たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「遠い朝の本たち」<終章>

2011-08-27 09:09:19 | 須賀敦子の著作

学校の夏休みも終盤ですね。
地方によっては、すでに2学期が始まっている。
夏休みの終わりといえば、中高生の皆さんを悩ますものに、
「自由研究」と「読書感想文」がある。



少年だった爺の自由研究は専ら「植物採集」でした。
といっても、2学期開始の数日前から、庭先の雑草を採ってきて、
新聞紙に挟んで重石をして、半乾きのまま提出する。
「読書感想文」の方は、余り困まった記憶がないが、
「猿飛佐助」や「鞍馬天狗」「シャーロックホームズ」
「宝島」「三銃士」では、どんな感想文を書いたか記憶にない。
まともなものでは、中学のときヘッセ「車輪の下」くらいかな。



後年、毎日新聞社で主催している「青少年読書感想文全国コンクール」に多少、関わったことがあり、
毎年指定される「課題図書」について、作者、出版社、教師を巻き込んで、
このコンクールのすごさを知った。
小中高生の最優秀作品には「内閣総理大臣賞」授与、
表彰式には、皇太子が臨席することもあるようでした。



「そうならねばならぬのなら」

須賀敦子全集(河出文庫版)第4巻まで読み終えました。
この第4巻は、書評を中心にした須賀の読書日記であり、
本に夢中になり、知的な糧としてきた本について、
自身にどんな意義と影響が与えられたかを書いています。
巻頭所収の「遠い朝の本たち」で綴られている本をはじめ、
須賀が読んだ本の数、質の高さ、
そして「知・肉」としてきたすごさに圧倒されます。

「読書感想文コンクール」用に読む本との違いは、(比較する質が違いすぎるが)、
読書によって自身の、モノ書き人生を形成して行ったところにあるのでしょうか。



とくに、大西洋を初めて単独飛行した<翼よ、あれがパリの灯だ>のリンドバーグの夫人アン・モロウ・リンドバーグが、
不時着した日本滞在について描いたエッセイに思い入れを込めています。
須賀は「文章が身体の中に吸い込まれていくようだ」「このようなモノ書き」になりたいとも記しています。

さらに、アンが日本語の「さよなら」という言葉について、
<さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、……「そうならねばならぬのなら」という意味だと私は教えられた。なんという美しいあきらめの表現だろう。>
と書いたことについて、須賀は強い感動に包まれます。
また、サン・テグジュペリの「星の王子様」への深い思いも、素敵な一章となっています。



須賀は読書と書物との結びつきを通し、
必然的に「コルシア・ディ・セルヴィ書店」に関わり、
その後の人生と伴侶を決めることになりました。
須賀の著作の中心は「本の思い出」と「人の思い出」が底流となっていることを知った。

昨秋以来、更新してきた<須賀敦子の著作に出会う>は、
この「遠い朝の本たち」でひとまず終わりにしたい



●<須賀敦子の著作に出会う>アーカイブ

須賀敦子の著作に出会う
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<1>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<2>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<3>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<1>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<2>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<3>
須賀敦子の著作に出会う「モランディの静物」
須賀敦子の著作に出会う「遠い朝の本たち」<終章>


トルコ映画「蜂蜜」 癒されて、疲れ果てる

2011-08-20 09:54:07 | 劇場映画

幻想的な森の樹間に霧が流れている。
小枝のきしむ音。
梢の葉のそよぎ。
小鳥のさえずり。

落葉や枝を踏みしめる音がする。
蜂の羽音が一段と強まってくる。
ロバを連れた一人の男が現れる。
時の気配がまるで止まっている。
この映画には音楽が付いてない。




銀座テアトルシネマで観ました。
第60回ベルリン国際映画祭で「金熊賞」を獲得した、
トルコ映画「蜂蜜」
監督はトルコのセミフ・カプランオール。



トルコの森に暮らす親子の物語です。
父が蜂蜜を採って生計を立てています。
6歳のユスフ(ボラ・アルタシュ)は、
父・ヤクプ(エルダル・ベシクチオール)と一緒にいる時間が大好きです。
そんな二人を、寡黙な母親・ゼーラ(トゥリン・オゼン)は見守るばかりです。

ある日、森の蜜蜂が一斉にいなくなってしまった。
父が蜂蜜を採りに行ったまま帰ってこない。
話すのが苦手だったユスフは、学校の授業でも口をきかなくなります。



音楽もなく、極端に少ないセリフ、場面展開の唐突さ。
断片的に描かれる人の営み、暗示的なシーン。
森の静寂さを主題に、監督の映像的こだわり。

暗示的なストーリー、時間をつなぐ森の表情。
ユスフが巨木の幹に寄り掛かり、目を閉じる。



暗転するスクリーンに、
音もなくトルコ語のエンドローグが流れる。

夏の庭 木瓜の実 ボケになる ぼけなす

2011-08-06 21:33:44 | 散策の詩

盛夏 夏実 実果 果実酒
 
ぐだぐだ たにしの爺は 
ブログねた枯渇状態で 更新できない。
脳内には いろいろ渦巻いているが、
言葉・フレーズにならない。

ボケの花は実をつけている。
爺は、ただ、ボケになる。