たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

平成最後の師走、富士山への道

2018-12-30 10:17:31 | 国内旅行

ブログ更新の締めは、
世界遺産・富士山への道にしました。
すっきりくっきり晴れ晴れと、
徘徊たにしの爺を迎えてくれました。





バスの最前席で見るお富士山は、
正面に来たり、左へ行ったり、右に来たり、
忙しくシャッターを押しましたが、
ちゃんと納まったのは数枚でした。





毎日このような、
富士山を仰ぎながら暮らす。
どのような気持ちなんでしょうか。





至近のホテルに到着しました。
その神々しさに圧倒され、
ただ仰ぎ見て崇敬の感懐に浸るのみでした。





この一年、たにしのブログをご贔屓下さった
雨曇子様、ニュータウンの佳人さま。
ありがとうございました。





また、キーワード検索で訪れた、
多くの来訪者には、
お読みいただきありがとうございました。



それでは、みな様、良いお年をお迎えください。

世田谷ボロ市に行く③ 松陰神社と豪徳寺に眠る志士「幕末」ロマン

2018-12-27 09:44:47 | 社会見学

「ボロ市」に行った3回目は初めての東急世田谷線と、
松陰神社と豪徳寺に寄ったことを報告します。





この日のアクセスは最寄駅から私鉄を3駅、JRで1駅、
メトロ東西線で九段下、メトロ半蔵門線乗り入れ、
東急田園都市線経由で三軒茶屋まで。





初めて乗る東急世田谷線に乗り換え、
松陰神社前まで乗りました。



踏切を挟んで延びる商店街は活気に満ちていました。
「松下村塾学び館」でいろいろ知りました。



松江萩の松陰神社には行ったことがありますが、
松陰神社が世田谷にもあるとは知りませんでした。
吉田松陰は「安政の大獄」に連座し獄中で刑死した。





門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって、
世田谷若林の地に改葬されたことを機縁に、
墓畔に社を築いたのが現在の松陰神社となっているという。





境内には松陰の墓所、胸像や石灯籠、
松下村塾を模した建屋もありました。





この後、招き猫発祥のお寺として知られる、
豪徳寺へも行きました。





徳川政権で要職を継いできた井伊家の菩提所です。



見事な松並木に続いて境内に入ると、
紅葉の残りが映えていました。



紅葉に染まる三重塔もありました。
猫が居ると聞きましたが分かりませんでした。

 

招き猫、井伊家、豪徳寺の因縁について……、
次のような因縁があることを知りました。



夏のある日、門前が騒がしく和尚さんが出てみると、
立派な武士が「鷹狩の帰り寺の前を通ったら、
猫がしきりに招きするので不審に思い訪ねてきた」という。



和尚さんが渋茶など出してもてなしていると、
突然雷がなり豪雨となった。
武士は外の気配に動じることなく説法に聞き入り、
説法も終わるころ穏やかな空に戻っていた。



その武士は雷で命を失うところだったのでたいそう喜び、
「我こそは江州彦根の城主井伊直孝」なりと名乗り、
猫に招かれ雷雨の難を免れることができ、
有り難い話もうかがうことができた。
これからも心安く頼む」と立ち去った。
以来、豪徳寺は井伊家の菩提所となった。





彦根藩井伊家墓所には井伊直孝を始め井伊家歴代のお墓。
幕末期「桜田門外の変」で暗殺された、
井伊直弼大老の墓が建てられています。



幕末激動期「安政の大獄」で刑死した吉田松陰。
「桜田門外の変」で暗殺された大老・井伊直弼。
二人の志士が奇しくも、
2駅を挟んで祀られていることを知りました。

「ガラケー写真」で映りは良くありませんが、
「世田谷ボロ市」紀行のレポートは閉じます。
駆け足での記述でお目を汚しました。ゴメン。

世田谷ボロ市に行く② さすが430年超の「伝説の市」ロマン

2018-12-24 16:08:47 | 社会見学

15日に「世田谷ボロ市」に初めて行ったことを書いています。
前回は「代官餅」にありつける困難さを報告しました。
年賀状の制作に手間取り、2回目が遅くなってしまいました。



今回は「ボロ市」模様の点景を掲載します。
前回に述べたように「代官餅」を目指したので、
市場の記録はあまりありません。
写真は「ガラケー携帯」で撮ったものです。



東急世田谷線「上町」駅から歩き始めました。
店屋の前は人垣で何が売られてよく見えません。
肩越しに覗くだけです。店はとても狭いです。



「世田谷ボロ市」の歴史は古く。
1578年小田原城主北条氏政が掟書を発して、
この地に市を開いたことが起源だという。



メーン会場になっている「代官屋敷」前の横断幕には、
国指定重要文化財・伝統440年という記録ありました。



北条氏の滅亡、徳川氏の支配になり、衰退し始め、
家康は江戸を起点とする五街道を整備したため、
近郊農村の農具市として開かれる市になった。



明治の後半になると古着屋・屑屋が集めた、
古着・ボロの割合が大きくなって「ボロ市」



肩越しに出店を覗いてみると着物や古着、
まな板や靴、マンガやアンティークなど、
生活に関する様々な商品が並んでいます。



代官屋敷前辺りがメーン会場になっているようで、
横断幕や幟、警察の詰め所もありました。



代官屋敷にも入ってみました。
世田谷区の資料館になっていて、
この地に関わる街道の歴史や街並み、
ボロ市の変遷など写真が並んでいました。



東京23区の中では世田谷は「奥地」です。
「鎌スタ」道野辺の徘徊爺には遠い街です。
この日は身近に感じる街になりました。



当地でも市役所や学校の校庭で開かれている、
青空市やファミマ、チャリティバザーを大規模にした感じ、
と言ってしまえばそれまでですが。
「伝統440年」の歴史ロマンの市場と言うことでしょう。



次回は松陰神社、豪徳寺について記録します。



世田谷ボロ市に行く① 遥かなる「代官餅」ロマン

2018-12-17 11:51:36 | 社会見学

所属している公民館サークルの企画で15日・土曜日、
「世田谷ボロ市」に初めて行ってきました。
テレビのニュースで必ず取りあげられる、
「全国銘柄の縁日」で年末の風物詩ですね。
人出の凄さと「代官餅」が目玉のシーンです。



まさに聞きしに勝る「満員電車」のような人の流れです。
屋台を覗いて「掘り出し物」を吟味しながら、
買い値交渉するなどの雰囲気ではありません。
押されて押し出されてしまいます。



もっとも私のターゲットは「代官餅」のゲットです。
「ボロ市」行きに決まってからネットで調べました。
「代官餅」にありつける驚くべき、困難さを知りました。

まさにその通りでした。
東急世田谷線の「上町」駅に降りたのが1時過ぎでした。
人の波が続いていました。



人混みをかき分け「代官屋敷」近くまでたどり着き、
横断幕の案内を頼りに「代官餅」販売所に行きました。

折り返し行列が4重にも5重にも並んでいます。
「最後尾プラカード」の係員に聞きました。
「何時間並びますか」
「2時間以上かかります、その前に売切れればお仕舞です」



集合時間まで40分しかない。「代官餅ゲット」は諦めるしかない。
法被を着た世話人に取材しました。
早い人は朝5時から並んでいます。
売り出し時間の9時で1時間30分待ちになります。



行列の先に行って写真撮ってもいいかと聞きました。
「割り込まなければ、いいですよ」と言う。
たにしの爺「割り込みなど」するわけがない。

天幕が張ってあって、係のご婦人が一人ひとり、
販売コーナーに誘導しています。
中を覗くとエプロン姿の人たちが箱詰めを作っていました。



天幕の周辺にはお茶と飯台テーブルが置かれていて、
買った人はそこで食べられます。
一人で召し上がっているご婦人にお願いしました。



「スイマセン。そのあんこ餅を写させてください」
「えっつ、これですか」「ハイ、スイマセン」
ちょっと強引だったかな。ありがとうございました。



年に4日しか売り出されない「レアなオモチ」ーー。
「あんこ」「きなこ」「からみ(大根おろし)」
その味は忘れ難く美味しく、
「からみ」はくせになる味だと、ネットに書かれていました。



たかがオモチ、されど「代官餅」
ーー遥かなる「幻のオモチ」になりにけり。
たにしの爺、来年は「代官餅ゲット」に挑戦するぞー。

今回は企画者のルートに従い東西線、半蔵門線で三茶まで。
東急世田谷線で「松陰神社」立ち寄り、ランチをしました。

帰ってから駅探で調べました。
松戸から8時6分の成城学園直行の電車に乗れば、
9時半には行列に並べることが分かりました。

なお今回、カメラは邪魔になるので持参しなかった。
掲載の写真は「ガラケー携帯で撮ったものです」。
「ボロ市体験記は未完です」

建設工事中の「八ッ場ダム」

2018-12-11 18:18:22 | Journalism
3年前に工事現場見学に行ってきました。
その時に、記念にいただきました。
民主党政権時代の工事中止中にも見に行きました。
その時は「ダムカード」はありませんでした。



八ッ場ダム(やんばダム)は利根川の支流の吾妻川中流部、
群馬県吾妻郡長野原町の川原湯温泉をダムの底に沈める、
多目的ダムで、2015年(平成27年)度の完成予定だったが、
2020年(平成32年)完成に延長されている。



1952年(昭和27年)に計画発表されてから、
反対運動や工事中止など、すったもんだの末、現在に至っている。

水没する名勝・川原湯温泉はダムの外に引っ越し、
営業を開始しているが、名勝の名残はない。
工事現場ツアーが宿泊とセットになっているので、
見に行ってやってください。

八ッ場ダム工事事務所

クコの実の「生実」を撮りました

2018-12-09 11:45:00 | 散策の詩



先日、植物園を歩いていたら、
小さな楕円形の「紅い実」が連なっている枝木に会いました。
「クコ」と言う表示が出ていました。



「クコ」と言えば、杏仁豆腐に付いて来るあれですかね。
コメの形を少し大きくしたような「赤い実」。
「生実」を乾燥させると、ああなるのでしょうか。



紅いつぶらな「生実」の艶はきれいですね。
連なって並ぶ形は、秋の陽光に照らされて、
赤い宝石のルビーにも見えますね。



秋の野辺を徘徊すると、
赤い実がよく目に付きます。



徘徊「孤独のグルメ」は和風だし香るカレーうどん

2018-12-07 13:15:15 | 散策の詩

晩秋から初冬の枯野を歩くのがいい。
たにしの爺的リリシズムの極みです。



「孤独のグルメ」というテレビドラマがあります。
深夜放送の枠ですがときどき見ます。

サラリーマン井之頭五郎が一仕事終える。
お腹を空かせ、自分の勘で街の店に入る。
メニューをじーっと見つめ考え注文する。
出てきた料理を次々ひたすら食べ続ける。
そして、額にしわを寄せて一人語りする。



井之頭五郎を演じるのは俳優で、
重厚な語りの声優の松重豊さん。



たにしの爺「外食」はベンチ食です。
野趣に染まる「孤食のグルメ」です。
たいていは「おにぎり」とお茶です。



徘徊途中に立ち寄るコンビニで仕込みます。
おにぎりは食べた後のゴミの始末が楽です。

この日は何故か、いかなる気分だったのか、
ビールと和風だし香るカレーうどん426円。



ベンチには枯れ葉が散り落ち、
足元にも吹き寄せられている。



紅葉の隙間から雲の多い空が広がっている。
脇の藪を見れば秋の実が宝石の輝きになる。



うどんを啜りこみ、ビールを流し込むと、
徘徊の爺、妄想が限りなく広がり始める。
「一人対話」は徘徊人の楽しみでもある。



永井荷風のような「徘徊の名人」を見習いたい。
たにしの爺、あらぬ妄想に憑りつかれたようだ。



誇大妄想の気は認知症の始まりだという。
このごろ、思い当たることが多くなった。



印旛龍伝説の頭・古刹「龍角寺」への道

2018-12-03 17:44:39 | 国内旅行

印旛郡栄町の古墳群が点在する「風土記の丘」
県立・体験博物館「房総のむら」があります。
時節ごとに訪れる「癒しの丘」でもあります。



少し離れたところに龍伝説の龍角寺があります。
資料館の脇から「白鳳の道」を通っていきます。



右側は松林などの樹木の林が広がります。
房総のむら復元竪穴住居などもあります。
左側の空間には古墳群が点在しています。



そのまま進むと石ころ砂利の曲がり坂道、
左右は葛が繁茂して山になっていました。
成田安食バイパス道路の下をくぐります。



伸び放題、倒れ放題の樹木で薄暗く、
ちょっと不気味な小径を辿ります。



右手には倒木の中に古池が見られます。
通る人も居なくて湿った寂しい道です。



左手は浅間山古墳の雑木林でうす暗く、
石段のある浅間神社や八坂神社もあり、
一軒農家があって畑に野菜もあります。



左側に数軒の農家集落があって、
大きく開けた十字路に出ました。
バス停などもあって広場でした。



そのまま道を進んで集落に入りました。
昼下がり、静かです。人は誰もいません。



植木や庭を拝見しながら歩くと、
突き当りに龍角寺がありました。



すごく古く、廃寺の如き佇まいです。
大きな銀杏の木が立っていました。



龍角寺の歴史は古く、千葉県屈指の古刹で、
伝説に満ちています。龍の頭の落ちた処に、
一夜のうちに出現されたとされています。



709年この地域が干ばつに見舞われたとき、
印旛沼の小龍が天に昇って雨を降らせた。
罰を受けた龍の体は3つに割けて地上に落ちてきた。

3つに分かれた龍の頭の部分をこの寺に祀り、
「龍角寺」と改称したという伝承が残っている。



史料によりますと、
龍角寺は、和銅2年(709年)に竜女化来し、
一夜のうちに諸堂(金堂、塔)を建立した、
と伝えられています。



関東地方でも最も古い寺院の一つだという。
本尊の薬師如来坐像は白鳳仏として貴重なもので、
国指定重要文化財に指定されているという。



境内には大小の礎石が残っているばかりで、
龍角寺の伽藍を忍ばせる史跡だと言えます。



三重塔の礎石は「不増・不滅の石」ともよばれ、
孔にたまった水は大雨でも日照りでも、
増減しないと言われている。



誰もいない古寺の庭には「ホトトギス」の、
花株が咲き乱れていました。



資料館では企画展「正月を迎える」が開催中でした。
千葉房総地方の「お正月」の注連飾りや食べ物、
年頭の行事・風景の模様など展示されていました。
三が日には、いろいろお正月行事が体験できるようです。





暖ったかい日和が続いています。今日から師走。

2018-12-01 16:59:17 | 花とつぶやき
木枯らし一号が吹かない師走入りになりました。
東京では39年ぶりのことだそうです。



きょう午前のウェザーニュースによりますと、
関東地方は穏やかに晴れた師走初日となっています。
関東では今季これまでに強い北風が吹いておらず、
東京地方の「木枯らし1号」の発表がないまま11月を終えました。



東京の木枯らし1号は、期間が11月末までと定義されているため、
今年は1979年以来39年ぶりに「発生せず」となりました。
この先もしばらく気温は高めの状態が続き、
週明けの4日(火)頃には20℃以上の気温となる可能性があります。



千葉房総の紅葉はこれからが見ごろになります。
佐倉城址公園の本丸跡堀端の紅葉です。
夕日がモミジの輝きを一層、際立てていました。