たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

晩秋と初冬の間の空は雲厚く

2019-11-26 10:58:04 | Lyricism
今日も空は鉛色のぶ厚い雲に覆われています。
陽射しの差す気配は感じられません。
昨日は上着を脱いで徘徊する気温になりました。



22日は今年最後の「ちょ筋体操」の日でした。
前日の雨はあがり、青空になりましたが、
湿度の高い、暑い日になっていました。



市の保健センターのトレーニングルームから見えるはずの、
富士山と東京スカイツリーは靄っていて見えませんでした。
11月も今週で終わり、来週は12月、初冬の師走になります。



晩秋と初冬の間の里山、自然公園を徘徊すると。
葉の落ちた樹々が空けて実が露になっています。
たそがれたにしの爺的リリシズムの景が広がる。

いと白う 八つ手の花に しぐれけり(中村汀女)



ウェザーニュースによりますと、週末には日差しが届き、
紅葉を見るラストチャンスだという。
寒暖差が大きくなるので体調管理に気を付けよ、
ということです。



インフルエンザの予防注射を未だしていません。
高齢者の風邪は命取りになるともいう。
4日に眼の定期健診に行くので、
1,000円でやってもらおうかな。

巣鴨地蔵通り、眞性寺六地蔵、すがも鴨台観音堂

2019-11-20 11:04:45 | 社会見学

前回、サークルの街旅で六義園に行ったことを書きました。
今回、その間で自由時間に立ち寄った2か所を追加します。



巣鴨駅から「巣鴨地蔵通り」入口にある、
真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺六地蔵。



大きな傘をかぶり杖を持つお地蔵様です。
菊祭りが行われていて賑わっていました。





もう一カ所は「すがも鴨台観音堂」です。
大正大学キャンパスの仏教文化施設です。
八角三匝(さんそう)の二重螺旋構造で、
いわゆる「さざえ堂」と言う所以ですね。



実は立正大学の学食「おうだい食堂」が目当てで、
「すがも鴨台観音堂」の存在は知りませんでした。



以前からWeb上で「鴨台食堂」について評判がよく、
機会があったら一度、訪れたいと思っていました。



六地蔵からは「地蔵通り商店街」を通り越して、
都電荒川線の庚申塚駅の踏切を越えて行きます。



さらに歩き立正大学のキャンパスがありました。
その一角に「観音堂」があり、菊祭の最中でした。
お目当ての「鴨台食堂」は隣の5号館8階でした。
ホテルのダイニングのような清潔感に溢れた食堂。



テーブルクロスの掛かったレストランで、
ナイフとフォークのランチになりました。
巣鴨に行かれたらお勧めのお食事処です。

山本兼一作「火天の城」を読みました。凄い小説でした。

2019-11-17 15:28:08 | 本・読書

大型22ポイント活字で読む時代小説シリーズ。
初めて知った作家の凄い小説に出会いました。
山本兼一著「火天の城」です。

図書館の書棚に分厚い茶色い背表紙の本。
行く度に3分冊がずしっと収まっている。
題名から戦国小説物とは思っていました。

裏表紙の紹介コピーを読んでみました。
「安土城」が舞台であることを知って、
今年5月に近江八幡に泊る旅をした際、
ガイドさんの説明が記憶に甦りました。

読み始めたら面白くて、止められない。
いままで読んだことのない分野でした。



「信長の夢は、天下一の棟梁父子に託された。
天に聳える五重の天主を建てよ!
信長の野望と大工の意地、情熱、創意工夫…
未曽有の建造物の真相に迫る。松本清張賞受賞作」
(裏表紙の内容紹介文より)

「清洲城」の織田勢は、押し寄せる5万の今川勢と対峙していた。
岡部又右衛門以言は、毎朝のならいで、
身を清め、口をすすいで熱田神宮の本殿で拝礼を行っていた。



朝もやの中に5,6騎が駆ける馬蹄の響きが聞こえてきた。
織田の棟梁信長に違いあるまい--又右衛門はそう思っていた。
「出撃と決めたか」

「清洲の織田信長である。戦勝祈願をたのもう」
「大工はおらぬか。宮番匠がおるであろう」
「宮の御修理番匠岡部又右衛門にござります」
「小さな輿を作りたい、今川の首が乗るのよ」と信長。
「よい檜がござるゆえ、さっそく細工いたしましょう」



義元の首を先頭に信長と2千の将兵が清洲城に凱旋したのは、
永禄3年(1560年)5月19日、信長27歳の夏であった。
小説は概略、こんな書き出しで始まる。

この出会いから又右衛門は信長お気に入りの番匠に、
安土城築城の総棟梁として心血精魂を込めて仕える。
信長の求める前代未聞の五重の天主城を築き上げた。



小説の舞台と背景は琵琶湖畔近江八幡市の安土山一帯、
織田信長が天正4年から約3年の歳月をかけて完成し、
本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っている安土城。

この安土城の築城の総棟梁として差配をとった、
番匠・岡部又右衛門以言(もちとき)の職人気質と、
以俊(もちとし)父子の執念の城づくりが凄いです。

圧巻は安土山を削り石で築き上げる石垣づくり。
石垣組の棟梁のこだわりと総棟梁としての葛藤。

城を支える巨大柱になる4本檜を探しに、
敵地である今川領の木曽上松に乗り込む。

檜の杣頭を説得し、
伊勢神宮遷都に育てた切ってはならない、
檜の切り出しに持ち込む気迫が凄い。

そしてその4本の巨大檜が木曽川を流す日。
洪水の川は檜の杣統領を巻き込んで渦巻く。



信長は城の天主は「吹き抜け」にせよと命じる。
設計絵図はライバル棟梁たちとコンペになった。

又右衛門は悩んだ。
信長お抱えの棟梁としてコンペに敗れたら、
面目丸つぶれになる。

それに「吹き抜けの天主」など作ったら、
城内部に煙突を抱え込むようなものだ。
又右衛門は葛藤して苦悩の日々だった。
それを救ったのは息子の以俊だった。

「吹き抜け」を組んだ他の棟梁の絵図を、
信長は採用しないで又右衛門父子の設計を採った。
石の語るを聞き、木の声に耳を傾け、
「安土城」は3年の歳月で落成した。



読後感としては、とにかく面白い。
作者は凄い筆力で大工、石や、屋根やを描く。

みな職人としての矜持のかたまり。
妥協なき城作りの職人魂が、作者のペン先から紡ぎ出され、
職人たちの息遣いが伝わってくる。

面白かったが結局、安土城は炎上してしまう。
信長も死に、光秀も死んで、又右衛門も死に、
いまはその城を再現することはできない。
石垣など城跡が残っているのみです。



山本兼一さんの作品は初めて読みました。
「利休にたずねよ」で直木賞をを受賞している作家ですね。
戦そのものより、銃や刀など、
モノづくりの現場職人に焦点を作品を残されていることを知りました。
「利休にたずねよ」を読みたくなりました。

18日は左目の硝子体注射の日です。
しばらくアップは中止します。


「TOKYO街旅」 わずかな秋色・六義園 2019年11月12日

2019-11-16 14:15:35 | 社会見学

北海道地方は吹雪になっているという。
当地方は今日も秋天が続いています。
サークルの街旅で六義園と巣鴨地蔵通りに行きました。


しまっている染井門


正門を入ったところ


内庭大門

駒込駅から大通りの向かいに染井門があります。
普段は閉まっていて、塀に沿って歩き正門に回ります。


枯れ葉になっているしだれ桜

染井門が開かれるのは、
紅葉と大名庭園のライトアップの期間だけです。
今年は11月20日(水)から12月12日(木)まで。





六義園(りくぎえん)は、
1695年、五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、
綱吉から賜った地に下屋敷を造り、
そこに造成した庭園だと案内にあります。





内庭大門から入ると、
大きな「しだれ桜」が目に入ります。
春の開花時期にはライトアップされます。





大勢の見物人が押し寄せ大変な混雑になると聞いています。
この時期は「枯れ葉サクラ」ですね。



大名池を一回りしました。
マツを中心に緑葉樹多く紅葉模様はあまりありません。
ハゼなどのわずかな色付く秋色が見られただけでした。







ライトアップの時期になったら、
違った光景が見られるのでしょうね。
吹上茶屋では外国人がお茶していました。







都内にはいくつもの庭園公園があります。
街旅で上京した際、寄り道散策に、
憩いの時空間としていいですね。



1・1・1・1・1 令和1年11月11日 ととのう TOTONOU

2019-11-11 11:46:20 | Journalism

今日は令和1年11月11日です。
昨日の青空から今日は薄曇り。


ここ数日間は晴天でしたね。
秋のバラを撮ってきました。


今日11月11日は1並びの「ととのう日」だという。
今朝のNHKの話題ニュースで言っていました。


いま「サウナ風呂」がブームとかで、
サウナに浴してリフレッシュすると、
スッキリ感で「心身がととのう」と。


「岩盤浴」から「サウナ浴」へと。
女性たちにも人気になっていると。


いまどきのサウナ愛好者を「サウナ―」と言い、
リラックスして再生した身体を「TOTONOU」とする。
サウナが国民的レジャーになっているフィンランドのニュースで紹介された。


今朝6時半過ぎのNHKが話題にしていました。
今日は「サウナの日」ととのう1/1/1/1/1。
昨日は日本が整った「祝賀御列の儀」パレードの日でした。

秩父・三峯神社に行ってきました

2019-11-07 17:29:24 | 国内旅行

一度は詣でてみたいと念じていました。
埼玉県秩父市三峰にある三峯神社です。
年少時から記憶の奥にある神社でした。



信州の生家のお棚には毎歳末、三峯神社のお札が、
挙がっていた記憶があったような気をしています。



紅葉の名所としても知られていますね。
好天気が続きそうなので出かけました。



地図で見るとはるかに遠いです。
埼玉県の奥、甲斐に近いですね。
乗換案内で調べたら意外に近い。



池袋駅から西武特急で西武秩父駅まで80分。
駅前から急行バスに乗り換えて90分ですね。
秩父湖辺りからは紅葉が始まっていました。



駅にあった案内パンフレットによると、……
標高1,100mの神域、頬をつたう風の中に、
たちこめる霧の中に、新しい出会いがある…



三峯神社のお話として、
今から1900年ほど昔、日本武尊が国の平和をお祈りし、
国産みの神様をお祭りしたのが始まりです。
尊を導いた山犬(オオカミ)がお使いの神です。



境内にオオカミの像が多く見られました。
日本武尊の大きな銅像も立っていました。



修験道の道場として信仰が最も広まったのは鎌倉時代からで、
江戸時代になると隆盛を極め三峯講が全国に広がったという。



秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社で、
神域の入り口で三つ並んだ鳥居が出迎えてくれる。





隋神門からの参道には石灯籠が立ち並び、
青銅の鳥居があり、くぐって石段を上がる。





樹齢800年という杉の巨木がありました。
両手をあてがい、パワーを注入していただきました。



拝殿がありその奥に本殿が配されています。
両脇には祖霊社、社務所、斎館など配され、
厳粛な気配に満ちていました。





日本武尊の大きな銅像の前を通り遥拝殿に上がりました。
眼前が大きく開かれ下界が一望できました。
遠くに奥宮が見られるとありましたが、
よく分かりませんでした。





宏大な境内です奥宮まで行くには1時間30分かかるという。



いろいろな建物もありましたが急いでバス停に戻りました。



バスで到着したのが11時20分、境内を散策したのが約1時間。
バス停に戻ったのが12時40分、バスに乗ったのが13時30分。



来るときは、バスに途中駅の秩父鉄道の三峰口で乗ったので、
座れなくて、大きなカーブの連続で右左に身体ごと振られて、
必死につかまって、立ちっぱなしで70分余、死ぬ思いでした。



帰りは何が何でも座る覚悟で一番に並びました。
運転手さんの隣り席で、眼前に移り変わる、
秋の夕日に染まる紅葉風景を見ながら下山しました。



西武特急の最新車両に乗って池袋着16時44分。
はるかに遠いと思っていた三峰神社は、意外に近かったが、
バスの揺れには81歳の爺には、いささか堪えました。



三峯神社公式サイト



「TOKYO街旅」月島もんじゃストリートから佃島路地歩き

2019-11-03 12:55:58 | 社会見学

月島佃島社会見学記3回目の最終回、
月島もんじゃの体験と佃島歩きです。
隅田川テラスを佃大橋の下から歩き、
勝ちどき橋のふもとまで着きました。



月島川に架かる西仲橋にきました。西仲通り商店街です。
いわゆる「月島もんじゃストリート」と言われています。
西仲橋脇にストリート順に店の告知看板が出ていました。
店と店との間にはこのようなレトロな路地が続いている。



両側アーケード街に60数軒もんじゃ屋さんが並んでいる。
スマホ携帯の二人が「何処に入ろうか」と調べていますが、
「お勧め処」がいろいろあって、なかなか結論が出ません。
どの店の前のベンチには順番待ちで並んでいます。



待っている人のいないお店を開けて覗いてみたら、
店内は満席でした。30~40分待つよと、言われる。
何処に行っても待つなら、順番一番のここにする。



30分ほど待って席につきました。
いろいろメニューがあります。





一番人気とという「明太もちチーズもんじゃ」と、
お勧めと記された「小町もんじゃ」を頼みました。
お店の人に手伝っていもらいながら「初もんじゃ」





美味しい。追加しようとしたら、「パエリヤ」も食べたいという。
「スペインクラブ」に来ました。ランチタイムは過ぎていました。
店先で4人ウロウロしていたら、「いいよ」と言われ入りました。
コーヒーが美味しかったですね。





このあと、レトロな佃島を一回りしました。
カメラの電池が切れ携帯写真になりました。

佃天台地蔵尊―
細い路地の奥に石に描かれた地蔵尊が祀られていました。
お堂に食い込むイチョウの大木からパワーを貰いました。





佃浪除なみよけ稲荷神社―
「さし石」は佃の漁師の間では明治ころまで、
力試しをするのに使われていた力石(さし石)。



佃小橋―佃を象徴する赤い小橋
初代は佃島完成時に架橋され、今の橋は1984年に架けられた。
川底には住吉神社の本祭りで使う大幟の柱が埋められている。





佃島渡船場跡―
佃島が出来て約320年続いた佃の渡しの跡。
1964年佃大橋が完成したので廃止になった。





佃煮やさんが何軒か並んでいる地区から続く住吉水門



住吉神社―陶製の扁額など区の有形文化財になっている。
3年ごとの本祭りでは八角神輿の船渡御が有名だという。







石川島燈台跡―常夜灯があった場所。



隅田川テラスから見た佃大橋、中央大橋



月島駅6番入口に戻って、
長い階段を下りて帰路に。



もっと「もんじゃ」を食べたかったなー、
「スペインクラブ」はナイトでなくっちゃね、
ご同輩さま。お疲れ様でした。

「TOKYO街旅」川辺の眺め、隅田川テラスを歩く

2019-11-01 12:19:15 | 社会見学

前回に続いて、
月島佃島の社会見学について書いています。


月島駅の7番出口の地上風景

この日、令和元年10月24日、
武蔵野線新木場駅で乗り換えて、
メトロ有楽町線の月島駅に来ました。


隅田川に出ました

7番の出口から地上を見上げると、
ものすごい階段の数が続いている。
高齢者には、たじろぐ遠さでした。






佃大橋の上流です

7番地上出口の向かい「月島もんじゃ振興会協同組合」、
月島もんじゃの情報やマップを入手しようと来てみたが、
シャッターが下りていて閉店中、昼まで開かないという。



今回、月島地区に来た最大の理由は、
「街旅」同輩に「もんじゃ知らず」で、
ぜひ「もんじゃを体験したい」という。
爺もそれほど知っているわけではない。
浅草で2回ほど付き合った程度でした。


隅田川テラスは園児たちのお散歩コース

私たちは高速道路沿いに隅田川に向かい歩きました。
右側に「佃島砲台跡」左側に「月島スペインクラブ」
川辺に出ました。素晴らしい景観が広がっています。



右手の川上側は「佃大橋」「中央大橋」が、
左手の河口側には「勝鬨橋」が見えます。
河口、川下に向かって徘徊を始めました。



中央大橋の斜張橋越にスカイツリーが見えます。



左遠方にはビルの間に東京タワーが見えます。



向かいは明石町界隈です。



聖路加タワーが見えます。



水上バスが行き交います。





月島川水門で行き止まりでした。
川を渡る連絡橋が建設中でした。


連絡橋の完成予想図です

月島川を西仲橋で迂回しなければなりません。
水門にも交通信号が有る興味深い光景でした。


月島川水門





「月島の渡し跡」の碑がありました。
付近は児童公園広場になっています。
ネコ止めの鉄網で囲われた「お砂場」



西仲橋から見た月島水門。



月島川脇の小路に沿って、再び川辺に出ました。
台風19号の増水で隅田川の遊歩道まで冠水した。
その後始末でしょうか工事や砂袋もありました。





勝鬨橋まで来ました。