たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

今日で10月が終わります。明日から11月・霜月です

2015-10-31 11:55:22 | Lyricism



10月が11月になったからといって、
爺の生活に何か変わるわけでもありませんが、
月の区切りの栞として何か挟んでおきます。
たそがれの徘徊人(びと)には、ススキが似合うのかな。



「おれは川原の/枯れすすき、同じお前も/枯れすすき、
どうせ二人は/この世では、花の咲かない/枯れすすき」
(野口雨情作詞、中山晋平作曲)



今日はハロウィンとかで、
昨夜からテレビの女子アナまで大騒ぎしています。
月並みな挨拶ですが、天高く馬肥ゆるとも、
明日11月1日はは秋の天皇賞レースですね。



プロ野球日本シリーズもホークスの圧勝で終わりました。
爺のご贔屓の「スワローズ」は非力でした。
全セで戦っても鷹には勝てないでしょう。
プロ野球は「1強11弱時代」ですな。



晩秋にはススキが似合うものとして並べました。
気が付けば、今年はコスモスを撮ってなかった。
イベント取材があって、忙しかった10月でした。



・「秋の野の美草刈りふき宿れりし宇治の京の仮いおし思ほゆ」額田王
・「人皆は 萩を秋といふよし 我は尾花が末を 秋とは言はむ」作者不詳
・「虫の音もほのかになりぬ 花すすき穂にいずる宿の 秋の夕暮れ」源実朝 
・「山は暮れて野は黄昏の芒かな」与謝蕪村



カラスウリが橙色に染まると藪垣が透けてきます。

都内・世田谷区の崖、等々力渓谷と五島美術館庭園を歩く②

2015-10-26 14:32:24 | 社会見学

公民館サークルの会で東京・世田谷区の端っこ、
等々力渓谷と五島美術館庭園に行って来ました。
五島美術館庭園歩きについては前回書いたので、
今回は等々力渓谷歩きについて書いておきます。





本来のコースは東急大井町線の等々力駅から数分の渓谷入口、
赤いアーチ脚のゴルフ橋の下から入るのが通常のようですが、
私たちは五島庭園を先に見た関係で上野毛駅から歩きました。





環状8号線を20分ほど歩きます。車も多くかなり難儀な道でした。
玉川野毛町公園にたどり着いて、小山の上にある「野毛大塚古墳」は、
上がる力がなくてスルーしました。狭くて長い石段を下り渓谷に下り、
小さなみかん畑脇の石段を上がり、日本庭園書院の広場に着きました。





ようやく弁当タイムになりました。めいめいが用意したシートを敷き、
品川駅で買った弁当を開きました。
お酒なしには居られない会長ともう一人の相方は早速、三合ビンを開けています。
缶ビールを「プシュ」とやっている人も居ます。





等々力渓谷は、武蔵野台地お南端を矢沢川が浸食してできた、
延長約1キロメートルの東京23区内唯一の渓谷です。

「等々力」の地名は、渓谷内の「不動の滝」に音が響き渡り、
「轟いた」ところからついた、との言い伝えがあります。
(この項、パンフレットから)



帰路につきコンクリートで固められた渓谷の歩道を歩きます。
途中の崖には湧き水が流れ落ちる「不動の滝」がありました。





茶屋のある脇の石段を登ると「等々力不動尊」がありました。
境内のイチョウの大木が黄金色に染まっています。
樹の下には銀杏が敷き詰めたように落ちています。





渓谷は写真で見るように両側は石垣で固められていて、
山野で見られるような深山幽谷な雰囲気は全くありません。
まあ、都内ですからしょうがないですね。





ゴルフ橋の赤い橋脚が見えてきました。
石段を上がり「渓谷入口」に出ました。
写真の順と文章はマッチしていません。



お疲れさんでした。
帰宅して携帯の歩数計を見たら17,000歩を超していました。

都内・世田谷区の崖、等々力渓谷と五島美術館庭園を歩く①

2015-10-20 09:01:43 | 社会見学

公民館サークルの会で東京・世田谷区の端っこ、
等々力渓谷と五島美術館庭園に行って来ました。



世田谷区は都心から15km圏に位置して、
千葉県の松戸、市川と同じ距離圏です。
都内とは言え鎌ケ谷市からは遠いです。
等々力渓谷はさらに遠く多摩川に接しています。



9時半「さっちゃん」に集合、JRで品川駅に行き、
京浜東北線に乗り換えて、ひと駅目の大井町駅で、
東急大井町線に乗り換え上野毛駅で下車しました。



大井町線には自由が丘、九品仏、上野毛など、
高級住宅街の街としてよく、耳にしていました。
上野毛駅から五島美術館まで10分ほど歩きます。



住宅街に入ると、道の両側には立派な住居が並び、
たにしの爺たちの街では、見たことがないような、
瀟洒な豪邸が続きます。歩いている人も居ません。



巨木に囲まれた一角がありましたので、
電柱で作業していた人に「神社ですか」と聞くと、
「個人の家でしょう」という。「へー」と驚いて、
道の反対の邸宅が目に入りました。



かの有名な財界人のお名前がありました。五島家です。
その隣りが「五島美術館」でした。
東急コンツェルン創始者の五島慶太氏ゆかりの地ですね。



一言付け加えますと、
五島慶太氏は(1882―1959)たにしの爺の郷関である、
信州・上田市近郊の青木村の出身です。
今はどうか知りませんが、爺の高校卒業時分には毎年、
同級生の一人2人が「東急電鉄」に就職していました。



時間の関係で美術館には入らず、入場料300円也を支払って,
美術館の敷地内の庭園を回りました。
武蔵野台地の崖線を残したままの段丘庭園です。



庭園散策路は木々の間を幾重にも曲がりながら、
石段や坂の連続で、山裾を巡るような按配になっていました。
途中には池や築地が点在し、幾つもの石仏像や塔が並んでいました。



入園の際、戴いた庭園案内には、こんな記述があります。
「五島慶太翁は、この地を購入した後も、自然環境はそのままに、
石塔、石灯籠、石仏等を配置し、経路を整え、
足腰の鍛錬も兼ねて庭園内を散策するのが日課であった、と伝えられています。」



順路通りに歩いたわけではありませんので、
掲載の写真も順路通りにはなっていません。



詳しいことはこちらのサイトが参考になります。
「世田谷散策記・せたがや百景」

等々力渓谷の散策は後日に別掲でアップします。

相馬野馬追い・甲冑騎馬武者行列と勇壮に響く陣螺術吹奏

2015-10-13 11:54:55 | 散策の詩

今年も「鎌ケ谷市民まつり」に国指定無形民俗文化財の、
「相馬野馬追」の甲冑騎馬武者12騎が、
福島県の相馬地方から馳せ参じ、勇壮な人馬の絵巻を披露してくれました。





同地方と当市・鎌ケ谷とは「馬」でつながりがあります。



鎌ケ谷でも江戸時代には幕府の牧場が設けられ、
放牧馬を捕獲・分別した「野馬捕り」が行われるなど、
「馬」を通じた歴史的な縁があります。
そうした縁で甲冑騎馬武者行列が見られるようになりました。





出陣式が行われた貝柄山公園から市役所までの、
10キロを超す沿道には、大勢の市民が参列して出迎えていました。
新鎌通りの直線道路では二騎並んで早駆けする勇壮な迫力シーンを展開しました。





沿道の市民は甲冑姿の騎馬武者に「きれいね」「馬が可愛いね」など、
女性や子どもたちが歓声を上げていました。

ご当地ゆるキャラが「かまたん」に会いに来た~ん!!

2015-10-11 19:28:12 | 散策の詩

10月10日に行われた「鎌ケ谷市民まつり」に近隣の街から、
ご当地ゆるキャラの「かまたん」と遊ぼう!!と、
大勢で駆けつけてくれました。





遠くは愛媛県の今治市から、バリィさんも駆けつけました。
バリィさんは2012年のゆるキャラグランプリに輝いたキャリアがあります。





この日に来てくれたゆるキャラのメンバーです。
写真を見ながら見当をつけてくださいね。
チーバくん(千葉県)、いすみん(いすみ市)、いんザイ君(印西市)





カムロちゃん(佐倉市)、クルンちゃん、グルンさま(浦安市)
ちょーびー(銚子商工会議所 青年部)、なし坊・かおり(白井市)





ビーちゃん、ナッツちゃん、ぼっちくん(八街市)、みのりちゃん(松戸市)
やっち(八千代市)、よつぼくん(四街道市)、カバル(志木市





さのまる(佐野市)、バリィさん(今治市)、チュバ(チバテレビ)
深谷市のふっかちゃんは交通渋滞で残念ながら来れませんでした。



集まった子どもたちともじゃんけん大会で遊んだよ。
ホストのかまたんです。



「かまたんの家」はこちらです。
ゆるキャラグランプリにノミネートしてます。
よろしく応援してた~ん!!

胸躍る―シニアの誉れは長寿大運動会

2015-10-07 10:35:37 | Journalism

手を繋いだり、肩を組んだり、デカパンツを一緒に履いたり、
ペア競技では”老春”に胸躍らせ、久しぶりに汗をかいたようでした。
小生の歳では競技者の方なんですが、
レンズを通して見た”徘徊爺”の勝手な想像レポです。



 市の吹奏楽団の勇壮なマーチに乗って入場行進 

市とスポーツ団体などが主催する「長寿大運動会」の取材を、
地域エリアのWeb情報ネットワークNPOから依頼されて、
ペンとカメラを手に体育館内を動き回ってきました。
(実は地域限定ジャーナリストを名乗っています)



 障害物競走

一緒に走ったおばちやんから、
「男性の手を握るのは久しぶりだわ」と言われたと話す男性も。
同じ市内の見知らぬシニアたちが競技を通じてペアになる。





 「連れて逃げてよ!」――矢切の渡し 

競技の進行司会者がスタートやゴールのたびに、
「しっかり手を繋いでください」置いていかないで!
「肩を組んでてください」と何度も言っています。
勝つために相方を置いて先に飛んで行く男性もいたり、
気は焦っても足が出なくてつんのめる男性。





 デカパンツでデートー―パンツを一緒に履いて‥‥ 

足や腰を労わりよたよたのお年よりも居られましたが、
皆さん長寿の誉れを発揮して爽やかに汗を流しました。



しっかり肩を組まないと走れません 



初対面でも気持を合わせないと落としてしまいます 

「思いやりをもって、楽しくやりましょう」と呼びかけた、
開会式での審判長の注意が実感できる運動会でした。





 最後は「パン食い競争」――手で取って口に入れてもOK
おやつ代わりになりました。
徘徊爺、来年は取材者でなく競技の方に出てみたいが、
どこの老人会にも所属していない孤独者には”老春”はない。

ヤ党・スワローズ歓喜のセ・リーグ優勝

2015-10-03 11:07:17 | Journalism

選手らは優勝初体験の新鮮な感動に満ち、
緊張の解放と震える喜びを爆発させていた。




プロ野球セ・リーグ優勝へマジックナンバーを「1」としていた、
ヤクルト・スワローズが2日、神宮球場で阪神タイガースと対戦、
緊迫な試合経過でベンチもファンも胃が傷む延長戦になった。
1-1の同点の11回裏、ついに勝機を掴んだ。
雄平選手が一塁線を痛烈に抜く適時打を放ちサヨナラ勝ち。
2001年以来14年ぶり7回目のリーグ優勝を決めました。







昨年までの2季連続最下位から、
真中満監督は就任1年目で一気に頂点に駆け上がった。
真中監督は試合の間中、
ベンチの中ではハラハラドキドキの表情が手に取る様に分かり、
NHKbsの中継を見ているこちらも身が持たない4時間でした。





勝利の瞬間、緊張と重圧から解放された真中監督は目を潤ませた。
選手は全員「うるるなみだ目」になっていた。
ごつい顔の畠山選手も汗だか涙かをこすっていた。
神宮球場を歓喜と感涙が包みスタンドがゆれていた。





優勝インタビューで真中監督は、
「ファンの皆さん、優勝おめでとうございます」と、
前回優勝した若松勉監督の名フレーズでファンの声援に応え、
何度も何度も帽子を上げていました。



この後、神宮球場の外野でチーム全員がビールかけで喜びに酔いしれ、
見守ったファンと喜びを共にしていました。









広岡監督で初優勝。野村監督の黄金時代。
ヤクルトの生え抜きで優勝した若松監督。
今回は就任1年目で真中満監督が続いた。
スワローズの優勝DNAはいつも新鮮だ。

宇野監督、金田投手のスワローズ時代から、
いつもBクラスの球団だったが、
50年以上も、なぜかずーっとファンでいる徘徊人の爺です。
写真は全てテレビから。