たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

ぶらっと3キロ、徘徊路で出会う紫陽花 アジサイ

2018-06-27 20:52:40 | 散策の詩

最初に出会うのがトップの、青い一本紫陽花。
この時期、徘徊路で咲き乱れる紫陽を並べました。



梅雨も後半に入り、高温の日になっています。
体調良くありません。



この歳になって「親知らずが暴れ出し」
老歯科医師、汗みずくの苦闘で「抜歯」



痛みに弱い「80老爺」呻りと呻きの10分。
三白眼になって息絶え絶え、
口内一杯に血の海。



老歯科医師、「血液サラサラの薬飲んでいますか」
頷くたにしの爺に、「先に言ってくれないと…」
そっちが先に聞くものだろう(怒り心頭)



老医師、全力で引っこ抜く、
「しっかりし歯だ。痛かったですか」



当たり前だ80歳20本の口腔優良老人なのだ。
足腰だって毎日、8000歩以上徘徊。
朝のテレビ体操の20分を挟んで、40分の筋トレ。



首から下は鍛えることが出来るが、
首から上のパーツが痛んできた。



眼球、近く手術の予定。
奥歯、親知らずが暴れて顔面が歪む。



紫陽花も花も、そろそろ色褪せてきました。

これって桑の実??徘徊路の気になる実

2018-06-23 17:28:13 | 散策の詩

徘徊を日課にしている好奇高齢の「たにしの爺」
家を出て最初に通る家庭菜園の並ぶ道があります。

思い思いの花や垣根で菜園が並んでいます。
その中の一つの垣根に、この実がびっしり付いています。



耕作者が居られたら聞いてみようと思いながら、
何年も過ぎています。



桑の一種だとは思いますが、
爺の実家は幼少時代は養蚕農家でしたので、
桑に関しては知識があります。



よく食べていた桑の実とは、
ちょっと違うかな~



青い実から黄変し赤紫色に変わって、
最後は黒ずみ結構、長く生っています。

明治神宮御苑の花菖蒲を拝観してきました

2018-06-18 10:39:15 | 社会見学
今が盛りの花菖蒲を見ようと、
梅雨空の合間に「明治神宮御苑」に行ってきました。



原宿駅から神宮の境内へ、大鳥居をくぐると、
外国人観光客の皆さんばかりのようです。
御苑に入るのは日本人が多いようです。



御苑維持協力金として500円也を払います。
まあ、入園料ですね。





東門から園内に入ると最初に、
隔雲亭の前庭の御釣台の前に池が広がっていました。





大きな池は「南池(なんち)」です。
湖面にはスイレン、コウホネの花の島が浮いていました。





樹木の繁った小路に沿って歩を進めますと、
「花菖蒲田」が広がっていました。





周囲は森に包まれ茅葺の四阿が配置されています。
池の周りには大勢の「菖蒲見学」の人の群れです。





「たにしの爺」も写真を撮りながら、
さらに進むと清正井(きよまさのいど)に通じています。





御苑の最深部にある清正井を見ようと行列になっていました。
並ぶこと10分ほどで井戸に出ました。





木立と岩の間に江戸時代から涸れることなく、
こんこんと湧き出ている「清正井」。





花菖蒲田の水源になっているのだという。
冷たい水に手を浸してきました。



鬱蒼と茂る小路を辿り北門(正門)にでて、
ご社殿に詣でました。



明治神宮では現在、平成32年・2020年の完成を目指して、
明治神宮鎮座百年記念事業として、社殿群の銅板屋根葺替え工事中でした。



神宮の森は眩い新緑でした。
「うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」(明治天皇御歌)

父の日プレゼントにハズキルーペ、菊川怜ちゃんの尻圧に耐える

2018-06-16 18:52:42 | 頂き物

大活字本しか読めなくなった「たにしの爺」様に。
嬉しい父の日プレゼントが届きました。



ハリウッド俳優の渡辺謙さんが派手なアクションと、
菊川怜がミニスカと美脚でお尻アクションを魅せる。



ハズキルーペのテレビCMが話題になっています。
菊川さんがルーペに座っても壊れない柔軟構造。



早速掛けて新聞を読んでみました。
視野も広くなかなかいいです。



ヤスちゃんありがとう。
猫のクッキーも楽ししいです。

「蚤とり侍」ネコの蚤とりま~す。

2018-06-11 17:27:51 | 劇場映画

久しぶりに映画ネタのアップになりました。
やたらと大きく、新聞に露出記事が載っていたので、
梅雨にも入って、映画でも見ようと出かけました。

物語というかストーリーは「お下劣でした」
侍・武士は「藩」に仕えて「藩主」に逆らえません。

ときは田沼時代、商業が隆盛を極め、賄賂、汚職が幅を利かせ、
登城する意次(桂文枝)に、貢ぐ品々が城門の前にずらりと並ぶ。



映画の主人公は越後長岡藩の勘定方書き役のエリート。
小林広之進(阿部寛)です。歌会の席で、
藩主(松重豊)牧野備前守忠精の「戯れ歌」にケチをつけ、
怒りをかって左遷、人事異動になります。
異動先は貧乏長屋の「猫の蚤とり」業務です。

長屋を仕切るのは風間杜夫と大竹しのぶの夫婦。
夫婦の指導で「猫の蚤とりま~す」と街中へ。

早速、二階の窓から、お姐さん(寺島しのぶ)が手招きします。
なんとそのお姐さん、死なれた女房と瓜二つなのです。
蚤を取り始めましたが「下手くそ」と罵倒され、
すっかり意気消沈状態。

道で知り合った小間物屋の婿養子(豊川悦司)と居酒屋へ。
その伊達男殿、動くたびに、股間から白い粉が散ります。
訳を聞くと大店の嫁ご(前田敦子)猛烈なヤキモチ焼きで、
「浮気封じに」股間にうどん粉を塗られているのだという。



伊達男から「蚤とり」のトレーニングを受けます。
ここから先は「R15」指定の映画らしくなります。
大型スクリーン一杯に極色彩の寝間シーンが続きます。

伊達男の繰り広げるテクニックをすぐ脇で覗き見、見習い。
左遷侍もおみね相手に開脚、おっぱいポロリのトレーニング。
研究熱心の甲斐あって、一人前の「蚤とり侍」になっていく‥‥

「猫ののみ取り」とは実は、
「女性に愛をご奉仕する添い寝」業なのでした。
江戸時代にこんな職業が本当にあったのかな~
まあ、貧乏長屋に住む人間模様の喜怒哀楽を、
愛とユーモアに包んだ「江戸時代の風俗風景」

現代風に言えば、東京本社勤めのエリート君、出来すぎて、
上司のひんしゅくを買って地方営業所に飛ばされ、
その土地のおおらかで、本社にない人情味に触れて、
田舎暮らしもいいかな、なんて思い始める。

意次が失脚すると、状況は一変。
「蚤とり」業は犯罪になってお白砂へ。
河原で雁首そろえて「のこぎり引き」の刑に、
小林広之進の運命は、さて‥‥



キャストも監督も達者に揃っています。
映画の製作意図は何だったのでしょう。

関東甲信が梅雨入りしました

2018-06-06 19:51:18 | Lyricism

気象庁は6日、
近畿、東海、関東甲信地方で梅雨入りしたとみられると発表した。
平年より近畿は1日、東海と関東甲信は2日早い。

「たにしの爺」には、
特別に外出する仕事があるわけではないですが、
雨降りだと日課の「徘徊」が出来ない。



家に籠っていても、
薄曇りの中で過ごす日が増えると、
鬱々な気分になりやすくなる。

気分が不快になると、
思考のベクトルがネガティブになる。
「たにしの爺」ポジテブ思考には、
時代劇と、時代小説です。



いまNHKでやっている、
「鳴門秘帖」と「そろばん侍」に嵌まっています。
雨の日は映画もいいですね。
「蚤取り侍」という笑える映画を見てきました。
後日、記事をアップしますね。

「泣けて来る~」明治150年の平成30年の憲政

2018-06-05 16:43:12 | Journalism

平成30年(2018年)は、
明治元年(1868年)から満150年の年に当たります
明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、
明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、
国の基本的な形を築き上げていきました。

内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、
鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、
義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、
多くの取組が進められました。

また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、
外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、
日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。

政府では、
「明治150 年」を迎える平成30 年(2018 年)を節目として、
改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、
地方公共団体や民間企業とも一緒になって様々な取組をしています。
[内閣官房「明治150年」関連施策推進室]ホームページから




「日大アメフトの選手」と「霞が関の役人」
平成の御代も、あと1年を切りました。
国家の最高の試験の上位合格者を採用している、
「最強官庁・財務省」の上級役人20人が懲戒など処分された。
歴史として記録すべき「公文書」を組織ぐるみで改ざんしたという。



「監督・コーチには逆らえない」「忖度しなきゃ残れない」
そこで「たにしの爺」は麻生太郎財務相、および、
「処分されたお役人」の気持ちを「忖度」しました。



「ハイそれまでヨ」(植木等さん)

「私や妻が関与していれば辞めます」
テナコト言われて、休日返上、徹夜ハチマキ、
てんやわんやの財務省「改ざん作業」、
「忖度」の果ては「懲戒処分」だとよ、

♪♪フザケヤガッテ フザケヤガッテ
フザケヤガッテ コノヤロー
泣けて来る♪♪



平成30年に起きた「憲政」史上、面妖な出来事。
「木の葉が沈んで石が流れる」
あり得ない不条理がまかり通る永田町界隈。
「泣けて来る」のは役人でなく、国民なのです。

以上、たにしのアブク綴り

葉室麟「冬姫」―織田信長次女の「女のいくさ」物語

2018-06-02 13:48:34 | 本・読書

大活字本で読む歴史時代小説。
葉室麟さんの「冬姫」を読みました。

戦国時代の恐れを知らぬ剛腕・織田信長には、
多くの子どもが居たと知られている。
側室も多く、20人近い子を産ませているという。

信長の係累と言えば妹の「お市の方」ですね。
その3人の娘、茶々(のちの淀)、初、江、
ドラマや小説で、みなよく知られています。



信長の娘には、どんな姫たちが居たのでしょう。
正室・側室を含めて9人の妻がいたとされている。
正室の濃姫(帰蝶)には子どもが出来なかったとも??

今回読んだ葉室麟「冬姫」の物語は、
織田信長の正当な血筋を引く姫として、
次女となっている「冬姫」の生涯です。



冒頭の書き出し――、
「女は人を怨むと妖怪になるのです」
と、乳母のいおは冬姫に教えた。
永禄十年(1567)、織田信長の娘、
冬姫は十歳だった。



以下、物語の中からの要旨引用です――
冬姫は水晶の数珠をいつも首にかけている。
母の形見だからだ。冬姫は母の顔を知らない。

冬姫の兄弟、姉妹は多い。
いったい何人いるのかさえ知らない。
母親を亡くしている冬姫は、岐阜城で暮らしていた。

乳母のいおが日々、言い聞かせることは、
「武家の女は槍や刀でなく心の刃を研いで戦をせねばならないのです」
いおの言葉が冬姫の耳に残った。



岐阜城には、蒲生賢秀が信長に臣属の証として差し出した、
人質の蒲生忠三郎賦秀が居た。
忠三郎は14歳。凛々しく利発で信長に気に入られていた。

永禄十二年(1569)十二月、近江の豪族蒲生氏の日野城、
蒲生忠三郎賦秀(氏郷)の元へ冬姫は嫁いだ。
二人は十四歳と十二歳であった。



女同士の怨嗟や呪いや嫉妬など二人の身辺は禍々しい。
織田の血筋を任された蒲生氏郷は才知と豪勇をもって、
苛烈な戦国の世を冬姫を守り抜いていくのだった。

嗣子が途絶えたため蒲生家は寛永十一年(1634)廃絶となった。
冬姫は寛永十八年(1641)、この世を去った。

織田信長の娘として戦国の世を彩って生きた、
紅い流星のような生涯だった。
――結びの一節です。



戦国大名家に生まれた姫たちが、
戦略の資(かた)とし政略結婚のため、また人質として、
幼くして運命を担わされていた。

葉室麟さんの「冬姫」は織田信長の血筋を矜持として、
父への敬慕と、夫・蒲生氏郷への信頼を胸に秘めて、
「女のいくさ」を生き抜いた冬姫の気高さを、
見事に描き出しています。

秀吉に言い寄られて拒絶したり、
伊達正宗に横恋慕されされたりする。
振ったので二人の策略で領地替えにも遭う。

その度に氏郷の才略で「冬姫」を守る。
ミステリー要素もあって、最後まで、
一気に読ませます。お勧めです。

この作品は、2010年から2011年にかけて
「小説すばる」に連載、2011年12月に出版される。
その後、集英社文庫として刊行されている。



読んだ大型活字本は2016年2月、
大活字文化普及協会から3分冊で出版されたものです。
大活字本はストレスなく読めていいです。