たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

雪氷とけて雨水となればなり

2008-02-19 21:25:19 | Lyricism



19日は24節気の「雨水」…雪が溶け始めるころ。水温む。カモも逆立ち。



はだれ雪(斑雪) 雪がまだらに残った状態や降り積み方が斑な雪をいう。

昨日の夜、市川崑監督を悼んで映画「細雪」がテレビ放送されていた。

雪の名前を思いつくままに、並べてみた。
ボタ雪、牡丹雪、なごり雪、まだら雪、根雪、新雪、吹雪、風雪、ドカ雪、大雪、細雪、初雪、春雪、白雪、山雪、里雪、豪雪、冠雪、降雪、除雪、雪女…雪が嘶く
 
津軽に降る雪は7つあると、新沼謙治が「津軽恋女」で「こな雪  つぶ雪  わた雪  ざらめ雪  みず雪  かた雪  氷雪」と歌っている。



耐えて 凛と生きる 雪国の女(ひと)が居る。

♪♪いま、老いらく世代に、湯原昌幸が歌う
「柚子」と言うこの歌に、共感が集まっている。
作詞・作曲は「吾亦紅」のコンビですね。♪♪



「柚子」湯原昌幸/作詞:ちあき哲也/作曲:杉本眞人

まだ俺が がきの頃 越してきた家に
若い規父が植えた柚子 今年も青い実がなった…
義母(はは)譲り 柚子のジャム トーストに塗って
自信なさげに 出来を訊く おまえがやけに眩しいよ…

ちびを学校に送り出し 久しぶりだね 朝の食卓(テーブル)
隣近所の噂にも なぜか胸は安らぐ

甘酸っぱい柚子の味 後ほろ苦い柚子の味

ねぇ 今 1日だって
おまえより長く生きて やる気でいるが
ねぇ もし もしもだよ
呆気なく俺が先に 逝ったとしたら
…ごめんな

くり返し不始末を 仕出かした俺さ
いつも土下座で詫びるとは お前が親(おや)を宥めたね…
父は亡く 母も亡く 人生は速い
ひとつ正しいことをした お前を女房にしたこと…

どんな幸せを捨ててたか 沸いたケトルの笛に沁みるよ
少し休めよ、コーヒーは俺が淹れてやるから

甘酸っぱい柚子の味 後ほろ苦い柚子の味

ねぇ 今 ありがとうとか
お座なりの感謝なんか 言わずにおくが
ねぇ もし もしもだよ
償いもできず先に 逝ったとしたら
…ごめんな

甘酸っぱい柚子の味 後ほろ苦い柚子の味

ねぇ 今 1日だって
おまえより長く生きて やる気でいるが
ねぇ もし もしもだよ
苦労だけくれて先に 逝ったとしたら
…ごめんな

その時はごめんな…

母べえ 戦争の昭和時代の家族

2008-02-12 23:08:06 | 劇場映画
自由な思想が犯罪になる「治安維持法」下の昭和時代。
ドイツ文学者の「父べえ」(坂東三津五郎)が逮捕される。
残された「母べえ」(吉永小百合)と二人の娘たち。

父べえの妹の久子叔母さん(檀れい)、教え子の山崎さん(浅野忠信)が親身に留守家族を励ます。
獄中の父べえとの手紙の交換が、家族の支え……そして日米開戦……

この映画には「懐旧的な昭和」などは全くない。
得体の知れない「意思」が国家権力と民衆によって、(近頃の言い方で言えば)コラボして圧倒してくる「暗い昭和」の時代が日常として描かれる。

「靖国の母」も切ないが、気強く働くこの「母べえ」は、もっと切ない。
ただ止めどなく、涙腺が弛み続けるのは、なぜだろう。

11日・国の祝祭日にこの映画を見ました。
意識したわけではありません。たまたまそうなっただけです。
映画のなかに「皇紀2600年祝賀」のシーンがありました。

場内はほとんど中高年以上、お年寄りばかりでした。
支配人らしき人に聞くと、お客さんは「L」の方に集まっているということでした。

「武士の一分」で健気で哀しい下級武士の妻を演じた檀れい。今回は父べえの妹として登場する。
美貌と気品は比類ない。宝塚時代の中国公演で楊貴妃の再来と評されたという。

タニシは、原節子の再来と言いたい。

立春 ・ 春と聞かねば 知らでありしを

2008-02-02 20:48:55 | Nationalism

今日は節分。豆まきです。
最近は、太巻きを、丸かじりするのだそうです。
コンビニ、スーパーでも売っています。

そして立春です。タマゴが立つ日ですね。
季節は少しずつ春に向かって動きはじめる。


麦踏みながら

作詞 関根利根雄/土岐善麿補作 作曲 玉利明

1 山ふところの だんだん畑
  麦踏みながら 見た雲は
  あれは浮雲 流れ雲
  一畝(ひとうね)踏んで ふりむけば
  風にちぎれて 空ばかり

2 山ふところの だんだん畑
  麦踏みながら 見た人は
  あれは商人(あきんど) 旅すがた
  一畝踏んで ふりむけば
  もみじがくれの うしろ影

3 山ふところの だんだん畑
  麦踏みながら 見た鳥は
  あれはかりがね 親子づれ
  一畝踏んで ふりむけば
  峰は夕映え ひとつ星


麦踏みは、芽がでて数センチになった麦を、一畝(ひとうね)、一畝(ひとうね)踏んでいく、早春の農作業です。
 この作業を行うことによって、霜柱ができたときでも、土が持ち上がらず麦の根を保護し、根も強くなり麦の生育を助けます。
 麦踏みをタニシの記憶でたどれば、雪解け後の寒風に身を縮めながら、家中で田圃に並んで、一歩ずつ地下足袋でひたすら、踏んでいく、学校から帰ってもこれをやっていれば、勉強をしなくてもすむ。夕餉の後は疲れて寝るだけです。


いま麦作をやっている人が、日本にいるだろうか。
 日本人の食べ物は自給率40%だという。自分たちの口に入れる食物の60%が外国産の輸入物。特に最近、中国品が急増している。
 残留農薬漬けの野菜を売りつける国も、それを買ってくる輸入業者も無責任極まりない。

 自国民が口に入れる食品を老舗料亭から、零細食肉業者まで日本人でさえ、偽装食品を製造販売するのだから、あの危ない国が、どんなものを造っているのか恐ろしくなる。
 市場主義、コマーシャリズムの行き先は、破滅への道。


タニシのあぶく綴り――