たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

諏訪大社下社「春宮」近くの名刹・慈雲寺で癒しの時間

2020-02-24 09:16:09 | 国内旅行

国宝松本城と諏訪大社を拝してきたことたことを、
3回にわたり長々と綴ってきました。
最終章は寄り忘れた「おんばしら館・よいさ」と
「下社春宮」近くで訪れた「慈雲寺」について書きます。

駅前の観光案内所の担当者さんから、
面白いから寄っていきなさいと勧められた、
「おんばしら館よいさ」を忘れていたことを、
「秋宮」近くに来てから思い出しました。

 

「おんばしら館よいさ」には、木落し体験装置があって、
木落し坂を下る躍動感を体験できると聞きました。
是非体験してみてと言われていました。
残念なことに通り過ぎていました。
御柱の迫力を映像で紹介もしているという。



もう一カ所、強く勧められたのが「慈雲寺」でした。
「春宮」から「秋宮」へ向かう中山道の脇に、
武田信玄ゆかり「矢除け石」などがあり、
その脇から急な石段があります。
126段の石段を休み休み上がりました。



武田信玄が保護した名刹で、
臨済宗妙心寺派・白華山(はっかさん) 慈雲寺。



コケ生した杉並木の参道を抜け山門を潜ると、
そこには美しい庭園が広がっていました。





雪吊りされた松の古木が眼前に広がり、
白い砂利の中に石が配された枯山水の
静寂な日本式庭園が広がっていました。





本堂裏の池泉庭園には雪が残っていました。
私たち以外に訪れている人はなく、
静謐は時間をしばらく楽しみました。
急な石段を上がったご褒美になりました。





これで松本城、諏訪大社めぐりの旅記録はお仕舞にします。
行きあたりばったりの徘徊旅でしたので、
見落としてきた歴史、事跡が心残りになりました。
肝心の上社本宮、前宮にも回っていません。



各所で集めた案内書やパンフレットを整理しながら、
いつか行ける機会があればいいな~と思っています。
上諏訪、下諏訪駅の観光案内所は頼りになりました。
ありがとう。読んでくれた皆さんお疲れさんでした。


初めて、信濃國一之宮「諏訪大社」に参詣してきました

2020-02-21 13:58:00 | 国内旅行

たにしの爺、生国は信濃國で、信濃国分寺の近くでした。
昨秋の台風19号で氾濫した千曲川も近くに流れています。

JRでのアクセスは上野駅から信越線で碓氷峠越えです。
軽井沢、小諸、上田、長野・善光寺、志賀高原方面です
今では東京駅から上越新幹線であっという間に着きます。

信濃國に入るには、もう一つJR中央線があります。
諏訪、岡谷、松本・上高地、大町、穂高方面です。

♪♪「8時ちょうどのあずさ2号で」
私は、私は、あなたから旅立ちます♪♪
狩人の歌で知られる新宿発「あずさ」で行く信濃路です。

東京、京浜、京葉地区に出た長野県人には、
信越線派と中央線派に分かれます。
高速道路でも上信越道と中央道派に分かれます。

信越線派だった「たにしの爺」には、
諏訪、岡谷方面には縁が少ないです。
はじめて上諏訪駅に降り立ちました。
駅隣りにある「観光案内所」に伺い、
「諏訪大社」参詣案内を乞いました。

神社は4カ所、離れた場所にあります。
全部回りますか、と聞かれ、
「歩いて行けますか」
行けないことはありませんが、遠いですという。

明日帰る予定の高速バスの時間など勘案して、
下諏訪にある「下社春宮」と「下社秋宮」の二社を回り、
茅野市方面にある「上社本宮」と「上社前宮」は、
いつかの機会にしようということになりました。

「御柱祭の神事」で全国に知られている「諏訪大社」について、
諏訪湖の周辺にあって4箇所の境内地をもつ神社で、
信濃國一之宮。全国にある諏訪神社総本社でもあり、
国内にある最も古い神社の一つ、だという。

諏訪大社には本殿とされる建物はなく、
代りに「秋宮」は一位の木を「春宮」は杉の木を御神木とし、
「上社」は御山を御神体として拝して居ることを知りました。


下諏訪駅前

翌朝、上諏訪駅から下諏訪駅に移動して、
駅構内の案内所の街歩きガイドに従って、
まず、「下社春宮」への道を辿りました。



駅前通りから「中山道」に出て左折し「相楽塚(魁塚)」。
維新の魁となった赤報隊の隊長、相楽総三を祀っている。
続いて「大灯篭」、大門通りに入る「春宮大門」の鳥居。





800mほど歩くと道の中央に「下馬橋」がデーンとあります。
「下社」最古の木造建築物で、屋根付きの太鼓橋です。



「諏訪大社下社・春宮」の大鳥居が目の前に立っていました。
境内に入りますとまず、「神楽殿」そして祭礼を行う「幣拝殿」





右側に一の柱、左側に二の柱の御柱が屹立しています。
さらに奥には御神木の杉の古木と二つの宝殿、左右に三の柱、四の柱。
この辺は神域で入ることも見えることありません。
四社のひとつ「春宮」を拝しました。



神社の裏手に岡本太郎画伯が知らしめた石仏として、
評判になっている「万治の石仏」を見に行きました。
赤い橋を渡ると岡本画伯の書による石碑もあります。



この「万治の石仏」さまざまな謎を生ずる石仏だという。
胸には逆卍や雷・太陽、雲、月など曼荼羅が彫られている。
お参りについての指標がありました。

「正面で一礼する」→「よろずおさまりますように」心で念ずる。
石仏の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに3周する。
正面に戻り「よろずおさまりました」と唱え一礼する。

たにしの爺も指標通りに念じました。
「よろずおさまりました」と一礼しましたが、
何が収まったのか、まったく実感がありません。
まあ、何かが「収まって」安定したのだと思っています。



この後、中山道を20分ほど歩き「秋宮」に向かいました。
諏訪宿本陣や幕末に皇女和宮が泊ったという宿屋や、
甲州道中と中山道の合流地点の先に「秋宮」がありました。
「春宮」に比して境内の規模が大きいです。





神域への門、大きな鳥居を潜ると、
青銅製では日本一の大きさと言われる「狛犬」が鎮座し、
出雲大社型の太い注連縄の飾られた神楽殿がありました。



その奥には荘厳な見事な彫刻に彩られた幣拝殿があり、
両脇に一の柱、二の柱。さらに奥には対の宝殿、ご神木、
三の柱、四の柱と御柱が建っています。(よく見えません)
「春宮」と同じ配列ですが規模が大きいです。



「総本社諏訪大社神符」を買い求めました。
門前にある「山猫亭本店」でそばランチを摂りました。
その後、新宿行き、高速バスのバス停に向かいました。

新宿から中央線で行く、国宝松本城に登りました

2020-02-18 11:08:49 | 国内旅行

たにしの爺、パソコン、スマホ学習のPC友が居まして、
知的(痴呆でない)好奇高齢者つながりでお付き合いさせてもらっています。

その彼と年に2回ほど温泉旅と街旅に出かけます。
今回は諏訪湖畔の宿に泊まって、
松本城と諏訪大社を拝見してきました。

前回は土産に買った諏訪の銘菓「新鶴の塩羊羹」で、
ぐちゃぐちゃ書き散らしました。
今回は2時間余りで回った松本城体感記です。



朝10時半、新宿駅9番ホームで彼と会い、
11時ちょうどの「あずさ11号」に乗りました。
「駅ネットキップ」で50%割引松本まで3300円です。
車内は空いていました。

大月、甲府、小淵沢までは何回か乗りましたが、
「あずさ」で松本までは久しぶりです。

この時期、中央線に乗る楽しみは冠雪の山脈です。
甲府を過ぎて韮崎辺りになると、
左側の車窓に南アルプスの山々がずーっと見えます。

手前に鳳凰山、甲斐駒ヶ岳の豪快な山容が、
雪を冠って白く光っています。
左奥には日本第2の高峰北岳や仙丈ケ岳など、
雪をいただく日本有数の高山の頂上が望めました。

幸い晴れていて、左側窓席だったので、
中央線車窓旅を楽しむことが出来ました。
進行右側には八ヶ岳連峰、蓼科山が見えているはずです。
隣り席の彼はスマホ操作に余念がないようです。

13時25分「あずさ11号」は松本駅に滑り込みました。
改札を出た前にある「観光案内所」に寄り、
市街マップとお城までの歩行ルート、
「3時までに戻れますか」聞きました。





15分ほどで行けるでしょうと言うことで、
駅前から直進、教えられた通り「深志2」で左折し、
本町通りをキョロキョロしないでお城まで一直線。





内濠の縁に立つと、インスタ映えのビューポイントです。
濠越しに黒っぽい六層の国宝城の威容が目に入ります。
入場料700円也を払って、黒門から前庭に入ります。





歴代城主の名入りの額が掛かっていました。
国宝松本城について、パンフからコア部分を引用します。





戦うための黒い堅固な天主と、
平和な時代になって造られた優雅な辰巳附櫓・月見櫓。
現存する日本最古の五重天主ふさわしい風格。
数々の優れた築城技術を今に伝えています。



松本城天主・渡櫓・乾小天守は、秀吉の家臣であった、
石川数正・康長親子により戦国時代末期1593~84にかけて、
築城されたと考えられている。
現存する五重六階の木造天守としては日本最古。



最上階の天主6階まで、高さ29.4m登りました。
各階の梯子は急こう配で狭く。途中からは交互通行です。



登る人降りる人の順番待ち、段の高さがばらばらで、
係員が付きっきりで注意を促しています。
手摺にしがみ付いて横這い状態で上り下りです。
係員が言うには「今日は参観者が少ない」けど、
多いときは長い列になるという。



欧米の観光人が日本人より目立ちますが、
皆さん静かに順番待ちしています。
お隣の国の甲高い喧騒会話が聞こえず良かったです。



昔の侍は偉かった。鎧を付けたり鉄砲を持って、
日常的に、あの階段を上り下りしていたのだから。



各階にはいろいろな展示物がありましたが、
火縄銃から始まって鉄砲類が多くありました。
鉄製の長い銃身や、ビー玉の大きさの鉄の玉。



発砲時の反動や重量を考えたら、武器として、
戦場でどれだけ殺傷力があったのか疑問です。



16日放送の「麒麟が来る」で言っていましたが、
戦国時代始まりの鉄砲は、弓矢や刀による戦より、
鉄砲を向けられた恐怖が先立ったのでしょう。



ところで現在国宝とされる城郭は5城です。
姫路城、彦根城、松本城、犬山城、松江城。
松本、犬山、松江の3城を体験しました。





急いで松本駅に戻り3時16分発上り上諏訪駅行きに乗り、
諏訪湖畔の宿に向かいました。



上諏訪駅のホームには「温泉足湯」があることは、
良く知られていますが、3人ほど入っていました。

下諏訪の新鶴本店の塩羊羹

2020-02-16 10:25:15 | 国内旅行

長らく更新が滞っていました。
早春の麦畑で農作業をして居ると音楽室から聞こえてくる、
春立つ気配を歌った「早春賦」の想いを綴ってから、
気が付けば10日以上経っていました。

国宝松本城と諏訪大社に行ってきました。
新鶴本店の「塩羊羹」を土産に買いました。

松本城は後にして始めに「塩羊羹」の話をします。
「諏訪大社の御柱」は超有名で知らない人は居ません。
たにしの爺的には、諏訪と言えば「塩羊羹」と「小口さん」です。



現役時代に勤めていた部に諏訪出身の女性が居ました。
彼女、帰省すると偶に箱入りの「塩羊羹」を土産にくれました。
同僚には内緒で、私にだけ手渡してくれました。

「美味しかった??」と聞かれますが、
当時は、それほど美味しいとも、感動もなく、
あまりいい返事をしていなかった記憶になっています。

普通に知っている甘いあんこ羊羹とは違っていて、
塩味の「芋羊羹」とも思っていました。
私の返事に、彼女は少し、不満そうな表情をしていました。

それというのも、箱の中に切れ目もなく詰まっていて、
付いている木のへらで切り取り、頂くのですが、
頂いているうちに甘さより、塩味が口に残るようになって、
そのことを話すと、一度に全部食べなくてもいいのだという。



それ以来、諏訪の銘菓「塩羊羹」が記憶に残るようになりました。
その後、中央高速道利用のバスツアーで諏訪湖SAで休憩した際には、
「塩羊羹」を土産に買ったり、同行者らに講釈していました。

今回の旅で下諏訪駅の観光案内所の方から、
観光コースや見どころを親切に詳しく、
地図上に記や線を引いて説明してくれました。

現地案内所で生で聞く街角情報は、
ネットで見ている観光地図では分からない、
土地の街の空気が伝わる情報だと知りました。


案内所の係員から頂いた和田峠産の黒曜石の矢じり

土産に「塩羊羹」を買いたいと話したところ、
地図上に赤丸を付けて、ここがいいですと、
教えてくれた店が秋宮の近く「新鶴本店」でした。

諏訪大社下社秋宮の近くにありました。
レトロ感一杯、昭和初期の頃の2階建て木造店舗。
布製の日差しと暖簾が下がっていました。

店頭には和菓子も色々とありましたが、
試食用に小分けされた塩羊羹を味わっていると、
秋宮で法被を着てガイドをしていたおじさんが、
十数人の観光客を引き連れ、入ってきて、
「試食させてもらえる」と言うのでした。

お店の女性が「はい、どうぞと」試食品を追加しました。
観光客らが楊枝で突っつきます。
「しょっぱいや」と言う男の観光客に、
たにしの爺、知ったかぶりの蘊蓄を一くさり、
「知っている人は知っている、知らない人は知らない」
これぞ諏訪の銘菓で有名な「塩羊羹」だと教えました。

試食したご一行の中で2,3のご婦人が。
和菓子など買っているようでした。
爺も同行人ともにお土産に塩羊羹(小 950円)を購入しました。

駅の近くに戻ってきて、お土産屋さんに入りました。
いろいろなサイズや包装された「塩羊羹」が、
半値近くの値段で山積み並んでいました。
同行人曰く「何だ、ここで買えばよかった」と。

土産店の女性曰く「それとは違うんです」と、
新鶴のマークの入った袋を指差すのでした。
観光土産店や高速道路のSAで売られている、
「塩羊羹」は日持ちする「塩羊羹」なんです。

新鶴本店の「塩羊羹」は本店でしか買えない。
明治6年創業、羊羹に塩味を加えることを試み、
小豆、寒天、砂糖と塩のなじみ具合に工夫しながら、
手作り一筋に続いている「新鶴の塩羊羹」。



家に帰って、同居人にも供しました。
最初口に入れたときは塩味を感じますが、
徐々に塩味が甘味に変わり口中に広がります。
とても上品な味で、お茶を含むと一層美味しくなります。

普通のあんこの羊羹のように大きな切れ目でなく、
小片に分けて味わいながらいただくのがいいようです。
塩の風味が甘く口内に残って味わ深い羊羹ですね。

諏訪大社に行かれたら、ぜひ、
一本お買い求めることをお勧めします。
950円の小で十分です。
箱入りを買っても多分、食べ残すでしょう。



銘菓は少々頂くことで記憶が深まります。
欲しくなったら、もう一度、訪ねましょう。

ずいぶん「塩羊羹」談義が長くなってしまいました。
「小口さん」については、書く気力が無くなりました。
「星さん」と言えば「会津地方」に多い姓のように、
「小口さん」と言えば諏訪地方の出身者に多いということで、
定年後の職場にも「小口さん」がいて、
かつての職場にも諏訪出の人が居たということです。

松本、諏訪は新宿から中央線で行く。
上田、長野は上野から信越線で行く。

今日は立春、音楽教室から聞こえた「早春賦」の追憶

2020-02-04 11:20:47 | 24節気


この歌を聴くと、思い出す光景が蘇ります。
爺の出自の家は、小中学校の近くにあった。
早春の農作業で、麦踏していると聞こえる。
音楽室の窓から、女性合唱の澄んだうた声。

寒風に打たれて、麦の生えた畝を踏む作業。
雪で緩んだ土の、畝を踏み固め成長を促す。
この時期に行う、家中総員の農作業でした。

放課後の校庭に、コーラス部の女生徒たち、
奥手だった私に、セーラー服が眩しかった。

あれから70年余、早春賦の歌声を聴く度に、
畑中の道を往く、セーラー服姿が甦ります。

「早春賦」吉丸一昌作詞、中田章作曲の歌は少年時代の「萌え」です。

今日は2並び 2020、0202 にャ~ン

2020-02-02 11:40:11 | Journalism
今日もいい陽気になっています。
平年で言えば「厳冬期」ですよ。



今日は2並びですね。
令和2年、2020年、02月、02日、
2日、明日3日は節分、4日は立春です。

2月は20日、22日と、2並び日が多い。
だから何だと、言われても、別に何もない。

ただ奇しくも「新型肺炎」コロナウイルス感染者数、
日本は中国に次いで2番目に多く、20人になった。

「感染拡大」に進むか、「鎮静化」に成功するか、
日本にとって2020年、「最大の敏感事」です。



まもなく列島は、桜の季節です。
永田町では「安倍サクラ」が散るのか??
もう、総理の「せこい言い逃れ」饒舌には、
国民がうんざりしている。いい加減にせよ。

「たにしの爺」暇だから、国会TV中継を見ている。
質問議員が「事前に質問事項を通告」して、
霞が関の役人が「徹夜で資料を整理」して、
それを、総理はじめ各大臣が棒読みする。

正直言ってしまえば、楽になれるのにね。
税金の無駄、時間の無駄、議員こそ無駄。
民主政治って「無駄の集積所」ですな。





神・聖人のような指導者は居ないのかな~、
危機突破の「後継政治家」が見当たらない。
この時期、日本最大の危機なんだろうな。

2並びに関係ない「あぶく」になりました。