たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<3>

2011-06-26 10:53:38 | 須賀敦子の著作

河出書房文庫版第2巻に収められている「トリエステの坂道」。
前作の「ヴェネツィアの宿」は著者自身の留学のこと、修学時代について、
また、父のこと、母のこと、祖母など、家族や周辺のことが中心でした。
最初の2年間の留学地・フランスの個人主義は須賀には、馴染めず拒絶的であった。
2度目の留学地・イタリアは第二の母国となるほどの、須賀にとって充実の地となっていく。



「トリエステの坂道」――、
表題作「トリエステの坂道」は夫・ペッピーノが亡くなって20年後、
夫と行くはずだったトリエステ、二人で読んだ詩人・サバの故郷への魂の旅から始まる。

永年にわたって、心を占めているの詩人の痕跡を求めて歩く
営んでいた古書店を訪れて、詩に読まれている道と街を歩く
そしてユリシーズの碧い海。
歩き続けて一日の最後にドアを押して入ったカッフェ。

「その店内に広がる光景に眼を瞠る。
    ………………………
…父がこれを見たら、どんなに喜ぶだろうと思った。」



表題作の他は、義父、しゅうとの義母、義弟夫婦たちの豊かではないが、
ミラノ郊外での暮らしを温かく描く。

夫が通勤に使っていた電車路線の思い出を綴る「電車道」、
傘を駅まで持っていったが、無視されて雨の中を走る夫など、イタリアの男たちが傘をささず雨の中を走る「雨のなかを走る男たち」、
そんな情景は、何かの映画でも見た記憶がありますね。

夫の実家と義母とのふれあい、義弟の若い妻を迎えることから「キッチンが変わった日」「セレネッラの咲く頃」、
鉄道員だった義父ルイージ氏への思いを込めた「ガードのむこうの側」など。
義理の弟アルドの家族との交流で、北イタリアの農村地帯の自然と、生活のなかで須賀自身が癒されていく。



夫を亡くしてから、実家と縁戚との交流の中で、著者らしい感性と知性が光る章が続く。

須賀の作品を読んでいて、いつも感じることですが、
最初に最後の1ページがあって、
そこに至る過程が丹念に知に満ちた文章で綴られていく。
そして、最後の数行が実に香気に満ちて、哀しく美しい。



表題作の「トリエステの坂道」に始まって/電車道/ヒヤシンスの記憶/雨の中を走る男たち/キッチンが変わった日/ガードの向こう側/セレネッラの咲く頃/息子の入隊/重い山仕事のあとみたいに/新しい家/ふるえる手――の12作品で構成されています。
殆どが「SPAZIO」という文化広報誌に、1990年代に連載されたものが中心です。




●<須賀敦子の著作に出会う>アーカイブ

須賀敦子の著作に出会う
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<1>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<2>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<3>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<1>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<2>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<3>
須賀敦子の著作に出会う「モランディの静物」

須賀敦子の著作に出会う「モランディの静物」

2011-06-25 11:20:22 | 須賀敦子の著作


NHKBSプレミアムで毎朝7時15分から
[額縁をくぐって物語の中へ]という番組があります。



昨日(24日・金)はモランディの「静物」でした。
イタリアのボローニャに生まれのジョルジョ・モランディの静物画といえば、
昨秋から読み続けている、須賀敦子が大好きだった絵画です。
著作のなかに、作品に出会ったときの記述が幾度か登場します。



「コルシア書店の仲間たち」のなかの一章「夜の会話」にもあります。
ミラノ生活で知り合った、貴族社会の流れを汲むオールドたち、
今風に言えば「超セレブ」たちの館に招かれ、
モランディの静かで気品さえ感じる作品に出会う。

いま読んでいる河出書房文庫版の「須賀敦子全集」(全8巻)
表紙はモランディの静物画の写真がモチーフになっています。



ところで、NHKBSの「額縁をくぐって物語の中へ」
番宣のコピーには<絵の中に入って、登場人物に話を聞いたり、
人物がどこを見ているのか探ったり
窓の外側に出て画家が描いていない街を散歩してみたり…
「視点」を変えて絵の中の世界を見てみると、
名画の新しい楽しみ方が見つかります>
”美しい絵の中に入ってみたい!”
そんな願いをかなえる番組です―――とあります。



良く知られた名画について、
制作の背景、作者の意図など画中の人物と対話したり、
尋ねたりしながら、名画の中を歩き回ります。
実に面白いです。名画鑑賞の新境地を開いた番組ですね。

3日間にわたった「源氏物語絵巻」など、
人物の配置の中に、どろどろの愛憎と哀しさを語る絵巻ドラマ。
また、モーリス・ドニの「セザンヌ礼賛」は昨年の夏、
国立新美術館で開かれた「オルセー美術館展」で眺めただけの絵でしたが、
まあなんと、複雑な背景と製作意図が込められていることを知りました。

NHK年間受信料1万6180円は、高いと思うか、値ごろと思うべきか。
贅沢に作られた海外ロケ番組など見ていると、金遣いが荒いなとも感じます。

菅蹴り遊びをしているときではない

2011-06-18 10:02:04 | Journalism

「菅首相では駄目だ」と永田町界隈では大合唱。
「なに」が「どのように」駄目なのか、
国民には、一向に判然としないままだ。
「駄目なところ」が分かっているなら、
力を貸して「駄目でない」ようにするべきではないか。
それが選良たちの仕事で、国民への義務だろう

「駄目だ」「駄目だ」「駄目だ」という。
「駄目でないのは」誰か居ますか。誰ですか。
木霊でしょうか、いえ、小澤一郎です。

国会議員は、ゼネコン、金権、利権政治家屋が好きなんだ。
この未曾有の国難のときに、
「菅蹴り遊び」で税金を盛大に浪費している政治に、
たにしの爺は「怒り心頭なのだ」
住民税の課税通知と国保の割り当てを見て、逆上している。
爺から税金など取るな。
お前らのために無駄遣いされると思うと悔しくて、
眼から火が飛び出す。

♪♪菅と一郎の周りで♪♪

菅のまわりで鳩がまわる
菅のまわりで狼がまわる
だめだ だめだ だめだ
バカのように叫びながら
鼠のようにまわっている

誰かの周りで金がまわる
永田町で空しい政治踊り
やめろ やめろ やめろ
与・野党も一緒に大合唱
国民は放っとけ放っとけ

この悪政極まるジャパン
獲るよ 盗るよ 取るよ
税金執るよ消費税アップ
永田町霞ヶ関は楽しいな
税金さえあれば憂いなし


須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<2>

2011-06-16 23:00:35 | 須賀敦子の著作

昨秋以来、須賀敦子の著作に出会い、
「地図のない道」まで読み終えていたが、
ブログ更新はようやく「トリエステの坂道」にさしかかりました。



ちょうど良い具合にBS朝日で、18日の土曜日から3週連続で
「須賀敦子のイタリア」が再放映されます。
前回の放映は見逃してしまいましたが、
今回はしっかり拝見しようと思います。



今頃になって、須賀の著作に魅せられている俄かフアンが、
著者の「トリエステ」を辿るには、無謀にも思えますが、
須賀敦子がこの街に寄せる思いは切なさにみちています。
最初の著作「ミラノ 霧の風景」にも、
「きらめく海のトリエステ」として登場します。
ある機会を得て、想い焦がれていたトリエステを、
初めて訪れた帰路です。



「来たときとおなじように、切りたった断崖の道をヴェネツィアに向けて走る汽車の窓から、
はるか下の岩にくだける白い波しぶきと、
帆かげの点在する、サバの眼のように碧い海が、
はてしなくひろがるのが見えた。
ホメロスがジョイスがそしてサバが愛したユリシーズの海が、夏の陽光のなかに燦めいていた。」

夫と行くはずだったこの街を、今度は一人で歩いてみようとの思いを残す帰路でした。
(この稿未完)


●<須賀敦子の著作に出会う>アーカイブ

須賀敦子の著作に出会う
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<1>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<2>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<3>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<1>

民主党のガレキ議員を「冷温停止」せよ

2011-06-07 06:58:40 | Journalism

いま、この時期に「菅の周り」で遊んでいる国会議員。
こいつらに施している歳費=被災者の血税も含まれている。
税金の無駄遣いの最たるものです。
民主政治のコストにしても浪費が過ぎます。

菅内閣不信任決議案の提出を巡って、
仕掛けた壊し屋・小沢一郎の取り巻きガレキ議員、
三井国土交通副大臣、鈴木総務副大臣、東内閣府副大臣、樋高環境政務官内山総務政務官の5人が
不信任決議案に賛成したいとして、総理に辞表を提出しました。

ところがです、思惑と違って不信任案が否決されたら一転、
辞表を撤回して、元の席にちゃっかり座っている。

政界津波のプレート・民主党ある限り日本が壊れていく。、
元凶・空ろな菅、震源地・ナマズの小澤、哀れなウソ発信人・鳩山。
「小澤の周り」で右往左往する民主党議員。
こんなガレキ議員は「冷温停止」にして石棺詰めにしたらいい。

その仕事は、選挙区の皆さんに課せられています。
それしか方法がないのです。

須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<1>

2011-06-05 10:01:39 | 須賀敦子の著作

今年の梅雨入りは早い。
とき(時・季節・時節)が留まらないで通り過ぎていく。
そんな感じで年の半ばになってしまった。




出会う。
人とのそれには、まあ、いろいろあり、自分だけで済むものではない。
やはりその点、一番楽しいのは「本との出会い」ですね。
「良い本との出会い」は自分だけで済むのが良い。
昨秋以来、須賀敦子の著作に出会い、
「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」
「ユルスナールの靴」「時のかけらたち」「地図のない道」と読んできました。



「本との出会い」でもう一つの出会いがあります。
それは「街・町・都市との出会い」です。
まったく知識のなかった街が、その本によって、
文字だけによって鮮やかに描出される。



最近はテレビ番組でも「街歩き」が流行っている。
須賀さんは60年以上も前に、街歩きを実践していた人ですね。
街・道・石・坂・靴に関わる記述が良く出ています。
なかでも「トリエステ」。



北イタリアの右奥から、アドリア海を挟んでヴェネツィアの対岸に、はみ出したような辺境の街。
須賀さんの、この街への想いは、亡くなるまで鮮やかな記憶となって蘇る。
結婚して6年余で亡くなった夫・ペッピーノ氏との思い出。
大好きになった、詩人のウンベルト・サバの生きた街です。
(この稿未完)

おまけ。
前の総理大臣が、今の総理大臣を「ペテン師」と呼びすてる。
これが日本の政治状況。哀し過ぎる。
大震災後、真っ先に片付けるべきは、永田町のガレキ議員だ。


払暁に聞く ホトトギスの声か

2011-06-03 07:57:21 | Nationalism

たにしの爺、払暁に税務署あてのメールを打っていたら、
かすかに「とっきょとかきょく」と聞いたような声がしました。
しばらくしてまた一声、はて、いまごろホトトギス。

不如帰は、夏の夕方に鳴くのではないのか?
かすかに、また「とっきょとかきょく」
そうかもう6月、初夏なんだ。

松戸にある文化財「戸定邸」の庭には、
ホトトギスの花の群生あるのを思い出しました。

鳥のホトトギスは見たことがありません。
花のような、まだら模様なのかな。