました。



「10キロコース」のトップも30分超で戻ってきました。
スタジアムへの取り付けコースは両者、混合コースになります。
記録にかける「10キロ」走者にはすこし気の毒ですね。



道路は半分空いているのだから、
分けて走るようにしてもいいではないかな。
大会関係者の一考をお願いしたいものです。



ゴールはスタジアム内の1塁、2塁、3塁を回って、
ホームベースがテープです。



ゼッケンに埋め込まれたチップで、各自のタイムが集計され、
名前入りの記録証が発行されます。



記録証を持って「カビー」クンの所に行くと、
ご褒美の千葉県産新米こしひかり使用の「おにぎり」が戴けます。



走り終えた選手に聞いてみました「とても美味しいです」「もう一つほしい」など。
家族でおにぎりを食べている前を、まだ走っている選手もいます。



「頑張れ、おにぎりは近いぞ」なんて応援して、ハイ、シャッター。
来年は、小生も3キロに挑戦しようかな。コースは毎日歩いている徘徊路だ。



マラソンコースは鎌ヶ谷市・千葉県警連携と、
地元ボランティアの協力により、整然と規制されていました。
この「鎌スタラン」は鎌ヶ谷市の梨の故郷・南部地域を彩る、
晩秋のイベントとして、すっかり定着して人気になっています。

雪残りの紅葉を探して自然公園を歩く

2016-11-25 20:34:29 | Journalism

2016年11月24日、首都圏は雪の一日となりました。
たにしの爺、裏山の景色は既に投稿しています。



 
当地の紅葉はこれからが見ごろを迎えます。
紅葉と雪の光景を探しに、いつもの自然公園に行きました。

 

季節外れの雪は、朝陽とともに消え始めていました。
日陰に残った薄雪と紅葉を撮ることができました。

 


稀勢の里は、やはり「運命の大関」だった。
前日、首位の鶴竜に土を付け、
優勝賜杯の可能性を引き寄せていたが、
栃ノ心に下手投げで敗れ3敗目となった。 



モンゴル3横綱を「3連倒」しながら優勝できない。
風呂入りの稀勢の里、湯曇りの中できっと、泣いた。 



稀勢の里へ、たにしの爺からエールを送ります。
新年初場所からは、下位力士への優しさをやめて、
初日の相手から全て「憎っくき白鵬」だと思って、
「白鵬を15回倒す」つもりで、
立会いに全集中して、最強力士を証明しよう。



早くも週末です。土日の天気は雨模様のようです。
日曜日には2本の取材予定が入っています。



 たにしの爺、一日で2回もブログ更新は初めてです。

秋の日の窓の外の雪の朝の裏庭からの眺め――15.11.25、07:00

2016-11-25 09:08:16 | Journalism

24日、夕刻まで降り続いた雪は、
大相撲九州場所12日目、
稀勢の里が日馬富士を一気に寄り切って、
2敗を守った頃、やんでいました。



優勝争いは12日目を終えて1敗の鶴竜がトップで、
日馬富士と稀勢の里、石浦が2敗で続いています。



たにしの爺が「運命の大関」と名付けている稀勢の里。
最強ながら「優勝できない大関」という悲運からです。
何度も優勝賜杯を目前にして、手が届きませんでした。



琴奨菊、豪栄道「まさかの優勝」の後塵を拝している。
今場所もモンゴル勢の3横綱を撃破しているが、
遠藤、正代の若手に破れた黒星2つ。



1敗の鶴竜、2敗の日馬富士、3敗の白鵬が、
今日から星の潰しあいになりますが、
このモンゴル3トリオの取り組みは微妙です。



稀勢の里にはまたも「運命の壁」が立ちはだかるのか――



今朝まで残った「雪の裏庭」からの眺めを、
ゴミ出しに出たついでに撮りました。

ナウ(16・11・24、12:00)、大きな雪が降っています

2016-11-24 12:06:21 | Journalism

今日は、昨日以来の予報どおり、雪になっています。
たにしの爺宅の周辺道路は濡れて白くはなっていませんが、
裏山は白いベールが架かり、11月としては前例のない、
雪景色になっています。

NHKニュースによると、
真冬並みの強い寒気の影響で、関東甲信の各地で雪が降り、
東京の都心などで11月としては54年ぶりに初雪を観測したほか、
甲信地方では山沿いを中心に積雪が20センチ近くに達し、
大雪となっています。

晩秋から初冬へ、銀杏の空

2016-11-23 20:03:31 | 散策の詩

今夜から関東甲信は雪になるという。
紅葉に染まる里山が白いベールが被うのでしょうか。
銀杏が黄金色に輝いています。



黄葉の重なりにも濃淡があります。
銀杏葉の散るのは速いです。



散り果てた後の枝木の毅然とした潔さ。
丸裸で一葉無しになって芽生えの季節をまつ……。

野菊の咲き乱れる、晩秋の道野辺

2016-11-20 10:31:14 | 散策の詩

秋の深まりとともに道野辺も紅葉色に染まりつつあります。
いつも行く自然公園の「モミジ山まつり」も始まりました。
徘徊の道を行くと菊の花が咲き乱れる空き地がありました。



それほど人通りのある道ではありませんが駐車所の空き地。
住宅隣接地で「野菊の庭」として管理されているようです。
道野辺の徘徊路は「洋のコスモス」から「和の野菊」のとき。



菊花展に出すよう大切に一輪を育てて咲かせる菊とは違い、
広いスペースに咲き乱れる菊の花は秋景を彩ってくれます。



フォトチャンネルにまとめました。ご覧下さい。

チェコ事件が背景の国際ミステリー「プラハからの道化たち」

2016-11-19 10:30:56 | 本・読書

最近、こんな本を読みました。
高柳芳夫著「プラハからの道化たち」(大型活字本 上・下)
東欧の自由化運動の引き金になったプラハの春。



第二次大戦後、ソ連の共産主義支配による鉄のカーテンに閉ざされた東欧諸国は、
言論・表現の自由、経済活動まで規制されていました。
経済改革と自由化を求める人々の運動が幾度か起きましたが、
ソ連軍を主力とする「ワルシャワ条約軍」によって鎮圧されていました。



国を挙げて最も、自由化運動に取り組んでいたチェコスロバキア。
共産党第一書記のドブチェクは行詰った経済立て直しと、
「人間の尊厳を認める社会主義」の建設を目指していました。しかし突如、
1968年8月20日、ソ連軍戦車を主力にワルシャワ条約軍は、
首都・プラハに侵攻・制圧しました。チェコ事件が起きました。
ドプチェックら指導者は逮捕されたり、追放されてしまいました。



この事件当時、筆者・高柳芳夫は外交官として、
西ベルリンの日本総領事館に勤務していて、情報収集に奔走していた。
本書は、このチェコ事件を背景に国家の独立と、
自由が蹂躙されていく過程で、倒れていった人間の運命を描いた、
「国際ミステリー」です。



序章はチェコスロバキア共産党中央委員会の建物の会議室から始まる。
典雅で華麗な室内のテーブルには中央委員会幹部会のメンバー、
上席にはドプチェック第一書記が着き、緊張した面持ちで席を占めている。
1968年8月20日の日のことだ。



チェコ自由化のための運動「プラハの春」は、
ソ連にとっては看過できない「反革命」の潮流だった。
幹部会は推進派、反対派に分かれて緊迫していた。
幹部会は対立のまま夜が明けた。



その頃、東ドイツの国境に近いボヘミアの国道を、
一台のフォルクスワーゲンが疾走していた。
運転席には日本人の青年と助手席には金髪の若い女性が座っていた。
ワーゲンは国境の遮断機の前で止められた。
自動小銃を抱えた国境警備兵は言った「国境は閉鎖された」



国境の町に夥しいソ連軍戦車が地響きを立ってて進行してくる。
止められていたワーゲンの日本人が叫けんだ「ソ連の戦車だ」
ワーゲンは国境への道を猛スピードで突き進んでいった。
国境線の遮断機が上がり始めたが、「その車、止めろ」ソ連将校が叫んだ。



ワーゲンは止まることなく走り出した。
銃声が起こりワーゲンに吸い込まれた。
助手席の女が悲鳴を上げて崩れ落ちた。
エンジンから黒煙が上がって青年はドアから転げだした。



東ベルリンの空港を離陸して、チェコの首都プラハに向かう機内に、
東栄物産西ベルリン支店臨時駐在員の川村良平が居た。
この物語の主人公で、作品になかでは「わたし」と一人称で語られる。
チェコと交わしているプラントの進捗状況を確認する出張だった。
隣の席に来たアメリカ人が話しかけてきた。スミスという名の名刺を差し出した。
飛行機は「百塔の都」と呼ばれる東欧の古都・プラハの飛行場に着陸した。
物語はここから一気に動き出します。



「逃亡幇助業者」(フルフトヘルファー)
プラハにはソ連軍侵攻以来、自らの命を犠牲にしてまで、
地下に潜った改革派のリーダーらの国外脱出に奔走する地下組織があった。、
「わたし」の身辺にも地下組織の影が伸びて、引き込まれていく。
「わたし」に近づいてくる男や女は敵なのか。
強大なソ連警察組織の前に救いのない悲劇的な結末が待っていた。



高柳芳夫という作家を初めて知りました。1957年外務省入省。
ドイツ大使館勤務、ベルリン総領事館副総領事等を歴任した外交官。
在任中から推理小説を発表する。そのことで1977年に外務省を退職する。
海外に題材をとった「国際スパイ」小説のジャンルを確立し数多くの作品を発表。
「プラハからの道化たち」は(1979年9月講談社から発刊。1983年7月同社文庫)
1979年に第25回江戸川乱歩賞を受賞、第82回直木賞候補になる。
1990年を最後に小説家を廃業する。



たにしの爺が、なぜ、この本を手に取ることになった理由は、
「プラハ」という題名に惹かれたからです。
モルダウが流れる、憧れの東欧の古都・プラハ。
尖塔が多くあることから「百塔の都」とも呼ばれている。
今年の正月、サントリーホールのニューイヤーコンサートでプラハ響を堪能した。
そんなプラハの歴史物語かと思い借り出しました。
「国際スパイ小説」でした。



推理・スパイ小説としては筋立てが粗く、
ご都合主義的な説明表現で済ましてしまう場面があったり、
「突っ込み」を入れたい箇所がいくつかありますが、それなりに楽しめました。
プラハ市内に関する描写は細かく、良く知る筆者ならではの書き込みはさすがです。



ただ、祖国の自由化に奔走して、チェコ国家秘密警察、ソ連KGBに逮捕され、
あるいは犠牲になった「逃亡幇助業者」「脱国者」を、
「道化」とする表現には違和感を禁じえなかった。

一夜のうちに、全土を外国軍隊に占領され、国家の独立と民族の自由が蹂躙された小国。
列強に囲まれた小国が大国の思惑に翻弄される民族の抵抗の歴史。
そのように読めば、ミステリーとしての粗さは少し容認できる気がします。



筆者が一番、言いたかったことは「世界から圧迫や支配が消失しない限り、
自由のために闘い、死んだという事実の意義」は、
今でも重いという感懐ではないでしょうか。



この小説が書かれた1979年から37年たった今でも、
クリミヤ、ウクライナ、あるいは旧ソ連邦から独立した周辺の小国に、
再びロシアによる圧力が高まってきています。
また、中国による東・南シナ海で続く、力による海洋進出・現状変更など、
ボーダーへの圧力が続いているのが現実です。



ときは、次期米大統領にトランプ氏が当選しました。
他所の国のことより、「自分の国が大事」が世界の潮流になったとき、
日本民族の決意が問われる事態が「なしとしない」時期が来るかもしれない。

(本と花以外の写真は、旅行案内などネットから借用しました)

屋外レジャーに公園テントが流行るわけ

2016-11-17 14:51:22 | Journalism

湖があって、林もあって、多くのテントが張られています。
でも、ここはキャンプ場ではありません。
先日、日曜日に葛飾・金町に行く用事がありましたので、
都立水元公園に寄って見ました。



広い園内を歩くと、テント張り光景があちこちに見られます。
少し前までは木陰でレジャーシートを広げて、
家族やグループがランチをする風景が主流でした。



公園広場の遊びやピクニックなどアウトドア・レジャーの際、
サンシェードテント、ポップアップテント、ワンタッチテント、
日差しを遮る日よけ用テントが大流行と聞いていましたが、
なるほど、こういうものかと見て回りました。
写真はその一部です(みさと公園、水元公園)。



ここ数年、公園広場にはテント張りが目立ってきました。
行楽地や郊外の公園や、町内遊園地にまで張り出してきました。
この夏、鎌スタの芝生外野席でもテントから野球応援のグループも見ました。



船橋の「アンデルセン公園」に行かれたご近所の方、
至る所にテントが設置され、あまりの密集光景に、
あきれたという話を聞きました。
今や親子で楽しむアウトドアには欠かせないアイテムのようです。



安価に購入できて、軽くて携帯にも快適、簡単に組み立てられる。
容易に日陰を作ることができ、その中で女性もひと休みできる。
周囲から遮断できる占有空間で人から見られずに昼寝できる。
そのような利便性が利用者を急増させているのでしょう。



木陰で大の字に寝る自然派を支持したい徘徊・たにしの爺としては、
わざわざ周りを見えなくして、閉じこもることもないだろうと思うのだが、
小さい子どもがいたり、いろいろ事情もあるでしょうから、
お好きなようにとしたいところですが、何か違和感を覚えます。
偏屈な徘徊人の偏見だとは自認しています。



都立公園などでは、すべての来園者が安全に利用できるように、
他の来園者に支障となる行為について制限をつけており、
テントが風であおられて飛んだりして、事故になる恐れもあることから、
代々木公園をはじめ都立公園では、
個人によるテント類の設置を禁止しているようです。

gooブログ開設から4000日になりました。

2016-11-15 13:53:25 | Weblog

本日、2016年11月15日でgooブログ開設から4,000日という表示がでました。(*^_^*)(*^_^*)



第1日目のアップは2005年9月26日ですから、日数でいえば、
4000日というのは合わない気がします。
gooブログに移行する前には、アサブロにいたので日数が合わないのかな。(@_@)(@_@)



4000日といっても単なる通過点でしかありません。
それはそれとして、徘徊が日課の「たにしの爺」としては、
ともかく記念日ということで記録を整理してみました。
カテゴリー毎の記録数字を合わせると712本になりました。
6日以内に一本の記事をアップしている勘定です。
毎日アップしているブロガーさん、
隔日くらいの頻度でアップされている方に比べたら、
「たにしの爺」はかなり怠け者です。

それでいいのです。無理をすると行詰ります。
ネタ探しのために出かけたり、写真を撮ったりする、
それがストレスになったら、楽しくありません。

四季の日々、道野辺の道を徘徊しながら感じること。
カメラは安物なので、写真を主にした記事は書きません。
あくまでも息抜きで、写真は記事の行間を繋ぐブリッジです。
また、知人や家族、人を中心にした記事には触れません。

目が衰えてきていますので、改行のない長文は綴りません。
従って、そういう綴りの細字のブログは読みません。
きっと、すばらしいことが書かれているのでしょうが、残念です。
たにしの爺は、短節、短文で行を替えるので、
文章に情緒がないのが悩みです。
本当は名文家(迷文家??)で鳴らした時期もありました。

カテゴリーはそのとき思いつきで立てるので雑駁です。
一番多い本数はLyricismの149本です。
これは、明確なカテゴリーにならない想いの雑文を集めたからです。
一番、力を入れたカテゴリーは、「須賀敦子の著作」の16本でした。
この方の、思惟の高さと、文章の明快さに感動したものです。
図書・読書も、もっと書きたいのですが、
そのためにはエネルギーと根気が必要ですね



次に多いのが、journalismとNationalismとなっています。
たにしの爺のホームグラウンドの分野です。
社会の今日的な事象、エスタブリッシュメントへの一言など。
もっと、厳しく言いたいのですが、アジテーターではありませんので控えめです。



あと劇場映画のカテゴリーは多くはありませんが、自分でも楽しみです。
最近は、映画に行っていませんが、寒くなったら、近くのシネコンに行って見ます。
現役終了後は、図書館、映画館、美術館・博物館の、三館めぐりを宣言していますが、
時間はあっても、経費が掛かりますね。



現在使っている「黒のテンプレート」は気に入っていて、かなり長く使っています。
黒地に白文字、視やすい事と品格が醸しだされていいです。
当分替えるつもりはありません。



5000日目をめざしてポツリ、ポツリと、
徘徊のたにし「アブク」を吐いていきます。



五輪に3回出場したマラソンランナーの弘山晴美さんは、
「苦しくなったら、大きく息を吐きなさい。楽になるから」
市民マラソンのランナーにアドバイスしているのを、聞いたことがあります。



人生マラソンでも「苦しいとき」は吸うことより、
息でも言葉でも「吐いた」方が楽になるようです。
最後までお付き合いありがとうございます。

一茶俳句で、人生行間を埋めた評伝小説「ひねくれ一茶」

2016-11-11 11:30:55 | 本・読書

最近、こんな本を読みました。田辺聖子著「ひねくれ一茶」

一茶といえば誰もが知っている俳句――
*我と来て遊べや親のない雀
*やれ打つな蝿が手をすり足をする
*やせ蛙まけるな一茶これにあり
*雀の子そこのけそこのけお馬が通る
――など、弱き者へのいたわりに満ちたものです。
句から見えてくるものは「好々爺」の姿です。



田辺聖子著「ひねくれ一茶」で描かれる一茶は、
辛酸な幼年期と、寄食にありつく行脚俳諧師の江戸生活、
そして故郷の家屋・田畑の相続争いに執着する凄まじさ。
作者は一茶が詠み続けた膨大な俳句を追いながら、
小林一茶の苦節人生の時空を埋めた長編小説でした。



読んだ動機は、
いつも行く図書館の大活字本の棚で、
以前から目について気になっていた本でした。
田辺聖子著「ひねくれ一茶」(4分冊)の元本は、
平成4年(1992)に講談社から刊行され、
1993年に第27回吉川英治文学賞を受賞しています。
その後、文庫版を底本に大活字本になったものです。



6歳で江戸に出て、荒奉公に明け暮れ辛酸の末、
好きな俳諧にうち込み、放浪した修業時代。
やがて江戸で評判を取り、風雅を詠む俳諧人として人気を得ます。
俳諧好き大店の旦那衆や神社仏閣の食客となりながら、
同好の士やライバルの集まる席で歌仙を捲くことが生業になります。
行脚俳諧人として房総、京浜などを回って歌仙で路銀を得ます。
江戸での棲家は3畳にも満たないネズミの走る掘っ立て小屋で、
着たきりスズメの帷子にはノミ、シラミ、肌は疥癬・田虫の巣。
食べ物は先々の食客で舌が肥えて結構、美食家になっています。



一茶はとにかく多作で「吐いて一句」「吸って一句」と、
俳諧行脚、歌仙の宴席などで俳句を詠み散らします。
作者はこれらの句をつないで、一茶の心情と生活とを描き出します。

故郷の柏原に帰り、50歳過ぎて3回も結婚して、
独自の句境を確立した晩年と結婚生活の章が、
一茶の絶倫振りが、実におかしく面白く、
3男一女の子どもを幼くして亡くして切ない。



一茶の俳諧人生に貫くもう一本の縦糸は、
「土地田畑家屋家財」の相続争いです。
雪深い北信濃の柏原村の貧農の長男で生まれた小林一茶。
祖母にかわいがられて育ったが、母亡き後、
継母に二男ができてから境遇は一変、江戸に丁稚奉公に出されます。
江戸に出ても片時も忘れない父親が言い残した、
「土地田畑家屋家財」はお前のものという遺言です。



俳諧人として名声を得てからも、貧乏暮らしの「劣等感」に苦しみ、
また、その裏返しとして有産俳諧人への「反抗心」も湧きます。
そんな時、父親の遺言だけが希望として、「資産に執着」します。
老境に至っても執拗に、江戸から柏原まで、なけなしの金を節約しながら、
何回も江戸と故郷を幾日も掛けて往復します。
小説の三分の一はこの異母弟との財産争いの確執が描かれます。



江戸への憧れと、屈折と、ひねくれと、郷愁と、童心を持ち続けた一茶。
 「名月や江戸の奴らが何知って」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
田辺聖子さん、渾身の逸作ですね。
田辺聖子さんは、多くの小説、随筆を書かれ、数々の文学賞を受賞し、
2008年には文化勲章授与の大作家です。

「木枯らし1号」に乗ってトランプ旋風が世界を席巻

2016-11-09 18:38:09 | Journalism

今日、2016年11月9日、気象庁によりますと、
関東地方は西高東低の冬型の気圧配置となって、
9日未明から北寄りの風が強まり、
15,5メートルの最大瞬間風速を観測し、
「木枯らし1号が吹いた」と発表しました。
去年と比べて16日遅いという。



7日は立冬でした。暦の上では冬の始まりでした。
暦通り7日から一段と冷え込みが強まっています。
道野辺の徘徊にも防寒姿で出かけました。



木枯らし1号とともに、
アメリカ大統領選挙の開票が始まりました。
大方の予想はヒラリー・クリントン氏(69)が優勢ということでしたが、
共和党候補のドナルド・トランプ氏(70)が当選になりました。
トランプ氏は政治経験も軍隊経験もない巨万の実業家で、
立候補以来、過激な発言で米国内をはじめ、、
世界に波紋を広げていました。



大統領になって、発言通りにされたら世界秩序は混乱します。
民主主義の牙城・アメリカの大統領選挙で示された民意に、世界は目が離せない。
 凶と出るか福となるか――たにしの爺の年金への影響が心配だ。
むかし、ヤゴだった頃、カワニナだった。
分かるかな、分かんねだろうなー。いえー。

エストニアのお土産、Kalevのチョコレートを戴きました

2016-11-05 10:59:49 | 頂き物

年中、海外旅行に行っている同居人の女友だちが、
エストニアを旅してきたと言って、
タリンの老舗チョコレート店のお裾分けを戴きました。



以下はwebで知ったことです。
北欧の小さな国の集まり「バルト3国」
最も北にあるエストニア。首都はタリン。
その首都で2世紀にもわたって、
チョコレートを作り続けるメーカーKALEV(カレヴ)。
「カレヴ」とは、エストニアの男性の名前で、
民族叙事詩に登場する巨人の名前でもあるという。



エストニアは世界遺産の旧市街を擁する首都タリンや、
インターネット電話サービスのスカイプ(Skype)が開発された国として知られています。

それにしても、気軽に1年の3分の一に近い日々を、
世界中、通行人のように旅行しているその方。
直接話したこともないけれど、聞いているだけでも、
モロッコ、クロアチア、ノルウェー、マレーシア、台湾、そのほか、
年内にドイツにも何回目か行くという。


 たにしの爺、うらやましいというか。何しに行くのかというか。
海外旅行をしていないと、落ち着かない人になっているのかな。
いずれにしてもたにしの爺には、うらやましい限りですな。

腹の中を胃から大腸まで探られて無事でした

2016-11-02 13:53:25 | 花とつぶやき

気が付けば11月(霜月)になっていました。
日差しは鈍く、鉛色の空になっています。
ブログアップの更新が空いていました。



虚しき命に映りつつ真黒き玉のごとく冬薔薇の花の輝きてあり (若山牧水)

先週は一週間、病院のベットの中で過ごしました。
23日の日曜の夜半から、胃と腸が膨張して、
間歇的に、締め付けるような痛さに襲われ、
月曜に近くの診療所に行きました。
お腹のレントゲンを撮りまして、
総合病院に行くように言われ、紹介状を書いてもらい、
レントゲンのフイルムを持って総合病院に行きました。



夕方の時間外診察になりましたが、
内科の女医さん、レントゲン写真を視て、
「CTスキャン」を取ることになりました。
その結果「入院してください」との診察でした。



早速、点滴につながれ4人部屋のベットに横になりました。
そのまま、翌日の昼近くまで音沙汰なしでした。
ようやく昼近くになって、
内科と外科で診ることになりましたという。

そこで再び「CTスキャン」とレントゲンになりました。
この日は結局、点滴を続けたまま食事は無し。



なにせ入院初体験で、はじめて入院病棟の雰囲気を味わいました。
夜間病棟は同室者のガさゴそや唸りなど、
廊下を伝わってくる悲鳴や看護師さんの往来など、
病気になってしまいそうな、ストレスを味わいました。
「もうー、イや」



3日目、担当医師さんとお話できました。
「STスキャン」と超音波で見る限り異常はありません。
今度は「造影剤」を入れて「CT」をして視ることになり、
3回目の「CTスキャン」になりました。
担当の医師「何も異常はないようですね」



この際、大腸カメラと胃カメラもやってみますかという。
予約の関係で1日空くと言うことで、
ようやく5分粥と少々のお惣菜にありつきました。
翌日は朝から「大腸洗浄液」で胃と腸をすっかり洗い流し、
お腹はスッカラカンになりました。



「大腸内視鏡」の結果、検査技師は、きれいで何もなしという。
さらに31日の朝、胃の内視鏡検査、ここでも、異常はなし。
8日に、担当医師による総合診断結果を聞くことになっています。



まあ、とりあえず「腹の中を胃から腸まで探られて無事」でした。
自己診断すれば黄昏・徘徊老人の「自律神経失調症」かなと思っています。
プロ野球日本シリーズ、日本ハム2連敗後、
怒涛の4連勝を見ることができなかったのは残念でした。