たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

江戸博からニコライ堂、湯島聖堂、神田明神へ(3月16日の記録です

2016-03-31 10:49:47 | 社会見学

両国・江戸東京博物館でダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」を見た後、
お茶の水駅の聖橋(ひじりばし)に来ました。
橋の両側に東京復活大聖堂(ニコライ堂)と湯島聖堂があることから聖橋の名が付いています。
奇しくも一日で「3つの聖」に縁が生じました。
橋の下をJR中央線と総武線、メトロ丸の内線が地上を走る区域です。
さらに神田川も跨いでいるのがアーチの聖橋です。
この駅に降りたのは何年ぶりなのか記憶にありません。



はじめにニコライ堂に行きました。
正式の名は「日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂」という、
ギリシャ正教の教会です。大主教ニコライが1884年から、
7年の歳月をかけて建立したったことから、「ニコライ堂」の名で呼ばれています。





1923(大正12)年の関東大震災で破壊の被害に遭ったが、
聖ニコライの後継者セルギイ府主教と信徒の努力により、
6年間かけて再建し現在に至っているものだという。
日本では数少ないピザンチン様式の建築物で、1962年に国の重要文化財に指定されています。



信者でなくとも拝観時間内でしたら本堂に入ることが出来ます。
清掃・維持管理費として300円の拝観献金が求められます。
その際、黄色いローソクとともに案内書を戴きました。主な記述はその案内書によるものです。
ローソクは大きな蜀台に献灯しました。



聖堂内は荘厳な佇まいで、祈りの祭壇と椅子が並んでいました。
美しいステンドグラスの窓と、なにか祈りの儀式があるらしく、
左奥の空間には花輪が幾つも持ち込まれて準備をしていました。



このニコライ堂には50年近くも前になりますが、
ある女性のことが古い記憶として蘇ります。
それと藤山一郎が歌った「ニコライの鐘」が思い出されます。
一時はNHKのど自慢では定番になっていた歌ですね。
「ニコライの鐘」
♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
♪誰が読んだか 悲しい詩集 / 頁をひらけば 出てきた手紙
恋に破れた 乙女は今宵 / 何を祈るか 暮れ行く空に
ああニコライの 鐘がなる♪
(門田ゆたか作詞、古関裕而作曲)
聖橋を渡ればニコライ堂の鐘の音が聞こえます。
ニコライ堂

「聖橋」まで戻って橋を渡ると、すぐ右に位置するのが「湯島聖堂」です。
「湯島聖堂」は「孔子」を祀った「廟(びょう)」で「孔子の日本での墓」ですね。



「仰高門」境内への門です。
徳川五代将軍綱吉が元禄3年(1690)、儒学の振興を図るため創建した聖堂で、
その後、寛政9年(1797)に、幕府は直轄学校として、「昌平坂学問所」を開設したところです。
いまも幾つかの生涯学習のカリキュラムがあって、受講案内が用意されています。





「入徳門」の階段を上がります。



「杏壇門(きょうだんもん)」をくぐれば、大成殿の庭になります。



「大成殿」が孔子廟の正殿への入り口です。





訪れた日は「孔子像復元研究成果公開」の最中とあって、
普段は閉じられている聖堂が公開されていて、
孔子像の復元図や研究成果を拝見することが出来ました。
(2016年3月5日から21日まで)
普段は中を見ることができないと言うことです。



初めて訪れた場所でしたが荘重な境内には、
大きな孔子像があったり、梅やサクラの樹がありましたが、
サクラはつぼみの状態でした。



湯島聖堂

道を隔てたところが東京の神社総社の神田明神です。



これまで長文になってしまったので、
神田明神にはいろいろ見所がありましたが、写真2枚だけで詳細は略します。
神田明神

参加しているNPO法人の年度末の取材が立て込んで、
ブログ記事が滞って、季節の後追いになっています。

フェルメール「水差しを持つ女」とダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」

2016-03-27 17:58:28 | 展覧会・美術展

日本初展覧の絵画2作品を観賞したことを書いています。
両国・江戸東京博物館で開催中の、「レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の挑戦」。
「糸巻きの聖母」について前回に書きました。
今日はフェルメール「水差しを持つ女」です。





24日、小雨の寒い日でしたが六本木ヒルズ森タワー52階ギャラリーで、
「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」。
フェルメールの日本初公開「水差しを持つ女」を観賞してきました。
(1662年頃、油彩・カンヴァス、45.7×40.6 cm、メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
フェルメールの作品はあまり大きくありません。
窓から注ぐ光が柔らかく支配する空間が感動です。



30数点しかないフェルメールの絵画のうち、これで17作品を見たことになります。
これまでの鑑賞作品では、一番のお気に入りは「牛乳を注ぐ女」かな。
東京で観賞したフェルメール絵画―――、
2007年の秋国立新美術館で「牛乳を注ぐ女」
2008年秋、東京都美術館で「マリアとマルタの家のキリスト」
「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」
「リュートを調弦する女」「手紙を書く婦人と召使」
「ヴァージナルの前に座る若い女」の7点。
2009年夏、国立西洋美術館で「レースを編む女」
2011年春、渋谷のBunkamuraで「地理学者」
2012年春、渋谷のBunkamuraで「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」
2012年夏、東京美術館で「真珠の耳飾りの少女」「ディアナとニンフたち」
2012年夏、国立西洋美術館で「真珠の首飾りの少女」を観賞してきました。
2015年春、国立新美術館で「天文学者」
そして今回の2016年春、「森アーツセンターギャラリー」で「水差しを持つ女」

オランダの「風俗画」は静謐でキラキラしていて好いですね。
風俗画はオランダ絵画の人気分野の一つで、
代表的な画家を多く輩出しています。ヨハネス・フェルメール、
ヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホなど、
画家の目を通して、当時の日常生活を垣間見ることができます。



上の作品は「恋文」。2000、2005年に日本で公開されたが見損なってしまいました。





六本木ヒルズ森タワー52階からの眺めとタワーの外観です。
巨大すぎてカメラに収まりません。





ダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」とフェルメール「水差しを持つ女」

2016-03-26 21:27:16 | 展覧会・美術展

3月の終わりになって、日本初展覧の2作品をを観賞しました。
始めは、両国・江戸東京博物館で開催中の、
「レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の挑戦」。



日本初公開の絵画 「糸巻きの聖母」が超目玉作品です。
盗難と数奇な運命を経て持ち主に戻ってきた世界の至宝。
マスコミで紹介されていました。



このほか、レオナルドの直筆ノート「鳥の飛翔に関する手稿」も日本初公開です。
小ぶりのノートに小さな文字できっちり書かれた作品。
500年以上も前に書かれたレオナルドの思索の軌跡です。
自分の目の前にあることの奇跡に感動しました。



珠玉のレオナルドの素描や版画など約70点が展示されています。
そして最奥の部屋に「糸巻きの聖母」が淡いスポットライトの中に浮かんでいます。



ここまでは比較的、スムースに移動してきましたが、
ここからは、順番待ちの列がずーと奥の部屋まで続いていて、
係員の案内で並んだところに「60分待ち」のプラカード。
それでも並ぶこと30分くらいで、絵の前に立つ事が出来ました。
3分ほどじーっと見つめて押し出されました。
正直言って「この絵がどれだけの」物かはよく分かりませんでした。



「受胎告知」「岩窟の聖母」「最後の晩餐」「モナ・リザ」などの世界遺産の超有名な絵画。
また、科学、発明、解剖学、植物学などあらゆる分野の研究業績を残した、
500年前の万能の天才-レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の、
生の作品に接することが出来て好かったです。

このあと、両国駅から三つ先の御茶ノ水駅で降りて、
ギリシャ正教のニコライ堂、孔子の「湯島聖堂」、
隣りの「神田明神」を周って帰りました。後日、アップする予定です。



上野公園で連携開催されている「ボッティチェリ展」は昨年にも行われそちらを見ました。

「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」
ヨハネス・フェルメール「水差しを持つ女」は次回になります。

小豆島サクラ咲く、センバツ21世紀枠出場、佐渡ケ嶽部屋・琴勇輝「ホウッ」旋風

2016-03-20 18:15:50 | Journalism



春はセンバツから――サクラ開花のニュースが届き始めた20日、
第88回選抜高校野球大会が阪神甲子園球場で開幕しました。





連覇を狙う敦賀気比(福井)や20年ぶり出場の古豪・高松商(香川)など、
出場32校に混じって、21世紀枠として撰ばれた3校、
来春、学校が統合される小豆島高校(香川)、
大震災の被災地にある釜石高校(岩手)と長田高校(兵庫)、
西野カナさんの「もしも運命の人がいるのなら」で行進しました。



「国旗掲揚」の国歌斉唱には全日本学生音楽コンクール声楽部門1位になった、
東京都立総合芸術高校の間聖次朗さんと香川県立坂出高校の三次優夏さん。
若い清浄な歌声が甲子園の空に響きました。





小豆島の樋本尚也主将(3年)が選手宣誓をしました。
「日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます」
と来春、島のもう1校と統合する自校への思いをこめたものでした。



「宣誓
今から92年前、第1回 全国選抜中等学校野球大会が開催されました
その翌年に創部された僕の野球部は、
来年の春 高校の統合にともない新しく生まれ変わります

当たり前にあった景色がなくなる。その重みを僕たちは忘れたくありません
当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます

そして支えてくださる方々を笑顔にできるよう、
気迫を前面に出し全身全霊でプレーすることを誓います。
平成28年3月20日
選手代表 小豆島高等学校 硬式野球部 主将 樋本 尚也



小豆島高校野球部員は17人。選手全員が島出身。
小豆島といえば、壺井栄の小説「二十四の瞳」です。
大石先生と12人の子どもたちの名作映画の舞台ですね。



時と舞台は2016年の春、甲子園球場に変わって、
野球部員17人・34の瞳がグラウンドに輝くことでしょう。



そして、大相撲大阪場所で初めて金星を上げて輝いている、
佐渡ケ嶽部屋の琴勇輝関も同校出身です。
兄弟子の大関・琴奨菊の連覇へ援護射撃で奮闘しています。
3日目に日馬富士を押し出して横綱戦初勝利をしました。



この日はNHK大相撲中継の解説は師匠の佐渡ケ嶽(琴の若)でした。
目を潤ませて解説した師匠と、
涙を堪えて勝ち名乗りを受ける弟の姿が爽やかなシーンでした。



大関・琴奨菊、最後の仕切りで塩を掴み身体を反らす「琴バウアー」
琴勇輝は最後の仕切り前に、
自分に気合を入れて「ホウッ」が人気になっています。



この「ホウッ」について、白鵬が力士会の席上、名指しで、
「犬みたいに吼えるな」と文句を付けたという。



その白鵬とは今場所2日目に初対戦の取り組みがありました。
最後の仕切りで、琴勇輝は臆せず「ホウッ」と気合を入れて立ちました。



それに対し白鵬は「必殺の宝刀(凶刃)」左張り手、強烈右肘カチアゲ(エルボー)、
「どうだ、これがオレだぞ」と言わんばかりに睨んでいました。
琴勇輝は少しも悪びれず、爽やかに一礼して土俵を下りました。



優勝記録、勝ち星記録を更新中の白鵬ですが、
横綱として「その手はないよ」と言える勝ち星が幾つもあります。
勝つためには容赦しない「民族の血」の違いを見せ付けます。



また土俵上での振る舞いにおいても「如何なものか」と言えることもあります。
平幕の力士に文句を言う前に、横綱として自らを正すことが先ではないか。
NHKの中継アナも、よく出てくる元横綱の解説者も、
そのことに触れたがらないで、「闘志の表れ」などと口を濁している。





瀬戸内・小豆島からの爽やかな風が甲子園と土俵に春を呼んでいます。
目の保養をしていましたので、ブログの更新が空きました。

一雨ごと、芽吹きの雨に「新芽」が膨らみ始めました。

2016-03-08 17:57:41 | 散策の詩

立春を過ぎると一雨ごとに暖かくなり。
立秋を過ぎると一雨ごとに涼しくなる。

今朝は春の兆し朝靄が立っていました。
消えた後はポカポカの日になりました。



雨上がりの自然公園に行ってきました。



色を失って硬くなっていた道野辺にも、
木々の芽吹きが鮮やかさを増しました。
桜の花芽も幾分丸みを帯びた感じです。



足元を見るとツクシが伸びていました。



フキノトウは既に花になっていました。



ウグイスカグラが咲き始めていました。



池端のセントウソウは可憐な花でした。



向こうの枝にはカワセミが獲物を狙っています



少し離れた草には細身越年トンボが潜んでます。



ニワトコやアオキの新芽が大きくなっています。





見上げれば辛夷の白い花が咲き始めていました。
行き帰りの道すがら鶯の声が聞こえていました。

ロバート・ブラウニング、上田敏の訳「春の朝」

時は春、

日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。
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こんなゆるいブログを書いていて、いいのだろうか。
いま、一児の母が書いたブログ記事「保育園落ちた日本死ね」が、
永田町、マスコミ、Webに衝撃を与え拡散している。
いろいろ意見や賛否の声が飛び交っている。
その内容には、現代日本の問題点がさらけ出されている。

たにしの爺の世代が「こういう感情的な言い方」をすると、
キレる高齢者などと、冷笑されるだけでしょうな。

クロアチアの土産にイチジクジャムをいただきました

2016-03-04 17:54:49 | 頂き物

知人の女性がクロアチアに行ってきまして、
お土産のお裾分けに、イチジクのジャムをいただきました。
イチジクには老化を遅らせ、免疫力を高める効果があるとされています。
目下、老化に向かって進化中のたにしの爺には、
格好のお土産で毎朝、パンに塗って食べています。
乾燥イチジクを蜂蜜で時間を掛けて煮詰めたもので、
アドリア海の太陽が詰まった濃厚なお味です。

 

たにしの爺、クロアチアは永年の憧憬・憧れの国です。
とくに「アドリア海の真珠と謳われるドブロブニク」、
青いアドリア海の陽光とオレンジ色の家並みの旧市街。

昨年の秋、トルコ・イスタンブール経由で計画しましたが、
シリア難民の逃避コースになって計画を断念しました。
たにしの爺、一年ごとに老化は進化するし、
 手元流動性も不如意だし、果たして、
アドリア海の風に吹かれることが出来るでしょうか