たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

暑中お見舞い申し上げます。今日は「土用の丑の日」

2016-07-30 10:26:51 | Journalism

夏の丑の日と言えば、鰻、うなぎ、ウナギですね。
本日の新聞チラシはうなぎのオンパレードです。
スーパーの店頭売りで、
国内産養殖もの一本、約2,000円前後のようです。
デパートに行くと3,000円近くになります。

養殖用の稚魚シラスまで遡れば果たして、
純国内産と言えるかどうか。???
2年前には、日本うなぎは絶滅危惧種に指定されています。

うなぎに限らず、食品業界のウラ技には、
消費者は事実に迫れない加工ルートがあるようです。
表示商標を信じて買うか。買わないか。

たにしの爺、今日はうなぎに手を出しません。
先週、上京した際、銀座・登亭で買ってきて既に食べました。
鰻と言うと、たにしの爺には「登亭」が刷り込まれています。

昭和33年、受験で上京した際、
お世話になった恩人に付き添われ、ご馳走になったのが、「登亭」の鰻でした。
「うな重」初体験の記憶です。東京生活をするようになって、
帰郷の際は当時、90歳を超していた祖母へのお土産に、
「鰻弁」を買っていったことが何回かありました。
値段は記憶にありません。
貧乏学生の身で「鰻弁」を買えたのですから、
ほどほどの値段だったのでしょう。

近畿大学が開発した「ウナギ味のナマズ」がニュースになっています。
今日当たりは、「ナマズが鰻」になって売られているかも知れません。

それにしても、梅雨明け後の太陽日差しが、
一段と強烈になったように思われますな。
ご同輩の皆さん、熱中症には注意しましょう。
たにしの爺  拝。

関東甲信が梅雨明け 外出は避けて、脳トレで納涼

2016-07-28 16:26:54 | Journalism
気象庁は28日午前「関東甲信が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。
関東甲信の梅雨明けは、平年より7日、去年よりも18日遅いということです。

さあ、夏本番――。とは言ってみたが、
山に、海に、プールにとは、縁がなくなった徘徊人。
「ポケモンGO」には「バカモンNO」ということで、
「ボケ(惚け)もん」にならない予防のために、
「脳トレ」で暑さを凌いでいます。



コストは掛からないし、痴呆症予防にもなるし、
好奇高齢者向けには、最適な納涼レジャーですね。
購読している新聞に掲載されるパズルや間違い探しを、
辞書は見ない、寝っ転がって、鉛筆を使わないで、
埋めた字句を頭に記憶しながら、空欄を繋いでいきます。





全部の空欄を埋めるためには、
何回も同じ空欄を頭で再記入しなければなりませ。
回答のキーワードになる文字だけ、回答欄に書きます。
大体30分も格闘すると眠くなります。

うつうつする中で、回答のワードが浮かんでくることもあります。
夜に正式に寝ようと枕に頭をつけたら、回答ワードが、
ヒョット浮かんできたりします。

それにしても、毎週クロスワードを作っている方々は、
かなりの昭和人間ですね。
昭和時代かそれ以前の文化・文明・詩歌・風俗事象、ニュースなど、
当時の生活を営んできた人でないと知らない、出てこないワードが多いですね。
もっとも、平成人間に脳トレのパズルは不要かもね。

以前(2013年8月12日)、漢字ナンクロの問題を掲載したことがあります。
漢字ナンクロに挑戦、猛暑日は家の中で脳訓練をしよう

今でもアクセスが絶えません。
漢字ナンクロ、クロスワードパズルで暑気払いをしましょう。

北アフリカ・モロッコとノルウエー・オスロの土産

2016-07-27 10:43:50 | 頂き物

拙宅には年に3、4回、海外のお土産がとどきます。
ご近所の場合もありますが、大抵は同居人の女友だちからです。
PTA役員時代からのお付き合いで、気が合うのかよく行き来しています。

その彼女、海外旅行が好きというか、病み付きでよく行っているようです。
何処に行って、どんな旅行だったのかよく知りませんが、
同居人は、会う度に海外土産のお裾分けを戴いてきます。
戴いてきた本人に聞いても、よく説明出来ないので、
閑居している徘徊人<たにしの爺>は早速、Web検索を始めます。

ラベルやレッテルの文字をPCキーボードから打ち込むと、
何語かわからない横文字のサイトがぞろぞろ出てきます。
翻訳ソフトにかけると、なんとなく見当が付きます。
国が特定できたら、海外商品のネットショップにアクセスします
戴き物と載っている写真と同じ賞品を検出します。

国内旅行でさえ、土産品の買出しは面倒くさいのに、
はるばる海外から運んできて、
お裾分けを賜る彼女には改めて、爺からもお礼を申し上げます。
これからも海外土産のお裾分けは歓迎します。



さて、肝心の戴きものですがモロッコのデーツ(ナツメヤシ)のジャムペーストと、
北欧ノルウェーのコーヒーと雑貨です。
北アフリカのモロッコと北欧・スカンジナビアのお土産が一緒とは、
いかなるルートで回ったのでしょうね、道中記を知りたいものです。

「デーツ」とはナツメヤシの実だと知りました。
何千年も食べられ続けてきた食品で、
古代エジプトの壁画にも描かれているという。
砂漠の民たちの重要な栄養源かつ生産品とのことです。
この他、Webで中東における古代文明にも関わる、
「デーツ」に関するいろいろを知ることが出来ました。



次はオスロのカフェで買ったと思われるコーヒーです。
以下Webによりますと、北欧ノルウェーは、
個性的なコーヒーが飲める国だということです。
浅煎りで酸味が特徴的だということです。
戴いたままで、まだ味わっていませんので、違いは分かりません。
「デーツ」の方は毎朝、パンに塗っていただいています。
アフリカ地中海の民族の興亡の歴史が口に広がる味です。

海外土産のお裾分けをきっかけに、
その国の日常食品・雑貨類について知ることが出来たり、
おおよその値段も知ることが出来ます。

好奇高齢者を任じている<たにしの爺>自分ではこの先、
行くこともないお国の、食品・雑貨類のWeb検索を楽しませて戴いています。
ブログ読者にも片々情報ですがお裾分けします。

未だに梅雨明けしません。道野辺の野草を生ける

2016-07-26 22:23:16 | Lyricism

7月も下旬に入って、
学校は夏休みになっています。
22日は24節気の大暑も過ぎて、
30日は土用丑の日になります。
あまり関係が無いのですが、この時期になっても、
関東・東北は未だに梅雨明け宣言が出ていまません。
今日も雨がぱらついたり、曇り日でした。
明日も雨模様のようです。



久しぶりに道野辺の道を徘徊してきました。
日差しは無くとも暑さはありました。
大型のトートバックを担ぎ歩き、
道端の野草を刈り取ってきました。



道端といっても、人様の垣根・境界になるので、
素早く切ってバックに押し込みます。
バケツに入れておいたら同居人が生けたので記録しました。



このところ、旅行視察記ばかりで疲れましたので、
息抜きにしました。

山陰の旅―最終回は出雲大社で締めましょう

2016-07-25 18:20:09 | 国内旅行

6月に実施しました「山陰の旅」視察記録のアップ。
島根県の上がりは出雲大社の参拝とします。
出雲大社は縁結びの神様でもあり、
日本有数のパワースポットとされています。





ところで、最新のニュースとしては、
このパワースポットには「ポケモン」の侵入は許可されません。
「ポケモンGO」の境内での使用は禁止となりました。
出雲大社は、厳粛な雰囲気に影響が出るのを避けたいとしています。
「ポケモン」を追って、スマホを見ながらゾンビみたいに「ふらフラ」と、
出雲大社に限らず何処にでも、侵入していいはずがありません。





出雲大社参拝は今回で2回目になります(20年くらい前のことです)。
出雲大社の御祭神は大国主大神です。
その昔、大国主大神が天照大神に国を譲り、
その時に造営されたのが出雲大社と言われています
日本最古の歴史書「古事記」にも記されています。





平成25年10月に「平成の大遷宮」本殿遷座祭が行われて、
御祭神の大国主大神が修造された本殿に戻ってきました。
出雲大社のシンボルは神楽殿にかけられている大注連縄です。
旅番組のテレビでもよく映ることがありますね。
長さは約13m、重さはなんと4.5トンもありと説明されました。





神楽殿で昇殿祈祷を受け、お神酒をいただきました。
そのあと、拝殿にて二礼四拍手一礼のお参りをして、
全体像がよく見えないように出来ている本殿を拝み、
瑞垣を左回りしながら、本殿の裏に回って、
十九社や素鵞社の社殿を拝しました。





中でも真裏にある素鵞社が最大のパワースポットだと言うことでした。
国主大神の親神で、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが祀られているからです。





それから、御本殿西側から再度お参りすることだと教えていただきました。
と言うのは、本殿は南向きですが、
神様は西向きに鎮座されているので神様の正面、
西側からのお参りをして下さいということでした。





高円宮家の典子さまが嫁がれた出雲大社権宮司・千家国麿さん、
広壮なお屋敷が境内から駐車場に戻る道筋にありました。



今回、山陰を視察した目的の一番は廣島によることでした。
アメリカの現職大統領であるオバマ大統領が被爆地・ヒロシマを訪れ、
慰霊碑に花を手向け、瞑目の時間とともに、
感懐のメッセージを世界に発信し、持参したオリズルを残していきました。
そのオリズルをこの目で見たいと思ったわけです。
その意味については個人的な感懐になりますので記しません。

広島での記録は、既にアップしてあります。

この視察旅行を通じて思ったことは、
京都から山口までの山陰本線の全線を各駅停車で乗り継ぎたい。
しまなみ海道をチャリで渡ることが出来ることを知りました。
多分、実現はしないでしょう。

山陰の旅・まとめて山口県―萩城下町、松蔭神社、津和野の街歩き

2016-07-21 14:17:04 | 国内旅行

ブログ・アップをサボっていますが、
山陰の旅について記録しています。
島根寄りの山口県側の観光地を視察しました。
日本列島の西の端にあって、たにしの爺にとっては、山口はあまり縁のない県でした。
これまで上空を飛んだり、新幹線で通過したことはありますが、歩いたの初めてです。



長州・山口県は近代日本の礎になった明治維新胎動の地であり、
日本の国づくりに活躍された偉人・元勲の生誕地でもあり、
戦後歴代総理大臣を一番多く輩出した郷土ですね。



敬意を表してまず「萩城下町」に第一歩を下ろしました。
木戸孝允旧宅、高杉晋作の誕生地などが並ぶ一角。



江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁、呉服町すじを巡り、
重文の菊屋家住宅を見回りました。



当時の萩の通商・商いを一手に取り仕切った豪商の、
繁盛振りを今に残る佇まいに「ホー、ッツ」と言うばかりでした。

次に萩焼の工房にも立ち寄りました。
高価な芸術品からお土産品の湯飲みまで作品を鑑賞して、





記念に湯飲みを一点買いました。
次は長州・萩の極め「松蔭神社」です。



昭和43年(1968)明治維新100年を記念して建立され石碑、
「明治維新胎動之地」と記されています。



「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、
松陰が家族に宛てた遺書の中で詠われた、
有名な和歌が彫られています。



明治23年(1890)に吉田松陰を祀って、
私祠として建てられた神社です。
その後、何回かの改修、増築などあって、
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したものだという。

松陰神社の境内では、松下村塾が当時のままの姿で見られました。
近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出した松下村塾と、
隣接して吉田松陰幽囚ノ旧宅があります。





これらはともに「明治日本の産業革命遺産」として、
平成27年7月に世界文化遺産に登録されています。



この辺は「夏みかん」の名産地ということで、
大きな夏みかんが籠に入って売られていましたが、
生絞りの生ジュースを立ち飲みしました。
乾いた喉と食道に染み渡る爽やかさは格別でした。





同行者が傘のおみくじを引きました。快晴・大吉と出ました。
近代日本の夜明けを切り拓いた人々に敬意を表して、
大鳥居の下で一礼を捧げました。

このあと、津和野に向かいました。



SLの走るJR山口線の通る「津和野」は、
山陰の「小京都」と呼ばれる歴史の城下町として知られています。
これまで何度もテレビの旅番組や旅行雑誌やガイド本で、
津和野についてはイメージが出来上がっています。



白い土塀と掘割りを流れる清水には色とりどりの鯉が泳ぎ、
石畳の通りを若い女性グループがそぞろ歩きする光景。
明るい日差しと若い女性のお洒落れな旅装が似合う街。



そんなイメージもって、
「沙羅の木」という食事処の脇から始まる掘割りを見ました。
清流が流れていません。濁り水です。
色とりどりの鯉も何匹か泳いでいます。
かなり横幅の広がった大きな鯉です。
泳ぐというより浮かんでは沈んでいく「メタボ鯉」です。

ガイドさんいわく「雨上がりのせいもあるが」、
何年か前の台風で津和野川が溢れ、
街に洪水が流れ込んでから清流が戻っていないという。



メーンの通りになる「殿町通り」の両脇には、
教会や藩校跡、家老だった家並みが続いています。
短い時間でしたが好い街並み歩きでした。
津和野駅からは10分ちょっとの距離でした。
津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事の鷺舞の像はです。



駅で街のマップを見れば、行けなかったところばかり目に入りました。
このほか山口県では「瑠璃光寺」に行ったことは既に書きました。
山口市香山町にある国宝 瑠璃光寺五重塔
 最後まで、退屈なお付き合い感謝します。

映画「64-ロクヨン-後編」を観ました。サスペンスが一杯。

2016-07-16 15:49:49 | 劇場映画

2ヵ月前の5月17日に「前編」を観て、
「後編」を観にいかなければと思いながら、
広島など視察研修旅行が重なって、延び延びになっていた。
もう上映が終わっていないか気になっていましたが、
やっているシネマがありましたので大丈夫でした。
昼過ぎからの上映回でしたが、私を含め観客は4人でした。



ベストセラー作家・横山秀夫の小説「64(ロクヨン)」を、
前編、後編の2部作で映画化した「怒涛の巨編」ということです。



群馬県と想定される県警の広報官の佐藤浩市は、
以前は捜査刑事であったが今は広報官として、
捜査情報の出し方を巡って、県警記者クラブから、
突き上げられる日々を戦っていた。



昭和64年1月5日に発生し、迷宮入りした少女誘拐殺人事件。
通称「ロクヨン」--事件から14年が過ぎた平成14年、
新たな少女誘拐事件が発生した。

「後編」ここから始まる。被害者氏名さえ、
何も情報を知らされない広報官・佐藤浩市(三上義信)は、
署内をブン屋の如く嗅ぎまわる。

記者クラブに屯すブン屋たちは怒り狂って詰め寄る。
「前編」同様にこの辺が、どうも理解できない。
サツとブン屋は持ちつ持たれつで、
ブン屋さんは自分たちの足で真相に迫るものが、
警察発表を頼って、クラブに屯しているだけでは、
報道の自由が泣くというものだ。



まあそれはそれとして、
事件の推移が14年前の誘拐事件と似ていることを知った、
三上広報官(佐藤浩市)は独自に動き出す。



たにしの爺も前編を観終ったあとで、
ポスターのキャッチコピー「犯人は、まだ昭和にいる」
この意味が「後編」の筋になることは想定していました。
その通りでした。詳しくは映画館で観て下さい。





「前編」でも書きましたが、
広報官を演じる佐藤浩市と警察機構の上層部との確執。
記者クラブの面々と対立する苦悩ぶりが中心テーマです。
広報室の紅一点、美雲志織を演じる榮倉奈々が存在感を示しています。





と謳うメディアでの大宣伝に敬意を表して、
サスペンス感に溢れた映画でした。

山陰の旅・島根県③―世界遺産・石見銀山遺跡に3時間

2016-07-13 12:50:31 | 国内旅行

間合いが開きましたが、山陰の旅について記録しています。
2007年7月に「産業文化遺産」として、
大田市の「石見銀山遺跡」が世界遺産に登録されました。
その「石見銀山」遺跡で短時間でしたが研修しました。
「石見銀山」は日本鉱山史の重要な位置を占めていた「産業遺構」です。



あいにく雨模様でしたが石見銀山公園から片道40分の、
遊歩道を歩いて龍源寺間歩(まぶ)まで往復しました。
龍源寺間歩は現在公開されている唯一の坑道遺跡です。



当時の銀山には、大小600余りの間歩(坑道)があったと記録されたいます。
人がやっと立てるくらいの穴をノミ一本で岩盤を何千メートルも削り、
銀鉱石を掘り、運び出した穴が往時は縦横に続いていたものでした。
いまの私たちから見れば、とても人のなせる業とは思えないものがあります。





遊歩道の途中には鉱山集落跡の廃屋やお墓、
銀山で亡くなった方を奉った羅漢寺があります。
今は花の道になって、お休み処なども点在していますが、
往時は繁栄と苦役の道だったのでしょう。



入ることが出来る龍源寺間歩(270メートル)の入り口は小さく屈んで歩く高さです。
途中には幾つもの枝鉱道が掘られていました。





小降りだった雨は、石見銀山公園に戻る直前から強くなりました。
大田市ではこの鉱山地区と銀山繁栄の面影を残す「大森の街並み」の、
文化的景観と自然保護のための活動を続けています。
石見銀山世界遺産センター

秘湯の源泉かけ流し一軒宿と八ッ場ダム工事視察の旅

2016-07-10 16:15:47 | 国内旅行

公民館サークルの有志メンバー15人と宿泊旅行に行きました。
群馬県・浅間隠山(日本2百名山)山懐にある秘湯の源泉湯宿。
かやぶきの郷・薬師温泉「旅籠」での「時間旅行」でした。



木戸札を受け取って郷入りです。
全国から集められた2万本の枕木が敷かれた枕木街道で、
10軒を超す「かやぶきの館」の郷が結ばれています。



ウエルカムイベントで餅つきに参加しました。







街道を辿っていけば本陣の館の大門がスーッと開きます。
フロントと大きな囲炉裏のあるロビーにでます。



また街道の脇には時代箪笥回廊や古き時代の生活民具、
郷土玩具など数万点の「時代鑑定物」が並ぶ、展示処の館が点在しています。







お湯処は枕木街道の途中にある薬湯の「郷の湯」を始め、
温川に面した宿泊棟「せせらぎ館」の1階は「湯屋街道」。
「薬師の湯」「滝見乃湯」足湯、貸切風呂が軒を連ね、
ハシゴ酒ならぬ「ハシゴ湯」も楽しめます。
温度も丁度よく、優しい感じの泉質でした。





タニシの爺、同行の男5人で薬湯「郷の湯」に浸かりました。
建物、床、天井は吹き抜け、湯船、すべて木造です。
溢れる湯に浸かった男5人「ああ、いい湯だな」



このあと、枕木街道をぶらぶら降りて、
本陣を通り抜け「滝見乃湯」へ、ハシゴ湯めぐりです。



ここでも男5人「はー、いい湯だな」。滝と川の音が心地よい。
仕切りの隣りは女性の湯、吹き抜けの天井から女たちの声が響きます。
女性10人、男5人が3部屋に分かれて、
館内探検と夕食までは旅談義でわいわい。





夕食は別の館で「囲炉裏会席膳」地場の食材を、
若い女性接待さんの説明を聞きながら味わいました。
上の写真が夕食、下が朝食です

食後は一室に集まって二次会で「あれや、これや談義」
タニシの爺は、途中から「湯屋街道」へ抜け出して、
メインとなる「薬師の湯」3浴槽に浸かりました。

朝は5時から「薬師の湯」3浴槽、一番奥の露天「滝見乃湯」までハシゴ湯。
滝の飛沫が届くにはチョッと距離がありましたが、
半身浴を楽しんでいました。
さすがこの後の湯疲れが心配になり、ゆっくり湯船から立ち上がり、
引き上げました。
チェックアウトは10時、もう一回入れるかな~





2日目目の朝、山間の湯宿は緑の中にあります。
送迎車にて中之条駅に戻りました。
吾妻線下りに乗車して長野原草津口駅に向かいます。
同駅前の「草津・六合ステーション」から出発する、
八ッ場ダム現場見学会の「よくばりコース」に予約してあります。



13時30分、説明ガイドさん付きの見学バスがスタートしました。
吾妻渓谷の底のあった「川原湯温泉」が高台に移転しています。
湖底に沈む集落や小学校が殺風景な景観の中に散在しています。
建物が新しいことが、かえって失ってきたものを露呈している感じが否めません。





かつての峡谷を見下ろすように広い道路が両側に整備され、
長い丸岩大橋、不動大橋、八ッ場大橋が峡谷の上に架かっています。
ダムが完成すれば湖面の上を通る橋になります。





両岸からコンクリートの打ち込みが工事が進んでいる。
巨大クレーンが移動して、と巨大ブルが動き回る、
ダム本体の工事現場近くにも行きました。



壮大な峡谷空間を閉じてしまうダム壁提、
長さ336メートル、提の高さ132メートルを想像することが出来ませんでした。



渓谷一体が全く異なった景観を現わすことになる、
完成予定年度は平成31年度となっています。

タニシに爺、6年前にもここを視察しています。
民主党の政権時代でダム本体工事は「中止」でした。
そのとき見上げた巨大橋梁工事が完成した「不動大橋」です。
下には旧吾妻線の跡は骨材運搬のベルトコンベアーになっていました。
 最後までお付き合いありがとうございます。



日ハム・鎌スタが看護士さんで白に染まりました

2016-07-04 10:36:51 | 鎌スタ

7月3日(日)、対東京ヤクルトスワローズ3戦目が行われた、
プロ野球・北海道日本ハムファイターズ鎌ケ谷スタジアムは、
鎌ケ谷市民無料デーと市民健康祭イベントが行われました。







医療・健康を楽しみながら学ぶ公開医療講座や健康祭といった、日頃から、
住民参加型の医療イベントを手掛ける、鎌ケ谷総合病院(院長山本穰司さん)の、
白衣を付けた大勢の看護士さんや救急車両がスタンド前広場に集まりました。





看護士さんによる血圧測定、骨密度検査、足の整形診断などの健康相談から、
腹腔鏡手術の練習機を使ったゲームや救急車試乗もある、
住民参加型の医療イベント・市民健康祭が行われました。







筆者も骨密度検査や血圧、足の整形診断していただきました。
興奮していたせいか、血圧はいつもより高め、
骨密度は80歳台、骨粗賞しょう症と診断されました。







ファイターズ鎌ケ谷スタジアムでは、今年で施設の誕生20周年目を迎えるにあたり、
地域住民や来場するファンへの社会貢献事業の一環として、
鎌スタ20th HAPPYプロジェクトを年間計画として実施しています。







この日のイベントもその一環として行われたものでした。
これから夏本番、プール開きや花火大会、30、31は鎌スタ祭りです。
鎌スタから目が離せません。





この日の日ハム1軍は大谷が投げて先頭打者ホームランで10連勝。
怪物・大谷2刀流がますます進化していますね。
一気に、ソフトバンクに追いつきそうです。
ヤ党の山田も打撃全開でトリプルスリー・4冠王へ期待が高まります。

山陰の旅・島根県②―足立美術館 13年連続「世界1に輝く」日本庭園

2016-07-02 14:30:22 | 国内旅行

山陰の旅について記録しています。
松江城と同じく20年前に足立美術館も訪れました。
横山大観はじめ日本画の巨匠のコレクションと日本庭園で有名です。





展示絵画は季節ごとに変化はあるでしょうし、
順路やディスプレイにも多少の変化はあるのでしょう。
拝観した本館・庭園は20年前の記憶がよみがえりました。





現代日本画を展示する新館は20年前には無かった気がします。。
駐車場脇に出来ているお土産物産館もありませんでした。





日本画の巨匠の作品が堪能できることが第一ですが、
リアルな庭園が額縁にはめ込まれる「生の額絵」「生の掛軸」は一見物です。





ここを訪れたら、せかせか歩き回らないことです。
ゆっくり時間を掛けて楽しみましょう。
順路コースの庭園に面した一角に設けられている、
喫茶ルームや茶室でのひと時が至福の時空になりました。







コーヒー、日本茶とお菓子はそれなりのコストになります。
何回も行ける機会がないなら、
ぜひ一度は至福の時を過ごしてみるべきです。



大きな前面ガラスの先に、世界一の庭園が開けます。





公式サイト

山陰の旅・島根県①― 国宝天守閣の松江城

2016-07-01 15:13:14 | 国内旅行

松江市には20年ほど前にも行きました。
その際はお城は下から眺めただけで、
小さな遊覧船でお堀を回わりました。(松江堀川めぐり)
幾つもの小さな橋をくぐるたびに、背を低くして、
船底にひれ伏して通過したことを覚えています。



ほぼ1年前の平成27年7月、
正式に国宝に指定された天守閣まで登りました。
今回は急な木造階段を手すりに掴まりながら、
幾階も狭い梯子を上りました。
本物の鎧兜が具足、槍とともに陳列されています。



武士といえども切られたり、槍で突かれたら痛い。
だからこのような鉄で身体をカバーしたのでしょう。
それで馬に乗って走り回ったことを思うと、
武将というのはすごいパワーの持ち主だったんですな。



しかし武装しているのはお偉いさんだけで、
雑兵、足軽は軽装で先頭を走って、
切り込まなければならない身分で宿命です。



一番先に切られたり、討ち死にしなければならない、
軍勢何十万と映画やテレビ、小説で表現されていますが、
要は切られ役にすぎない。今に天守閣は残っていても、
切られて戦場の土と化した人間は何も残っていない。



ランチは松江城の近くの「松江堀川地ビール館」でいただきました。
天守閣登頂で汗をかいた後の、生ビールが抜群に身に染み渡りました。



松江城公式サイト