たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

「去る3月」「年度末」「春なかば」花盛り。明日から4月

2017-03-31 13:56:29 | 散策の詩

前回の続きです。
神社の境内から、公民館の庭を通って徘徊の道へ。
サクラがちらほら咲き始めていました。



剪定、施肥作業が行われている梨畑の道を通ります。
5月の連休が過ぎれば、白い花が一斉に咲き始めます。

今はまだ、花は足元にあります。
葉輪の上に赤紫色のヒメオドリコソウ。



赤紫の花を伸ばすホトケノザ。



雪のように咲くユキヤナギ。



葉に先駆けて上向きに咲くはハクモクレン。
黄色い花が揃ってきたレンギョウ。



細かい花が群れ咲くサンシュユ。



垣越しにミツマタ、サンシュウ、レンギョウ



「ポッポさん」に教えていただいたベニカナメ。
土筆もあちこちで伸びていました。



この道を下って根郷川を渡っていけば「鎌スタ」です。
地元民しか知らない間道です。
たにしの爺がいつも通ります。



2017年3月31日・金曜日、「春なかば」
役所の帳簿が切り替わる年度末。予算・決算の仕切り直し。



そして人事異動の季節。昇任者の喜びと決意。
期待の叶わなかった者の落胆と脱力感。



転勤異動家族の悲喜こもごもの人生劇。
最近はほとんどが単身赴任のようです。



企業の人事異動も、団体の役員改選も、
身近なサークルでも役員・世話役の刷新は、
組織の活性化・エネルギーになります。
いい人でも長期の在任は活力を阻害していきます。



●四時之序、成功者去 「十八史略」

「四時の序」春夏秋冬、四季は移り変わる。
季節は役割が過ぎれば、移っていく。
同じように、功を成した者でも去るべき季節がある。



総理・首相・安倍晋三さん、今国会が潮時ではないでしょうか。
巨大与党で一強・安倍さんにひれ伏す自民の領袖たち。



国民から見て、まったく信頼感の湧かない野党指導者ら。
 たにしの爺、「この人なら」という後釜が思い至らない。
今の日本、最大の喜劇は、後継者が居ないことです。

 「永田町の喜劇」は国民にとって「最大の悲劇」となっている。

明日から4月、後期高齢者の社会負担がシビアになります。
4日は「ちょ筋」仲間で花見。
5日はサークルメンバーでお花見歩き。
天気もよさそうですな。ご同輩。

目線を下げて、春の道野辺の小道を徘徊

2017-03-29 18:56:33 | 散策の詩

昨日は、久々の青空を見上げて、
コブシの大木を撮り歩きました。



今日は少し目線を下げて歩いてきました。
ウグイスの啼きが上手くなってきたようです。





藪ツバキが高木の葉陰に婀娜(あだ)っぽい。
根元の落花もまた、なにやら妖しい。



真っ赤なボケの花も目につきました。
赤芽の木も「萌え」でした。
植物の名前に疎いのでスイマセン。





やはり純白の花が清楚でいいです。
目線をあげっればコブシ、下げれば春ニラ?



春の徘徊の道は「萌え、萌え」でした。
黄昏の好奇高齢者には眩しい花咲く季節になりました。



続く

雨が上がって、弥生の空を見上げれば

2017-03-28 21:32:27 | 散策の詩

氷雨と冷風の昨日とは、うって変わって、
本日、2017年3月28日は晴天になりました。



雨天の空でも、その上には太陽があったのです。
列島、サクラ開花便りと、大雪・吹雪、雪崩……
自然は喜びや感動をくれますが、一方、悲しみも与えます。



年度末、永田町界隈もおどろおどろしく、凶々しい。
野党が猛々しく叫んでも関係大臣は答弁をずらすだけ。
霞ヶ関の高級官僚も「行政の無謬性」傘の下で安全。
暗闇の国会で新年度予算は原案通り成立する。



空を見上げて歩けば、こぶしの白い花が、
弥生の空に溶け込んでいました。



菜の花の先に一本こぶし。

白樺派文学の故里・我孫子の街に行く

2017-03-26 08:35:59 | 社会見学

たにしの爺の参加している、
公民館サークルの集いで我孫子に行ってきました。



我孫子市は千葉県の北西部にあって、
JR常磐線と成田線が分岐する我孫子駅を中心に、
利根川と印旛沼に挟まれた段丘の多い街でした。



我孫子は千葉県の中でも出色の文人・墨客、芸術家に縁が深く、
文化の香りの濃い街だということは、知っていましたが、
たにしの爺としては、なかなか行く機会がありませんでした。



サークルの企画に参加して、初めて「我孫子駅」に降りました。
「我孫子って、茨城県か」なんて言う者もいて、
「知事選のポスターに森田健作がああるから」千葉だろうという声があり、
駅前でキョロキョロすると、
文学者遺跡への案内インフォメーションがそこここで目に入りました。



企画担当グループの下見取材がしっかりしていなくて、
あちこち曲がりながら「白樺文学館」にたどり着きました。



我孫子で暮らした白樺派の芸術家・武者小路実篤、志賀直哉、
「民藝」という芸術のジャンルを世に広めた柳宗悦を中心に、
白樺派の文人に関連する貴重な資料や家の模型が展示していました。
それぞれ同じ時期に、我孫子に住まいを構え、創作活動に励んだ足跡を学ぶことができます。





文学館の前の道を隔てて、志賀直哉の住居跡が展示されていました。
市の文化財にも指定されている書斎が残っていました。
周囲は樹木の多い緑の深い佇まいでした。













そのあと、「白樺派のカレー」のランチがお勧めだということで、
レストランを目指して歩き始めましたが、
先導者の(取材不足)で大通りをうろうろ。
着いてみれば何のことはない、
手賀沼湖畔の我孫子市の総合文化施設の公民館でした。



我孫子市生涯学習センターのアビスタの、
喫茶ぷらっと、でようやく「白樺派のカレー」にありつけました。
「白樺派のカレー」は白樺派の柳宗悦の妻で、
声楽家だった兼子が作り振る舞ったものが元祖で、
地元の市民有志が「白樺派のカレー普及会」結成し再現したものだという。



食べ終わった後、大正ロマンの趣のある、
ランチョンマットを持ち帰ることができました。
裏面には我孫子の文学散歩の地図イラストが描かれています。
次の機会に個人でゆっくり行く計画を立てるとしたら、
駅から10分のここをスタートに歩いた方が、
訪ねるところを効率的に回れそうです。



イースタン・リーグ公式戦「鎌スタ」20周年開幕戦

2017-03-20 21:22:51 | 鎌スタ

プロ野球・北海道日本ハム・ファイターズの、
ファームの本拠地・鎌ケ谷スタジアムでは、
3月20日からイースタン本拠地開幕・巨人3連戦が行われます。
20日の第1戦は「鎌スタ誕生20周年開幕戦」イベントが盛況でした。





20年を振り返る映像が大形ビジョンに映りだされ、
鎌スタから巣立っていった、
ダルビッシュや中田、斎藤祐、大谷選手らがコメントを述べました。
清水聖士・鎌ヶ谷市長も来賓祝辞を贈りました。



試合は新たに「背番号1」を付けた斎藤佑樹投手が先発登板。
1、2回までは無失点に切り抜けたが、3回に1点を失い、
4回は4安打を集中されて2点を失い同点とされた。



4回に、ハムの打線がつながり5点リードになった。
5回をゼロに抑えて、5回7安打3失点で交代した。



この日は鎌ケ谷市民招待デーで、スタンド席は満席。
外野芝生席も開放され巨人の応援団も詰め掛け一杯でした。



スタンド正面の選手エンブレムも新調され、
日本ハムに在籍した選手をはじめ大谷選手ら、
活躍中の大形写真がファンを喜ばせています。




今年も二刀流・大谷選手、ペナントの行方とともに、
鎌スタのイベントが注目されます。


春はセンバツから――第89回選抜高校野球大会が開幕

2017-03-19 20:01:15 | Journalism

21世紀枠で初出場する不来方に注目。

2017年3月19日、阪神甲子園球場で開会式。
たにしの爺、春の選抜野球には、
特別な思い入れがあります。

仕事で生の開会式、大会全試合を見たのは、
何年前のことになるだろうか。
浪商のドカベン香川捕手と牛島投手(中日)が、
高校野球フアンを沸かせ、話題になっていた頃でした。



以来、センバツの開会式は外せない時間です。
今大会の話題は何といっても、
21世紀枠で初出場する不来方高校です。
不来方高校は、岩手県紫波郡矢巾町にある公立高校です。
国の天然記念物・龍泉洞という鍾乳洞が近くにあります。

不来方(こずかた)という地名を調べてみました。
現在の岩手県盛岡市を指し示す言葉で、
570年の間、存在する由緒ある名であることから、
現在、盛岡の雅称として使われることが多いという。



野球部員は10人。女子マネジャーを含めても13人という少人数。
甲子園に出てくる私立校の野球部員は数十人もいる。
それに比べ、ナインプラス一人という高校野球部はユニークだ。
21世紀枠で選ばれたのは、昨秋の岩手県大会で準優勝。



東北大会では初戦(2回戦)敗退に終わったが、
青森の強豪・八戸学院光星に0対2と好ゲームを繰り広げた。
昨秋の好成績と、
少人数でも工夫して練習している点が高評価を得て、
今回の21世紀枠での選出となった。
第5日(23日)第三試合で静岡高校と対戦します。



そして開会式にもう一人の不来方生が登場しました。
被災地を勇気づけたい――「君が代」を独唱したのは、
同校をこの春に卒業する竹内菜緒(なお)さん。

昨年の全日本学生音楽コン全国大会声楽部門で1位に輝いた若き歌姫です。
幼い頃を過ごした岩手県宮古市を思い、力強い歌声が甲子園に響き渡りました。



また、開会式の後半の司会で、場内に爽やかな声を響かせたのは、
千葉県検見川高校の鈴木崚汰さんでした。
第63回NHK杯全国高校放送コンテスト・朗読部門で優勝しています。



選手宣誓は作新学院の添田真聖主将が行った。
(要約)「今この場所に立てることを誇りに思う。
支えてくれる地域の方々への感謝を忘れず戦う」と力強く誓った。

 

 

大会歌「今ありてこそ」が流れ、
グラウンドは戦いの場になりました。

 

 

高校野球は9回の攻防が勝敗を分ける。
第二試合、履正社対日大三。
8回に追いついた日大三。
9回後攻めに逆転サヨナラを夢見たであろう。
運命の神様は日大三に過酷な試練を与えた。
信じられない悪夢に変わった「あっという間の失点7」

花よりダンス――「公津しだれ桜ふれあいまつり」

2017-03-18 20:27:40 | 散策の詩

春陽気に誘われ行く当てもなく出かけて、
464号から成田ニュータウン方面に走っていたら、
2月に開通したばかりの北千葉道路につながり、
田んぼの中の快適なハイウエイ気分になりました。



上野から成田に接続する京成本線と北総線が並行しています。
公津の杜(こうづのもり)は成田国際空港の成田市です。



近くに江戸時代の義民・佐倉宗吾が祀られているお寺として、
全国の信者が参拝に訪れている宗吾霊堂があります。
その境内を通り抜けて奥に進むと、今は時期ではないですが、
春は梅林、夏はアジサイ園が広がっています。



さらに進むと開けた広場と建物があります。
「公津公民館」です。
広場の一角にある「枝垂桜」が有名だということです。



今日初めて知りました。何にも知らないで行ったら、
「公津しだれ桜ふれあいまつり」(18、19日)が開かれていました。
広場ステージでは「フラダンス」が演じられていました。



屋内会場では、
水墨画、生け花や書道作品が展示されていたり、
屋外会場では、野草の会、陶器市、リサイクル商品が並んでいました。



評判の「枝垂桜」の開花には早すぎたようでした。
その代わり見事な「フラざくら」の饗宴を楽しみ、
本日は思いがけなく「豊満な華」に出会った日でした。



境内の花も撮りました。




奥飛騨の2月旅情④―ー雪の平湯街道からの雪山を仰いで

2017-03-15 19:42:55 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
最終回は高山から平湯への雪山を仰ぐ道です。



たにしの爺には30年くらい前、中部本社勤務の4年間があります。
岐阜市までは行くこともありましたが、奥飛騨まで行ったのは、
新穂高から、西穂高独標まで家族で登ったくらいでした。





そのころまだ小学生だった子どもが、企業は違っても、
親子二代で中部圏勤務を経験する。
そこへ親が遊びに行くのも何かの因縁ですかね。



2月の下旬でしたが、雪に埋もれた山間地の集落には、
人の気配が感じられませんでした。



奥飛騨の2月旅情③―ー雪の奥飛騨・高山の街並みを歩く

2017-03-13 15:36:38 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
高山市内も短い時間でしたが見て回りました。
「小京都」と言われる趣のある街並みが人気です。





宮川にかかる赤い欄干の「中橋」からスタートしました・
上三之町・上二之町・上一之町の筋を「さんまち通り」と呼ばれ、
観光の定番スポットで知られている辺りを徘徊しました。





出格子の連なる軒下にはさまざまな特産品が並び、
造り酒屋には杉の葉を玉が下がり、
大戸や老舗の暖簾が軒をつらねています。





たにしの爺、一番目についたのは作り酒の店舗でした。
入ってみて、いろいろな銘酒を見てきました。
自分へのお土産には「飛騨高山」の銘酒を一本買ってきました。

 



駄菓子屋や伝統工芸のお店が並び、
名物の「みたらしだんご」の屋台が出ていました。









宮川の朝市にも行ってみました。
飛騨の郷土の守り玩具「さるぼぼ」手作りのおばあさんから、
お土産に2,3点買い求めてきました。



4月14日、15日には赤い「中橋」に絢爛なる「祭屋台」が集まり、
「春の高山祭」が華やかに開かれることでしょう。
その頃になると、里の雪は消えているのでしょう。

奥飛騨の2月旅情②―ー雪の白川郷・国指定重要文化財の和田家

2017-03-12 10:59:13 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
ユネスコ世界遺産の白川郷は雪の中にありました。



屋内に入り、内部を見学できる屋敷が何軒かあります。
白川村に残された合掌造りの家屋としては最も規模が大きく、
築後約300年が経過した今も生活が営まれ続けている、
国指定重要文化財の和田家に入ってみました。





主屋は3階の大形合掌造りで、1階と2階が公開されています。
入ると目の前が居間になっていて、囲炉裏が切ってあります。
奥には仏間や客間が続いています。





2階に上がってみました。
急な木梯子を上ると、広い空間が飛び込んできます。
当家が営んでいた養蚕の道具なども置いてありました。



この広い空間いっぱいに、蚕棚が幾重にも広がり、
養蚕が営まれていた光景が目に浮かびます。
急な梯子から餌になる桑枝を上げたのも大変だったでしょう。


たにしの爺 信州・出自の実家でも、
糸へん景気のころ養蚕をやっていました。大変懐かしく、
繭づくりの道具などを60年ぶりに目にしました。
蚕室や居間にまで蚕棚ができて四六時中、
蚕さんが桑を食む「さくさく」の音がよみがえりました。



3階部分の屋根裏がのぞけます。(トップの写真)
釘を使わない縄と黒光りする木組みの大きな空間になっています。
300年近い歳月と暮らしの重みが封じ込まれたように迫ります。



郷の脇には庄川が流れていて、いくつかの橋が架かっています。
土産屋の主人が言っているように、
白川郷には、四季ごとに訪ねる美しさがありそうですね。



白川郷の風景には、永遠の未来があるのでしょう。

奥飛騨の2月旅情①―ー雪の白川郷・ライトアップ飛騨の里

2017-03-10 18:44:11 | 国内旅行

久しぶりに旅ものの記事になりました。
岐阜に赴任している三男夫婦が4月の異動で、
横浜に戻ってくるというので、彼らの居る間にと思い2月の末に、
平湯、白川郷、高山市、下呂温泉など奥飛騨を回ってきました。
とりあえず旅のメインになった白川郷のスケッチをアップします。





ユネスコ世界遺産の白川郷は、まだ雪の中にありました。
邨中のメイン道路の雪はかたづけられていましたが、
合掌造りの茅葺の屋根には斑に雪が積もっていました。



土産物のご主人曰く、
「田植えの終わった6月こそが白川郷が美しい季節だよ。」
「その頃、もう一度来なさいよ」と。



冬の雪景色の白川郷がテレビで何度も見せられましたが、
田植えシーズンが白川郷の「一番美しい季節」だと知りました。
皆さん、どうぞ行ってみてください。





ライトアップされた飛騨の里にも回りました。
雪化粧した合掌集落が幻想的に照らし出されます。





この季節だけの飛騨の里をご覧ください。

本日は「啓蟄」でした。人面木に出会いました

2017-03-05 18:21:24 | 散策の詩

2017年3月、最初の日曜日の5日は24節気の「啓蟄」でした。
啓蟄とは、春が近づき大地が温まり冬眠をしていた虫たちが、
穴から出てくる頃になった日なのだそうです。

最近、ものの書き始めに日時を書かないと思考がスタートしません。
上の写真は今日、徘徊中に撮った菜の花畑です。
虫が這っていそうです。モンシロチョウの姿はありません。

しばらく穴籠りをして、ブログをさぼっていた「たにしの爺」
知り合いの、たにしのブログご贔屓さんから、
「また、入院したのですか」と、問い合わせがありましたので、
今日は少し働きました。



朝8時に車を出して、葛飾柴又にいる義姉宅に行って、
中野の書道研究会に行くのを送ってきました。
義姉宅で携帯でとった沈丁花です。
花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「歓楽」「永遠」



市川に戻って自然公園を歩いてきました。
紅梅の若木が見事に花を付けていました。



次はサクラですね。
季節は確実に進んでいるようです。
次の24節気は3月20日・月曜日が春分の日です。



菜の花畑の脇に、こんな”人面木”がありました。
人間の骸骨顔のように見えませんか。
何やら手をつきだして訴えているようです。

こんな物に目がいってしまう「たにしの爺」身中の虫に、
何やら怪しげなるものに憑りつかれているのかな。
 啓蟄の日に出っくわしたのも因縁なのかな。

『今昔百鬼拾遺』より「人面樹」
山谷にあり
その花人の首のごとし
ものいはずしてたゞ笑ふ事しきりなり
しきりにわらへば、そのまゝ落花するといふ