たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

「鎌倉殿の13人」千葉常胤の猪鼻城を見てきた

2022-07-11 15:22:49 | 社会見学
令和4年7月11日 「日本停滞」を望んだ民意??
参院選挙結果は「自公」政権の継続が圧倒多数??
これでは「日本は何も変わらない」ではないか??



立候補者の皆さんの「お花畑公約」なんて、
所詮、実現できるなんて実は、思っていない。
「議員として6年間、優雅になりたいだけ」
2期3期12年も18年も、いい身分で居られる。



一昔前に「自民党をぶっ壊す」と言って、
「自民党を立て直した」首相がいました。
「日本をぶっ壊す」と言って、
「日本を立て直す」リーダーが居ないですかね。



「NHKをぶっこわーす」党から一人当選した。
日本を支配する岩盤的堅固な体制や制度--、
既成秩序「エスタブリッシュメント」をぶっ壊す。



84歳、耄碌爺の妄想ですよ。



ところで、NHK大河「鎌倉殿の13人」、
これから面白いクライマックスになるのかなーー?
坂東武者の重鎮になっている、
千葉常胤の旧城址・猪鼻城を見てきました。



千葉常胤(ちば つねたね)
平家に敗れた源頼朝を助け兵300を率いて救援、
東国支配確率のため鎌倉幕府樹立に大功を立てた。
頼朝からは「父も同然」と感謝される坂東の重鎮。



常胤の最初の居城が亥鼻城(いのはなじょう)、
現在は千葉県庁前の亥鼻公園の一角に、
「千葉城」として復元されたお城になっています。
天守閣に上がれば千葉市内が一望できました。



千葉県のお城としては「大多喜城」「久留里城」など、
見てきましたが県庁前に「千葉城・猪鼻城」という、
お城があるなんて、初めて知りました。
千葉常胤をイメージした銅像が建てられている。



お城は5層建てで「千葉市立郷土博物館」として、
千葉氏(千葉市)の歴史が資料とともに、
語られています。入場料はフリーでした。



JR千葉駅には久しぶりに行きましたが、
すごくきれいな大きな駅ビルになっていて、
たまに出歩くと、びっくりすることが多い。
「爺も歩けば」ブログのネタになる。

「TOKYO街旅」隅田川5橋を渡り歩きました―下

2022-07-03 20:32:11 | 社会見学
令和4年7月3日 暑い7月になりました。
5月の連休の後、墨田川に架かる5つの橋を、
2日がかりで徘徊した記憶を掘り起こしています。



2日目は大江戸線「勝どき駅」からスタートでした。
東京の地下鉄線は新しいほど地底深くなっている。
まさに地底都市駅です。歩いてはとても出られない。



「直下型地震」に遭遇したとき地下鉄に乗っていたら、
「どうなるか」想像したくないですね。
最近はこんなことも考えられる。「ウクライナ」
ミサイル攻撃の「シェルター」にもなるかな??
いずれにしても「地下駅に居たら」安全なのか生き埋めか。



長いエレベーターを乗り継いで、地上「晴海通り」に出ました。
道路の左正面に「勝鬨橋」が見えました。
少し寄り道するために「勝どき橋交番」の前を右折して、
西仲通りを月島もんじゃストリートに出ました。



月島川に架かる「西仲橋」から「月島川水門」をパチリ撮影。
アジサイが咲きベンチもある「月島川遊歩道」を川沿いに歩き、
「月島川水門テラス連絡橋」に出て、「水門」をパチリ。
この辺のことは、前回の分に書いて写真も載せました。
この「連絡橋」からの眺めが素晴らしく、
隅田川徘徊の最終回は、ここから書き継いでいきます。



対岸の光景、「勝鬨橋」全景が目に入ります。
広い遊歩道を歩き、勝鬨橋の下をくぐると、
美しい曲線の「築地大橋」見えます。
対岸は「旧築地市場」の船着き場がみえます。
広い「墨田川テラス」公園で一休みしました。





浜前橋に上がって「築地大橋詰広場」にきました。
この辺は工事中で巨大なビルが建設中でした。
環二通りに架かる「築地大橋」に上がるには、
橋の袂の「エレベータ」で上がります。
自転車も入るエレベータです。





上がりました。
橋の上とは思えな広い道路でした。
歩道と車道は一部、分離しています。
緩やかな勾配と曲線が描く巨大な橋でした。



東京五輪に合わせ造られた橋で、
移転した「豊洲市場」に直結しています。
橋の先「環二通り」を進むと新橋を経て、
「虎の門ヒルズ」直下トンネルを通り抜け外堀通りになる。



橋の中央から「朝日新聞社」の社屋が見えます。
橋から降りたら、市場跡地の整備中の工事現場でした。
朝日新聞社を左に見ながら「築地場外市場」に入りました。





「海鮮丼」にするか「お寿司」にするか、
「総合案内所・ぷらっと築地」に立ち寄り、
お勧めの情報を得て、詳細な店舗案内図を入手しました。
物凄い情報量の詰まった店舗詳細地図です。





「海鮮丼」を選択し、お勧めの小路に入り、
呼び込みに誘われ「つきじかんのん」で腰を下ろしました。
いろいろ多彩な鮮魚が入っていましたが、
載っていたマグロの切り身が薄かった







その後、鮮魚、乾物の密集する小路をぶらつき、
「波除稲荷神社」にたどり着きました。
「夏越の茅の輪くぐり」をして参詣しました。





その後、私たちは、…おっと、実は、
これまで独りで歩いていたみたいな記事でしたが、
4人のご婦人にご同行していただいていました。





晴海通りに戻り「築地本願寺」に入りました。
本堂に上がって小半時、お経を聞きながら瞑目し、
しばし疲れと興奮を沈める時を過ごしました。



本願寺に隣接している「メトロ日比谷線築地駅」から、
帰路に就きました。
「市場歩き、また来たいね」が、
ご婦人方の感想でした。お疲れさまでした。

掲載した写真と記事がフィットしていません。
後日、見直したいと思っています。
お見苦しい点はごめん。
ありがとう。

「TOKYO街旅」隅田川5橋を渡り歩きました―中

2022-06-29 15:01:12 | 社会見学
令和4年6月29日 異例の速さで「全国的に梅雨明け」です。
6月が終わる。高齢者には命に係わる「酷暑の夏」が始まりました。
前回に続いて、隅田川の5つの橋を歩いた記録を書いています。



「中央大橋」を歩いて佃島に入りました。
開拓漁民によって干拓されれた「佃煮」発祥の地です。
今ではタワービルが林立するウォターフロントですね。



高層タワービルの中を通り抜け「佃公園」の川端に出ました。
「石川島灯台」「住吉水門」「住吉神社」「佃小橋」を回わる。
「佃煮屋さん」も2.3ありましたが休業していました。









③「佃大橋」に上がりました。大きな平らな橋でした。
広い歩道があり、人通りもあまりなくいい感じです。
上流を見れば「中央大橋」とスカイツリーが見えます。





下流を見れば「勝鬨橋」が目に入り、
「水上バス」が往来していました。



橋自体はまさに「道路の延長」といった普通の橋です。
上流下流右岸左岸、眺望は素晴らしいものでした。
右岸は明石町、聖路加ガーデン・ツインタワーが、
ひときわ目立って、目に飛び込んできます。



「佃大橋」を歩き対岸に出ました。明石町です。
「聖路加病院」を中心に歴史的な建造物・遺跡地区です。
花壇やベンチが置かれ、整備された墨田川テラスが続きます



高層ビルを見上げながら「勝鬨橋」の袂の公園に着きました。
「晴海通り」です。通りの向こうは「旧築地お魚市場」です。
「勝鬨橋資料館」に寄り、往時の「跳ね橋」の仕組みを見学。







④番目になる「勝鬨橋」を渡る。
中央の「分かれ部」は隙間になっていて、
大型車が通るたびに波打ちます。
渡り切れば「月島地区」です。



高層タワービルが林立しています。
橋の下に降りて「月島川水門テラス連絡橋」に出ました。
墨田川テラスの遊歩道がこの水門で途切れていたものを、
「連絡橋」で繋いだものです。





素晴らしい川面と橋と対岸がばっちり見えます。
「月島川水門」も「西仲橋」と「連絡橋」からと、
裏表両方見ることが出来ました。




(以下、次回に続く)

「TOKYO街旅」隅田川5橋を渡り歩きました―上

2022-06-27 13:16:33 | 社会見学
令和4年6月27日 今週で1年の半分が終わる。
84歳の誕生日が過ぎたら急に「ガクッと」来た。
左膝の痛みに「ヒアルロン酸」を5回注射した。



「関東甲信」が梅雨明けしたと発表されました。
睡眠障害で気が滅入る「鬱気味の半年であった」
ご近所、道野辺徘徊しても「妄想力」も衰えた。
緑陰の葉擦れを聞きせせらぎの川辺で眠りたい。



たにしの爺さん、「三途の川」ならぬ、
隅田川ウォーターフロントを徘徊しました。
何年も前から念願していた徘徊コースです。



門前仲町駅から永代通りを「永代橋」まで歩く。
下に降りて川沿いに歩き「中央大橋」まで行く。
「中央大橋」を渡り「佃島」に上陸し散策する。



「佃大橋」を渡って明石町側の川沿いを歩く。
「勝鬨橋」の麓まで行き、資料館を見学する。
「勝鬨橋」渡って対岸の「月島水門」を見る。



右手の対岸に「築地市場船着き場跡」を見ながら、
東京五輪に合わせて造った「築地大橋」へ向かう。
隅田川にかかる最も新しい大橋を渡る計画でした。



●5月の連休後に出かけた記録です。
老体の身では流石に、1日では無理でした。
天気も良く風に吹かれて5橋を2日かけて、
渡り歩き、「築地本願寺」がゴールでした。



①まず、「永代橋」へ。
メトロ門前仲町駅からスタートです。
「3番出口」を出るとそこは「永代通り」です。
「江戸情話」人情の街「深川」の中心ですね。
歩道に出ると「テイカカズラ」の甘い香りが漂います。



香りに包まれながら歩きます。
江戸時代から続く繁華な通りです。
史跡の表札も幾つかあります。


門前仲町駅3番出口、渋沢栄一住居跡、佐久間象山邸の跡

「永代橋」袂に来ました。
時代を感じさせる「大きな青い鉄橋」です。
美しいアーチ曲線構造の重量感が圧倒します。





橋の歴史は江戸時代の「大川渡し」が始まりですね。
時代小説の物語には、この渡し(橋)が登場します。
「大川渡り」なしに「江戸の話」は成り立たたない。



橋の両側には、ゆったりした歩道が整備されていて、
安心して川の両岸を見ながら歩くことが出来ました。
橋に入ると眼前には、素晴らしい景観が広がります。
左サイトを見ると青い川面と超高層ビルが林立する、
佃島リバーシティが、圧巻の眺望で目に入ってくる。



橋を渡り切り下に降りる階段がありました。
川辺に沿う「隅田川テラス」新川公園です。
ご近所の住民が管理する花の道が続きます。





次に渡る「中央大橋」の下まで来ました。
そのまま進み亀島川との合流地点にある、
史跡「霊岸島水位観測所」まで来ました。
残念ながら修復中とあって外観だけです。





②「中央大橋へ」--橋の下に戻り、
スロープを上がり橋の上に出ました。
八重洲通りに架かる中央区の「シンボルブリッジ」です。





以下、Webからの紹介です。
2本の角柱が斜めに伸びて塔頂部で接合され、
さらに末広がりに伸びる「A形形式」。
隅田川はパリ・セーヌ川と姉妹関係を結んでおり、
その関係でフランスのデザイン会社が設計しています。





中央橋脚部分には当時のパリ市長ジャック・シラクから、
友好の印として前衛彫刻家オシップ・ザッキン作の彫刻、
『メッセンジャー』(messenger)が配されています。
写真を撮りましたがよくわかりません。





佃島に向かって広い歩道が整備されて、
花壇もあり休憩ベンチもあり、川風が心地よい。
上流を見れば、永代橋の向こうには、
スカイツリーが見えてビューポイントでした。





右手には佃島の先端「石川島公園」パリ広場が広がります。
(以下、次回に続く)

上野さくら、不忍ノ池、青柳の花と桜、神田明神、湯島聖堂

2022-04-05 10:41:50 | 社会見学
令和4年4月5日 今日は二十四節気「清明(せいめい)」です。
「すべてのものが清らかで生き生きしている」という意味を表す。
花が咲き蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃です。

公民館サークルの9人で久しぶりに上京して、
上野・神田の街歩きをしたことの続きを書いています。
清水観音堂から続いて「不忍池辯天堂」に向かいました。
辯天堂には「大黒天(だいこくてん)」が祀られています。



短い参道の両脇には、多彩な食べ物の屋台が並び、
参詣者でかなりの密状態になっています。
そのまま弁天堂への階段に繋がっています。
ここでランチを予定していましたが、
諦めて次に進むことにしました。





蓮池の中のサクラ並木も人の群れで、
ベンチも塞がっていて座れません。
異国の言葉もかなり響いてきます。
入国者制限数の緩和が進んでいる?ヤバいな~





しだれ柳の芽吹きが盛りで、サクラと花の競演で魅せます。
サクラ、青柳の芽吹き、スワンボートを見ながら、
池之端の交差点に出ました。



そこから受験生たちの聖地「湯島天神」に向かいました。
結婚式を挙げたばかりのお嫁さんを目の保養にして、
ようやくランチに摂ることが出来ました。
この後、神田明神、湯島聖堂を回りました。











二つの聖堂をつなぐ聖橋を渡たりました。
橋の下は神田川、中央線、総武線、地下鉄丸ノ内線が走っています。
ニコライ堂(ロシア正教)に向かいましたが、
門が固く閉ざされています。



プーチンのロシアの「ウクライナ侵攻」
と関りがあるのかと見ましたが、
「コロナまん延防止」で公開停止中でした。

今回の「聖地巡礼」は正月企画でしたが、
コロナまん延の自衛策で延期になっていたもので、
花の季節になって実行することが出来ました。

爺にとっては、
このコースは個人的に何回も徘徊していますが、
大勢(女性が大半)で季節も異なり、それなりに楽しめました。
やはりご近所、独り徘徊より、たまには、
遠距離徘徊がいいものだと実感しました。

上野公園さくら、清水観音堂、月の松、枝垂れ桜

2022-04-04 10:40:17 | 社会見学
令和4年4月4日 冷たい雨が降っています。
「寒の戻り」とかで、昨日から寒い日ですね。
散り始めた桜花が冷たい路上に濡れています。

2日の土曜日は奇跡的に好天に恵まれました。
公民館サークルで上野・神田をめぐりました。
久しぶりの活動再開で上京しての街旅でした。



住居の周辺でも、桜はいくらでも見られます。
でもやっぱり「上野のお山のサクラ」は違う。
座り込み宴会禁止でも人の群れが続いていた。





桜並木と人の群れが、ずーっと続いている公園の奥まで行かないで、
私たちはまず、京成上野駅から一番近い清水観音堂を拝観しました。
京都清水寺の舞台に模した舞台は狭く、拝観者で一杯でした。





ここは、歌川広重が「名所江戸百景」で描いた、
「上野山内月の松」を見ることができます。





本堂裏手には「秋色桜(しゅうしきざくら)」という、
江戸時代から知られる桜があるという。
この枝垂れサクラがそうだと思います??。





「サクラは上野に限る」なんて自問しながら、
私たちは「不忍池辯天堂」に向かいました。
陽光桜も見事でした。




(つづく)

成田山新勝寺へ「交通安全お礼参り」に行ってきました。

2022-01-23 12:20:15 | 社会見学
令和4年1月23日 早くも1月は下旬ですね。
晴天が続いていましたが、今日は曇り空です。
大寒の20日に、成田山参詣に行ってきました。



交通安全のお守りのお礼参りです。
何年も続いている新年の恒例参拝。
例年は小正月までに行ってました。
コロナ禍とあって、遅らせました。



駐車場はガラガラで、境内もまばらな人出でした。
かつては駐車場まで寸刻みで進み3時間以上かかりました。
本堂に上がるにも渋滞、お賽銭も遠くから投げていました。
成田山と言えば「節分の豆まき」が有名です。
今年も規模縮小、一般参詣者は入れないようです。



ところで今年は、
たにしの爺には決断しなければならないことがあります。
「交通安全の守り」が最後になるのか、ということです。



4月が「免許証の更新月」になっています。
84歳、世に言う「高齢者ドライバー」です。
「更新すべきか」「返納すべきか」悩ましい。



生活すべてに「危機管理」を最重点にしている。
中でも「安全運転」には留意し無事故を継続している。
一番の危惧は運転中の発作など「体調急変」です。
大事故につながる一大事発生になる。



「更新手続き」の葉書が来ているが、どうしよう。
運転しなくなると、ブログネタ探しも狭くなるなぁ~
生活上の行動半径も狭くなり、老化が進む感じがする。



今年は成田山で「交通安全」のお守りのほか、
「病気平癒御守」もいただいてきました。
今春、大手術を受けることになっている、
ブログ友に「送ってあげます」絶対大丈夫。

晩秋の吾妻路、墓参と「八ッ場ダム」巡り

2021-11-22 11:09:58 | 社会見学
令和3年11月22日 二十四節気の「小雪・しょうせつ」。
大気が冷え雨が雪へと変わる頃になります。
全国的に低気圧が発達し荒れたお天気です。
北海道釧路地方は初雪になっているという。

しばらく晴れの日が続いていました。
道野辺の徘徊の路は「木の葉時雨」。
落ち葉が敷き詰められ「カサコソ」。
枯葉が風に転がって追い越してゆく。



たにしの爺、群馬吾妻・嬬恋に仏縁の姻戚がございます。
このほど、コロナ禍で遠慮していた墓参をして参りました。
晩秋の山間の高台に建つ墓標は静寂に満ちていました。



ああ、このような秋風景に自らが佇むのは、
何十年ぶりになる記憶なのだろうか。
すべてが感慨無量の心地でした。
ありがとうございました。



翌日は「八ッ場ダム」を見学しました。
完成前の工事現場見学ツアーに参加したことはありました。
貯水された「八ッ場ダム」を見たいと思っていました。


吾妻線川原湯温泉駅の改札コンコースから見えたダム湖水の一部

吾妻線「川原湯温泉駅」からスタート。
八ッ場ダムの象徴になっている「不動大橋」から、
「八ッ場大橋」とダム湖水を跨ぐ橋を2本渡りました。
↓不動大橋です。
ダム建設を巡る「あれこれ」の象徴としてニュースに何度も登場しました。







↓「不動大橋」からダム湖の眺め。紅葉の名残が湖面を映していました。



↓建設途中にはバンジージャンプが行われていた「八ッ場大橋」を通る。



「ダム見放台」からの眺めです。







ダム本体の上から放水を見る。



↓エレベーターで降りて巨大な隔壁を見上げました。


左下の入り口がエレベータの昇降口です。






迫力満点の放水口です

「管理支社、資料館」でダムの仕様や仕組みを学びました。
月曜日でしたが好天にも恵まれ、大勢の旅行者でにぎわっていました。
↓川原湯温泉の象徴として親しまれていた立ち寄り湯「王湯」。
湖畔の岸に引っ越して営業しています。入湯料500円。



↓ダムの下流に残されている「JR旧吾妻線の線路」の一部が見えました。



この後「吾妻峡」の一部「猿橋」付近を歩いてみました。



紅葉の盛りを過ぎていましたが、
深く切れ込んだ岩肌の底を流れる、
吾妻川の流れを見ることが出来ました。



ご案内くださったお二人に感謝します。
ありがとうございました。
とても楽しく「八ッ場ダム」のすべてを見学できました。

「連れて逃げて……♪♪」行けない矢切の渡し

2021-04-08 12:15:13 | 社会見学
令和3年4月8日 今日は花まつりの日です。
仏教の開祖お釈迦様のお生れになった日です。
3月26日に柴又矢切に行ったことを書きます。



コロナ自粛でしばらく中止していた「小旅会」
久しぶりに東京柴又帝釈天に行って来ました。
桜花が盛りの3月26日、好天に恵まれました。



♪♪連れて逃げてよ、ついておいでよ、
夕暮れの雨が降る矢切の渡し……♪♪
名曲「矢切の渡し」の一節です。


「矢切の渡し」の歌詞の碑

「矢切の渡し」
東京葛飾の柴又岸から、千葉県松戸岸をつなぐ、
江戸時代から残っている手漕ぎ船による渡しです。
小説の舞台や歌謡曲にも唄われる名所ですね。



ところが現在、船は出ているが向こう岸には着かないで、
戻ってきてしまいます。
「ついておいでよ」と連れて逃げても、
対岸に行かないで戻されてしまう。
柴又岸から野菊の墓文学碑には行けませんでした。



運航休止の訳は、松戸側の接岸施設が補修工事中で、
船の発着が出来ない。従って、
船は出て行っても戻ってくる運行になっています。
5月中旬ころまで運航休止になるようです。



私たちは「寅さん映画」でお馴染みの、
河川敷野球場の近くの「ベンチでランチ」
花の咲き乱れる中、川風に吹かれて、
久しぶりにいい時間を過ごしました。



「寅さんが歩いて来る」お馴染みの江戸川堤を歩き、
花の河川敷を眺め、惜しまれて廃業になった「川甚」を見て、
「葛飾柴又寅さん記念館」へ、広場の桜が見頃でした。


惜しまれて廃業になって川魚料理の老舗「川甚」

「笠智衆さん御前様」の柴又帝釈天(経栄山題経寺)にも、
久しぶりの参詣になりました。
写真を何枚か並べます。









往路は、北総線の新柴又駅から柴又街道を歩くこと十数分、
帝釈天参道の入り口に着きました。
人出はパラパラでしたが、お店はほとんど開いていました。













復路。帰りは「さくらがお兄ちゃんを見送る」柴又駅から、
土産に名物「草ダンゴ」を一折下げて、
金町に出て常磐線で帰路につきました。


もう一軒の川魚料理の名店「川千屋」さんは盛業中でした

柴又駅前は、大工事中で「寅さん像」は囲いの中でした。
手焼きせんべいの匂いもありませんでした。

「今井の桜」から、カンナ街道、鮮魚街道、石尊阿夫利神社

2021-04-01 14:30:25 | 社会見学
令和3年4月1日 今日から4月です。
黄砂と共に桜の舞い散る日が続きました。
地廻りの桜は堪能したので、車で遠回りの桜に行った記録です。



★「今井の桜」堤、カンナ街道、印西市松山下公園



手賀の丘公園に行く途中に「今井の桜」という、
知る人ぞ知る田圃の中に「桜並木」があります。
狭い用水の両側に古木の桜並木が2キロほど続いています。



その桜並木の南側を沿うように、
季節になると、道端にカンナの花が咲いている。
「カンナ街道」があります。



「カンナ街道」はしばらくして、桜並木から離れて、
「下手賀沼」の南側を縫うように、見通しの良い田圃の中を走ります。
大きく左カーブをして直進すると「木下(きおろし)街道」に出ました。



信号を待って木下街道を横切ると、印西市松山下公園です。
野球場、陸上競技場、総合体育館があり、
千葉国体ではボルダリングの競技が行われた。
公園は少し高台になっていて、廻りは田圃ばかりです。
桜をイメージしていましたが、サクラはありませんでした。



★木下街道、石尊阿夫利神社、鮮魚道(なまみち)

駐車場から木下街道に降りて右折すれば、
布佐、成田線木下駅近くを通って、
利根川を渡り茨城県の竜ケ崎方面に通じています。
左折すれば、白井、鎌ケ谷、中山競馬場脇を通り、
市川経由で国道4号線、下総中山駅近くに出ます。

松山下公園を出て鎌ケ谷方面に数分走ると、
右側に大きな「石尊阿夫利神社」の一の鳥居が見えてきます。
「石尊阿夫利神社(せきそんあぶりじんじゃ)」への入り口になります。
右折して、入った通りは「鮮魚(なま)街道」という、
謂れのある道でした。帰ってからgoogleマップで調べて分かりました。



3、4分、走ると右側に古寂びた森が続きます。
その中かに、これまた古寂びた「石尊阿夫利神社」が、
ひっそりというか、忘れ去られたように佇んで鎮守していた。



この神社には20年くらい前になるのかな、
かなり昔です。ドライブ中にたまたま立ち寄りました。
祭礼の準備中で、神輿を手入れ中の氏子さんから話を聞きました。



この神社の祭礼の見どころは「神輿落とし」だという。
神輿をヒックり返したり、落としたり荒っぽく扱うほど、
ご利益があるのだという。



改めて例祭の宵祭りに、子どもたちと出かけました。
月明りと灯篭の灯だけの境内で、神輿が転がされ、
ひっくり返され、やがた、石段を駆け上がり奥宮に奉納されました。
奇祭というべきなのでしょうか。
今回、図らずも長い年月を経て、お礼参りになりました。



祭りの写真も幾枚か撮りましたが、当時はフィルム写真で、
ブログアップに際し、探しましたが分かりませんでした。
石尊阿夫利神社例大祭(梯子立て)



境内には由来が書かれている説明板が立っています。
明和元年(1764年)に銚子の海底から2個の青石を引き揚げ、
不思議なご利益があることが分かり論議の末、「石尊」として奉納、
以来、地域の人々に親しまれているという。
(難しい案内板を意訳しました)



今回走った道が「鮮魚(なま)街道」と知りました。
地図で見ると、利根川河岸から松戸まで、
木下街道に並行するように、分岐したり、繋がったり、
松戸付近まで続いています。
何処が終点なのかさえ分かりません。

いつの頃からかそう呼ばれたのか「なま道」。
名前のごとく鮮魚を運んだ街道を当時、
そう言っていたのでしょう。



銚子沖や九十九里周辺で水揚げされた魚貝類を、
利根川を舟で運び木下河岸から、「木下街道」経由で江戸市中に運んでいた。
その後、新田開発などで布佐河岸から松戸を結ぶ道が開通して、
新ルートでの輸送が主流となり、鮮魚(なま)街道と呼ばれるようになった。
この辺のことはWebからの知識です。

いま、自分が走っている道が、
そう呼ばれていたなんて初めて知りました。

★風間街道、「十割蕎麦の彦兵衛」、鎌ケ谷宿、浦安へ

鮮魚街道で「白井工業団地」の中を通り抜け、
「16号」の白石市冨塚十字路に出た。
そのまま突っ切ると「風間街道」になります。
この街道名は以前から知っていましたが、
なんでそう言うのかは知りません。

急カーブをする左手に京葉ガスの野球場があり、
向かい側に「十割蕎麦の彦兵衛」があります。
この蕎麦屋さんには年に3、4回通います。
蕎麦は信州と北海道と越前から選べて、
揚げたての天ぷらが舌妙にマッチします。

風間街道を走っていくと、西白井団地を通過して、
「464・北千葉道路」を横断します。さらに進むと、
「鎌ヶ谷大仏」の近くで「木下街道」と合流します。
その先は前述したように、
鎌ケ谷、馬込十字路で「船取街道」を横切り、
船橋の丸山道、中山競馬場、市川を経て、
「14号」の「下総中山」にでます。東京湾に近いです。

地図を眺めていると、
「木下」「鮮魚」「風間」の三街道は並行したり、
途切れたり、合流していたり判然としません。
「利根川」の水運から「内陸部」への荷馬車街道だったのでしょう。

地図で見ると街道筋には「神社のマーク」が多いです。
運送の安全とか休養地だったのでしょう。
往時は馬の背に、荷馬車に、海産物が積まれていたのでしょう。

道幅は往時とあまり変わりなく、狭く曲がって繋がっている。
今は大型トラックがバンバン走っている。
狭い歩道が申し訳程度に付いているだけの、危険な道になっています。

野馬駆ける緑の大地は、新田開拓、開発の歴史を彩り、
人が住み着いて今のような姿に、移り変わって来たのでしょう。
「今井の桜」堤は新田開発遺産なんでしょう。
「石尊阿夫利神社」は人々の祷の宮だったのでしょう。

長文、最後までお疲れさんでした。

ピカンテなグルメ、メキシカンランチを体験

2019-12-29 20:50:51 | 社会見学

令和元年の大晦日も近付いた27日、
メキシカンランチを体験しました。



メキシコ料理を体験交流する、
国際交流イベントを企画中のグループのみなさんと、
打ち合わせと取材を兼ねたランチ会に参加しました。



メキシコ料理と言えばタコスやトルティーヤです。
「タコス」とはメキシコ人のソウルフードで、
トウモロコシの粉で作る生地「トルティーヤ」に、
肉や煮込み、米、野菜などの総菜乗せたものの総称です。
このお店、平日はトルティーヤチップとスープは、
何枚でも何杯でもお替りできます。


タコスランチのプレート

お勧めのタコスランチを皆でオーダーしました。
チキンタコス、シュリンプとアボガド、ミートタコスが、
3枚のトルティーヤに盛られて、
3種類のソースというか日本風に言えば「タレ」が、
添えられていました。



どのタレ(ソース)もそれなりに辛いです。
トルティーヤチップに載せて食します。
辛味も慣れてくると後を引く味になりました。



飲み物はテキーラハイボールをチョイスしました。
20数年前に、
ストレートで味わったテキーラの強烈さはありませんでした。


サラダ

サラダをオーダーしてみました。
トルティーヤチップがベースになっていて、
その上に何やらいろいろ載っていました。



デザートも頼みました。
やはり、トルティーヤチップが敷かれ、
アイスクリームを中心に酸っぱい実が混ぜてありました。


デザートのプレート

店内は賑やかに飾られて異国気分が充満していました。
音楽は「ベッサメムーチョ」が流れていました。
「食の風景」はそれぞれのお国の「文化の形です」



「異文化交流」は「異国」の食卓に座ることから始まります。
新年はオリンピックイヤーです。
異国文化が日本に広がりますね。


お店の内景です

訪問したお店は津田沼駅北口1分。
メキシコ料理の老舗「サンズダイナー津田沼店」
いろいろ勉強になりました。

「たにしの爺」の食レポは酷すぎますね。
「ピカンテ」とは辛いというスペイン語。

この一年間、老爺の他愛もない「徘徊記事」にアクセスされた、
大勢の皆様、閲覧くださりありがとうございました。
とくに雨曇子さまのご贔屓に感謝しています。
皆様、よいお年をお迎えください。

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「TOKYO街旅」東京駅から皇居乾通り、「大嘗宮」を見て、北の丸公園、靖国神社の銀杏

2019-12-10 11:21:32 | 社会見学

前回は見物した「大嘗宮」の様子を記録しました。
今回はその道中歩いて見た様子のハイライトです。



東京駅正面の広場から真っ直ぐ伸びる行幸通りを直進。
両側の銀杏並木が黄金に輝き、高層ビルの谷間を飾る。



日比谷通りを通り越し、内堀通りの先には皇居前広場。
松の木が彩る広大なスペースが美景観となって美しい。









皇居外苑の規制ラインされた通路をぞろぞろ歩きます。
坂下門警備派出所の前えで荷物検査と金属探知を受け、
乾通りスタート地点になる坂下門から入場になります。



門をくぐると左手に皇居宮殿に通じる通路が開きます。
乾通りは右手に進みます。宮内庁の建物がありました。





通りの右側は堀になっていて巨大な石垣が続いている。
紅葉鮮やかな左側には蓮池参収所、江戸城局門がある。
江戸城道灌濠の先に皇居東御苑に通じる西桔梗門です。







今年は大嘗祭の舞台となった「大嘗宮」を見るために、
右折して急な石垣の間の道を上がり東御苑に出ました。





皇居東御苑の中央に大嘗祭の舞台「大嘗宮」があります。
規制された周回順路に沿って押し合い圧し合い歩きます。







「大嘗宮」に近付くにつれ歩みは遅くなります。
近くに白木で造営された臨時厠所がありました。
恐れ多くもマーキンギしていこうと思いました。
人をかき分けて行き用を足していると遅くなる。



思いとどまって、ようやく「大嘗宮」に接近できました。
「写真を撮ったら、直ちに移動してください」と警備官。





「大嘗宮」を正面から横からカメラを挙げてパチパチ。
平川門から出て毎日新聞社のパレスサイドビルに入る。
赤坂飯店の超人気「担々麺」を久しぶりに食しました。



パレスサイドビルから東京国立近代美術館の横を通り、
赤レンガ造りの重文建築旧近衛師団司令部庁舎だった、
東京国立近代美術館工芸館を見て、北の丸公園に入る。





園内を一回り、武道館脇の田安門から九段通りに出て、
靖国神社に入りました。大鳥居、大村益次郎象の両脇、
大銀杏の並木が見事に色付き、黄金に輝いていました。



メトロ東西線の九段下駅から帰路につきました。
春と秋に行われる「皇居乾通りの通り抜け」は、
坂下門から入り約900mほどで乾門から出ます。
今回は途中から曲がったので再訪問したいです。

東京都心は師走12月は「昼も夜も」キレイに輝く。




「TOKYO街旅」大嘗祭の舞台、「大嘗宮」を見物してきました

2019-12-07 13:36:43 | 社会見学

令和の皇位継承に伴う一連の行事の最後の儀式として、
11月14日~15日「大嘗宮の儀」
16日と18日に「大饗の儀」が執り行われました。







「大嘗祭(だいじょうさい)」儀式の舞台となった、
皇居・東御苑に特設された「大嘗宮」という建物が、
明日(8日)まで一般公開されています。





例年行われている秋の、
皇居乾通り公開も8日まで行われます。





併せて見学に行ってきました。乾通りは、
途中から「大嘗宮」見学コースに分かれたので、
通り抜けはできませんでした。





大嘗祭の舞台は公開後は、
取り壊しになっているということです。





以下は、宮内庁が報道用に公開したものです。
報道機関のWebから借用しました。



巣鴨地蔵通り、眞性寺六地蔵、すがも鴨台観音堂

2019-11-20 11:04:45 | 社会見学

前回、サークルの街旅で六義園に行ったことを書きました。
今回、その間で自由時間に立ち寄った2か所を追加します。



巣鴨駅から「巣鴨地蔵通り」入口にある、
真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺六地蔵。



大きな傘をかぶり杖を持つお地蔵様です。
菊祭りが行われていて賑わっていました。





もう一カ所は「すがも鴨台観音堂」です。
大正大学キャンパスの仏教文化施設です。
八角三匝(さんそう)の二重螺旋構造で、
いわゆる「さざえ堂」と言う所以ですね。



実は立正大学の学食「おうだい食堂」が目当てで、
「すがも鴨台観音堂」の存在は知りませんでした。



以前からWeb上で「鴨台食堂」について評判がよく、
機会があったら一度、訪れたいと思っていました。



六地蔵からは「地蔵通り商店街」を通り越して、
都電荒川線の庚申塚駅の踏切を越えて行きます。



さらに歩き立正大学のキャンパスがありました。
その一角に「観音堂」があり、菊祭の最中でした。
お目当ての「鴨台食堂」は隣の5号館8階でした。
ホテルのダイニングのような清潔感に溢れた食堂。



テーブルクロスの掛かったレストランで、
ナイフとフォークのランチになりました。
巣鴨に行かれたらお勧めのお食事処です。

「TOKYO街旅」 わずかな秋色・六義園 2019年11月12日

2019-11-16 14:15:35 | 社会見学

北海道地方は吹雪になっているという。
当地方は今日も秋天が続いています。
サークルの街旅で六義園と巣鴨地蔵通りに行きました。


しまっている染井門


正門を入ったところ


内庭大門

駒込駅から大通りの向かいに染井門があります。
普段は閉まっていて、塀に沿って歩き正門に回ります。


枯れ葉になっているしだれ桜

染井門が開かれるのは、
紅葉と大名庭園のライトアップの期間だけです。
今年は11月20日(水)から12月12日(木)まで。





六義園(りくぎえん)は、
1695年、五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、
綱吉から賜った地に下屋敷を造り、
そこに造成した庭園だと案内にあります。





内庭大門から入ると、
大きな「しだれ桜」が目に入ります。
春の開花時期にはライトアップされます。





大勢の見物人が押し寄せ大変な混雑になると聞いています。
この時期は「枯れ葉サクラ」ですね。



大名池を一回りしました。
マツを中心に緑葉樹多く紅葉模様はあまりありません。
ハゼなどのわずかな色付く秋色が見られただけでした。







ライトアップの時期になったら、
違った光景が見られるのでしょうね。
吹上茶屋では外国人がお茶していました。







都内にはいくつもの庭園公園があります。
街旅で上京した際、寄り道散策に、
憩いの時空間としていいですね。