たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

図書館で映画「ギフテッド」を鑑賞

2020-01-31 12:04:00 | 劇場映画

歩ける、外出できる高齢者の楽しみの一つ、
「たにしの爺」的に言えば「三館めぐり」ですね。
美術館、博物館、図書館です。

この中で無料で利用できる施設は「図書館」ですね。
歩いて行ければ交通費コストもかからない。
「たにしの爺」の徘徊歩きの途中で留まる休憩所は、
公民館と図書館です。

最近は大型活字の本しか読めなくなったので、
図書館に行かないと「大型活字」の本が借りられない。
その図書館で無料で「映画も見られる」。

当市の図書館では、年に10回ほどですが、
「シネマトーク」映画会が開催されます。
1月に上映された「ギフテッド」を鑑賞しました。



この映画の内容については全く知りません。
上映前の図書館学芸員による解説によって、
「ギフテッド」(Gifted)とは”天才児”能力者で、
「天から才能を授かった人」という意味だと知りました。

幼少時から異様な能力を示す天才児がいる。
数理的計算、抽象能力や語学感覚、記憶力など、
常人をはるかに超えたIQ指数の子どもが現れる。

小学生でありながら特定の分野で、
大学院生の能力レベルを超えている。



映画「ギフテッド」のテーマは
そのような子どもにとって「本当の幸せとは……」

天才数学者だった姉の忘れ形見の7歳の姪メアリーと、
叔父であるフランクは、
ボートの修理で生計を立てて幸せに暮らしていた。

メアリーは小学校に通っていても楽しくない。
数学の天才児だと分かる。
フランクの母イブリンが現れ「英才教育」を勧めて、
フランクの元から引き離してしまう。
亡くなった姉との約束で「普通に育てたい」フランク。

一番大切な「才能」とは、「本当の幸せとは」??
全く予備知識もなく知らなかった映画を観て、
新しい「知の扉」を広げることになりました。

40人くらの収容席でスクリーンも大きくなく、
こじんまりした空間ですが良質な映画作品を選んで、
市民に供する「図書館」の事業を評価します。

「ギフテッド」公式サイト

この映画でたにしの爺が気に入ったセリフがあります。
「年上の間違いを正すなって」「嫌われるから」
メアリー役のマッケンナ・グレイスの愛らしさ、名演技が見所ですね。
思いがけなくいい映画を見ました。

高齢者の「あくがれて行く」日々

2020-01-26 11:55:15 | Journalism

今朝・令和2年1月26日、早暁に、
FM放送のイヤホーンから耳に入った日本語単語、
「あくがれ」というフレーズがありました。

NHKFMの番組に毎週日曜午前5時から、
「邦楽百番」という時間があります。
名前の通り筝曲や清元をたっぷり聴かせてくれます。
「たにしの爺」筝曲や清元に全く知識がありません。

それが何故、邦楽か、ということになる??
枕元にラジカセイヤホーンが在って一晩中、
耳に入れれば放送が聴ける状態になっている。

ラジカセはNHKFMに固定されていて、
もっぱらクラシック番組を聞いています。

最近のNHKFMはクラシック音楽より、
若者向けのポップス系の時間が多くなり、
高齢者には肌合いが合わない感じですね。

トイレから戻って時計を見たら5時を回っていました。
1時にトイレに起きてから5時ですから、
最近になく、よく眠れた夜でした。



イヤホーンを耳に入れると響いたのは、
筝・琴の張りつめた弦の共鳴音でした。

筝の連弾音って、なんか典雅で清浄感に満ちていて、
朝起きの「ぼーっと」した脳内をクリアにしてくれる。
そんな風に「たにしの爺」は感じています。
「個人の感想です」

今朝の放送の3曲目に若山牧水作詞の「あくがれ」を、
筝と十七弦の演奏でバリトン歌手が謡われました。
十七弦の低音と筝の高音が短い詩の間を繋ぐものでした。

爺がこの記事を書く気になったのは、
全く知らない世界の「筝曲」のことではなく、
若山牧水作詞の「あくがれ」という曲題名の、
「あくがれ」という単語でした。

「あくがれ」→「たそがれ」をイメージしていました。
「黄昏・たそがれ」なら徘徊爺の境地です。

PCに入力してみました「あくがれ」、
転換キーを押すと→「悪枯れ」と出ました。
えっつ??ホント~~転換ミス??
「悪枯れ」…「立ち枯れ」「霜枯れ」「冬枯れ」と同類語句か。



「あくがれ」の正しい意味は、牧水の詩から、
*けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く

「あくがれ」は「憧れる」の意味だと分かりました。

・Goo辞書によりますと(引用します)、
《本来は、あるべき所から離れる意》
1 いる所を離れてふらふらさまよう。
2 物事に心が奪われる。うわの空になる。
3 胸を焦がす。思い焦がれる。ーーなど

遍歴放浪の詩人・若山牧水の詩の意味は、
山から海へ、旅から旅へ憧れて、
心の鐘を鳴らして今日も旅行く、
そいう歌でした。

今朝、早暁に聴いた「十七弦」の音色は、
牧水の「あくがれ」る心の鐘、
「琴線」を揺らし鳴らすものでした。
たそがれの爺にも響きました。



1 いる所を離れてふらふらさまよう。
「徘徊」も居る所が分からなくなることですね。

「たにしの爺」も牧水並みに「徘徊の日々」、
まあ、「あくがれて行く」と言えますな~

ずれずれ妄言を、
最後までお読みくださった皆さまありがとう。
掲載の写真は近江路を遍歴した時のものです。

大型活字本で藤沢周平「風の果て」を読了

2020-01-18 16:00:04 | 本・読書
大型活字で読む時代小説シリーズ、
藤沢周平「風の果て」上中下を読み終えました。
暮に図書館から借り出してきましたが、
途切れ途切れに読み継いで返却期限の15日になりました。



以前、昔になりますが文庫本で上を読み始めて、
下が未購入でしたので結末が不明のままでした。

ストーリー展開が主人公の現況と回想が交差しながら、
武家社会の生き様が精緻な文章で綴られた物語でした。
大活字でストレスなく読めて藤沢文学を堪能しました。

長い物語はこんな場面から始まる。

首席家老の桑山又左衛門に「果たし状」が届いた。
「果たし合い状」は親友の野瀬市之丞からだった。
――市之丞め、又左衛門は行燈を引き寄せ呟いた。

市之丞は、娶らず禄を喰まず歳を経た野瀬家の厄介叔父。
藩の首席家老桑山又左衛門に果たし状を届けてきたのだ。

又左衛門は顔を暗い庭に戻しながら虫の声を聞いた。
政変を勝ち抜き、又左衛門が権力を手中にしたとき、
市之丞が「奸物」めと、つぶやいたことを思い出す。



ここから長い回想のストーリーが始まる――。

又左衛門・村上隼太は実家の部屋住みの居候だった。
野瀬市之丞とは片貝道場に通う修行仲間だったのだ。
片貝道場では併せて5人の修行仲間が親しんでいた。
杉山鹿之助、三矢庄六、寺田一蔵、市之丞、隼太。

5人は稽古が終わった後、
組頭の楢岡図書の屋敷に伺って、
藩家中の内輪の話を聞くのを楽しみにしていた。
主に窮乏する藩の財政と対する派閥の噂だった。

隼太らが楢岡家を訪れるもう一つの楽しみは、いや、
こちらの方が一番の本命だといえる楽しみがあった。
図書の一人娘千加さんが点てる茶を頂くことだった。
千加さんは憧れのマドンナで心中密かに期待していた。

千加さんの婿に入ることを夢見ていたのだ。
家格と身分制度が決まっていた時代。
家督相続は長男と決まっていた。

次男三男はしかるべき家格の娘に婿入りしない限り、
嫡男の家で部屋住みの厄介叔父になるしかなかった。
杉山鹿之助だけはかつて藩の重職の嫡男で、
いずれ藩の要職に就く身分は保証されていた。
他の四人は下士侍の二、三男で婿の口を待っていた。

そんな中で、上村隼太は楢岡図書から聞かされた、
藩の開拓水利事業で難関になっているという未開地、
「大蔵が原」の開拓水利事業に夢を持つようになった。

「大蔵が原」の開拓水利に着目しているもう一人の要人が居た。
藩の農政に関して第一人者で切れ者と言われる郡奉行の桑山孫助。
「大蔵が原」を歩き回っていた隼太は、
探索していた桑山郡奉行と山中で出会った。

運命の出合だった。
隼太は桑山家に婿入りすることになった。
藩の基礎財政は農政、農民らの信頼関係が大事だという、
義父孫助の私利私欲を超克した生き様に惹かれるようになった。

派閥の思惑による「大蔵が原」が政争の具にもなった。
妨害にもめげず桑山父子は開拓事業に成果を見出した。
隼太も代官から奉行にと出世の道が拓き始めていた。
道場仲間だった杉山鹿之助は世襲の血筋で家老になっていた。

隼太は家督相続を機会に桑山又左衛門と改名した。
家老職に任ぜられるようになる頃から、
上士で、かつての親友だった杉山が、
下士出の隼太の出世を快く思わない、
「成り上がりめが」そんな気配を見せるようになった。

…………………………………………………………………………
権力者は、後からくる実力者を排除しようとする。
自分の権益を犯す者は許せない。
農政の実績と、農民からの信頼という、
バックグラウンドを持つ隼太を恐れたのだ。

戦国時代も武家の世でも、現代でも、
組織の権力者は後からくる実力者を落とす策を巡らす。
…………………………………………………………………………
回想のストーリが終わり、小説の筋に戻れば、

藩の頂点に立った隼太・又左衛門に、
生涯、「娶らず禄を喰まず」だった市之丞が、
なぜ、「果たし状」を突き付けてきたのか?

ーー市之丞の顔を立ててやろう。

果たし合いの指定地・三本欅の下に市之丞が立っていた。
「執政などに納まりやがって、腹の底まで腐ったかと思ったが、
そうでもなかったらしいな。一人で来たのは上出来だ」

年老いた二人が息絶え絶えに白刃を交わし合った。
又左衛門は、市之丞に最期の水を飲ませた。

「大蔵が原」の空を風が走った。

出世した者、人を切って脱藩した者、生涯無禄を通した者など、
5人の道場仲間が辿ったそれぞれの人生模様。
生き方は難しい。

成田山新勝寺の表参道で出会ったネズミとネコ

2020-01-16 20:54:44 | 国内旅行

成田山新勝寺に詣でて「交通安全」のお守りを、
授かってきたことを前回に続いて書いています。
表玄関として荘厳な総欅造りの総門が見事です。



表参道の道端には「十二支」の石像が配置されています。
今年は「子年」ですね。
そこで一枚パチリと撮ってきました。



「ねずみ」が居れば、ネコですね。
「川豊」以上に人だかりがしている、
ウナギ屋さんの店頭がありました。



この人気は何だ、と分け入ってみると、
サングラスの白ネコちゃんが横になっている。
置物ではないです、動いています。



表参道の途中に「猿回し」の大道芸がありましたが、
完全に「グラサン猫」が人気を集めています。



「新勝寺の節分」は毎年、
大勢の人気者が年男で豆まきをするので話題になっています。
今年も大相撲から白鵬、遠藤、御嶽海の力士ら、
NHK大河から光秀役の長谷川博己さんら、
凄いメンバーが告示されています。



参詣客でにぎわう成田山新勝寺・表参道から、
令和2年の境内周辺の光景写真を並べました。









交通安全祈願のお礼参りに、今年も成田山新勝寺を詣でました

2020-01-15 19:47:58 | 国内旅行

成田山新勝寺さんへの交通安全祈願詣では、
「たにしの爺」新年の恒例になっています。



15日の小正月前の14日に行って参ることが出来ました。
例年は7日までには行って来るのですが、令和2年は、
同居人の都合で14日になってしまいました。



464号線、いわゆる千葉北道路が成田山まで通じていたので、
快適に走って約1時間で新勝寺の取付け道路に入りました。



松の内も過ぎて14日にもなると、
境内は比較的空いていました。



1年間お世話になった「交通安全」のお守りを返納し、
新しいお守りと交換(購入2,000円)しました。

返納と言えば「高齢者の運転免許証」ですね。
「たにしの爺」4月には82歳になります。
まさに「免許証返納適齢期」ですよね。



表参道に出てきました。
成田山詣でと言えばウナギと川魚が有名です。
JR、京成の成田駅から800m続く表参道には、
沢山のお店が有ります。グルメ、漬物、甘味処。



お寺の周りには約60店のウナギの店があると言われます。
ひときわ賑わっているのが「川豊(かわとよ)本店」で、
店頭では、まな板の上でウナギを割く光景が見られます。



超人気で行列して整理券を発行をしています。
店内の奥までに順番待ちのお客さんでひしめいています。
宿場宿風の木造の建物は、どこか昔懐かしい雰囲気です。



隣にも、向かいにもウナギ屋さんがあるのです。
そちら様の方は待たなくてもウナギにありつけるのに、
値段もお得なようなのに、何故なんでしょうね。
成田山には「川豊」という「ウナギ神話」がある??。

たにしの爺もやはり、ご贔屓は「川豊」さんで、
成田山に行くと頂くのが恒例になっています。



爺がいつも行くのは「川豊西口店」の方です。
JR成田駅から徒歩10分弱で、本店ほど混んでいません。、
食事処もいろいろあって、ゆったり頂けます。



いつものように財布にやさしい「うな重」と、
今年は「鯉こく」をオーダーしました。
ウナギの身が少し薄くなったかなー、
なんて思いましたが、まあ、満足する美味しさでした。



ウナギ店のメニューをパチパチ撮ってきました。
正直言って「ウナギって、どうして高価」なんでしょうね。





表参道には川魚の店も多いです、
コイ、フナ、小魚など、印旛沼の魚なのかな??
養殖魚が多いと聞いています。



それと「羊羹」の老舗が競っていますね。
柳家本店、米分本店、なごみ米屋総本店



中高年は胡瓜の鉄砲漬けなど漬物屋さん。
お煎餅屋さんが若者には人気のようです。

<次回も成田詣での記事です>
「うなぎ」以上に人だかりしている店がありました。
次回にアップします。

「たにしの爺」年始の祈願は健康と知の旅です

2020-01-07 10:32:07 | 花とつぶやき
令和2年の新年松の内も今日まで、
7日は「人日(じんじつ)の節句」
「七草がゆ」をいただく日ですね。

日常業務が徘徊の「たにしの爺」新年の願いは、
今年も病気にならない身体を維持することです。
徘徊の道筋で撮り貯めた写真を配した散文です。



年末年始、日本人は日ごろの信心に関わらず、
神社仏閣を詣でお賽銭、おみくじをひきます。
永年受け継いできた「正月のかたち」ですね。



徘徊の道筋には3つの神社がありますが、
大概は手を合わせて通り過ぎるだけです。
その日の気分で鈴を鳴らしお参りします。



4月で82歳になる寅年の「たにしの爺」ですが、
日常の務めとしては、病気にならないことです。
徘徊とブログ更新が体調維持の涵養になります。



体力の方は週一回のトレーナ付き「ちょ筋教室」と
毎朝のテレビ体操10分と引き続き行うスクワット。
午後3時過ぎからの徘徊は90分で9000歩約6キロ。



日々の体調管理が仕事だと思っています。
知力涵養は大型活字で読む時代小説です。
痴呆の気は全くない「好奇高齢者」です。



日ごとの仕事に掛かるコストはゼロですが、
でもねたまには、非日常の世界に浸りたい。
そんな時は「TOKYO街旅」歩きですね。



東京23区の観光案内所のWebが参考になります。
歴史遺跡、文化財、街筋をメモって記憶します。
気兼ねのない友人と月一くらい上京して楽しむ。



人生100歳時代を生きる一番大切な心構えは、
変化を求めて、記録を文章にすることですね。
爺には、ブログが知力維持の格好の媒体です。



2005年から始めた「たにしのアブク風綴り」も、
「アブクを噴いて」2020年で16年目になった。
駄文の羅列でも情の滲む文を心がけたいです。



昨日の毎日新聞「余禄」で惹かれたフレーズでがありました。
米国の思想家エマーソンが残した言葉で、
「美しいものを求めて世界中を旅するが、
私たち自身が美しさを携えていなければ、
それは見つからない。」というものです。

コラムのテーマは、有名観光地に訪日観光客が押し寄せる、
「オーバーツーリズム」現象について、
地元生活者との摩擦が世界の有名観光地で起きているという。



爺も「美しさを携えた徘徊者」になろう。
知的に元気で美しく徘徊していたいです。

2020年 令和2年 元旦のごあいさつ

2020-01-01 12:46:18 | Journalism
ブログ初めのキーボードに向かいました。
テレビでは新春ニューイヤー駅伝をやっています。



箱根駅伝を走ったお馴染みの「駅伝エリート」らが、
企業ゼッケンを胸にして、デットヒートを展開しています。
旭化成の市田兄弟がトップを維持しています。
トップが固定してしまいますと駅伝は詰まらなくなります。

区間ごとにトップが入れ替わるレースが楽しめます。 
ホンダの設楽悠太が追い上げています。
元旦の生テレビ映像はこの駅伝だけです。

ところでトップに掲載の富士山は「たにしの爺」が、
1年前の暮に田貫湖畔で生撮りした自撮り写真です。
暮の30日に二男の家に招かれ忘年会をしたとき、
「今年は富士山に2回登った」と言っていた。
富士山は眺めて仰ぐのがいいのであって、
登るなんて思いもしなかった人生でした。
代わりに子どもが2回も登ったという、褒めてやりたい。



富士山の写真に続いて焼酎のボトルです。
現役時代はかなり飲んでいましたが、
忘新年会で「飲み放題」付きなんていうのは、
最近は、まっぴらごめんですね。
うるさい酒席には我慢なりません。

70~80台になってから深酒すると苦しくなります。
それでもちょっと飲まないと物足りませんね。
「食膳のアクセサリー」として楽しみます。

写真は飲みかけのボトルもありますが、
今年の新顔は「越乃寒梅、古酒 乙焼酎」です。
新潟の銘酒「越乃寒梅」はスッキリ感が良く好きなお酒です。
その蔵元が密かに造っているのが、この「乙焼酎」だという。

いまニューイヤー駅伝の舞台となっている、
群馬県の姻戚先のご住職さんと焼酎の交換しています。
今年は徳之島の長寿焼酎「黒糖焼酎・奄美」を送りました。
そのご住職さんが「まぼろしの焼酎」だとして、
「乙焼酎」を送ってくださいました。

お湯割りなどにしないで「ロック」で、
ストレートな香りを少しづつ味わうのが、
たにしの爺の流儀です。



それから旅に出たときには「もっきり」ですね。
升の中にグラスを置き一升瓶から「トクトク」と、
溢れるように日本酒を注いでもらう。
目の前で一升瓶から、というのが絶対的スタイルです。

最近は温泉旅館に泊っても、
「ビュッヘスタイル」の夕食が主流になっています。
そんなとき”もっきり”をオーダーします。
ちゃんとスタイル通りにやってくれると、
嬉しくなりますね。
調理場から出来上がったものを運ばれてくると、
つまらないですね。



ニューイヤー駅伝、トヨタ自動車が、
旭化成を逆転してトップに出ています。続いてホンダです。
ゴールのテープを切るのは3チームのうちどこでしょうか。

明日と明後日は箱根駅伝ですね。
コタツもぐりの「たにしの爺」には、
とても心地よい時間つぶしですね。
見終わったら徘徊に出かけます。
今年も「徘徊日記」と「ボッチベンチ弁」で、
ブログをつないでいくことになりそうです。