たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

佑ちゃん 鎌ケ谷を去って 春隣

2011-01-30 17:42:13 | 散策の詩

春隣という季語があります。冬の季語ですね。
寒いけれど、春が隣に待っているよ、そんな感覚でしょうか。

年末・正月以来、東北から日本海側の九州まで、
降り続いている雪は、平成18年以来の豪雪記録。
生活や経済に深刻な影響や負担をもたらしている。

それとは反対に、
関東地方の太平洋側は晴天・カラカラ天気が続いている。
なかでも千葉・房総の内陸の街・鎌ケ谷が熱かったようだ。
プロ野球・北海道日本ハムファイターズの2軍の宿舎、
練習球場のある鎌ケ谷市が一躍、全国銘柄の街になってしまった。


白いアンダーシャツが斉藤選手です。


ドラフト1位入団の斎藤佑樹投手(早大)はじめ、新人たちが11日に寮に入り、
合同自主トレーニングが始まった12日以来、関東一円からファンが連日集まり、
「佑ちゃんフィーバー」に沸いているという。
2000~3000人も連日スタンドから「佑ーちゃん」コール。
テレビでも、そんな光景が連日放映されていた。

ブームの現象とか、フィーバーの現場を確認に行く習性が身についている、
(要するに野次馬、よく言うと好奇心旺盛)タニシの爺としては、
行って見なければならない。
そんなわけで29日の土曜日に行ってきました。




10時前に着いたのですが、球場を半周する行列が出来ていました。
場内に入るとカメラやケータイ電話カメラを構えた家族や、
中年女性のグループがスタンドを埋めている。
「佑ちゃんはどこにいるの」
「あの、サングラスの人よ」
「えっ、あれ、今日は何色」なんて、興奮気味のようす。
後ろの方の通路からは、「追っかけなんて、この歳になって始めて」
なんて言い合いながら移動していくグループもいる。

この人たちのことを、テレビのワイドショーでは、「佑観マダム」という。
韓流ブームとなったペ・ヨンジュンのファン、歌手の氷川きよしの追っかけ隊の女性たちと重なるのだという。
報道陣が今日もが押しかけている。



それに引き換え、惨憺たる永田町の冬景色。
国家的危機に何の施策も合意できない国会。
国民にとって何の益にもならないことで、
何時までもゴタゴタやって、リーダーもいなければ、
予算の成立さえ危ぶまれる永田町。

元気な「佑観マダム」たちが、今年のプロ野球を熱くしてくれる。
プロ野球が熱くなれば、日本中が明るくなる。

新人合同自主トレーニングは30日が最終日。
新人としてただ一人、一軍キャンプに参加する斎藤投手、
1日からの一軍の沖縄キャンプに向けて飛び立った。
「佑観マダム」もキャンプ地、沖縄・名護へ。





2月は一番寒い季節。さらに寒い永田町の無限荒野。
佑ちゃんが、列島を熱くしている。

オープン戦が終わって、ヤクルト、ロッテ、横浜、西武、日ハム、巨人の
東日本地区のファームリーグ戦には、
6月ころから佑ちゃんは、鎌ケ谷グランドに登板することになるでしょう。

須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>

2011-01-23 10:21:54 | 須賀敦子の著作

「コルシア書店の仲間たち」は、須賀敦子のイタリア暮らしのスタートであり、
拠点でもあったコルシア・デイ・セルヴィ書店で出会った人びとを、30年後に回想するエッセイでもある。

そういう意味ではノンフィクションである。しかし、
一行、一章、一冊がとてもノンフィクションとは思えないほどの、
物語性と記述の巧みさで、読む者を惹きつけずにはおかない。



「テレーサおばさま、そう彼女のことを、書店の人たちは、呼んでいた」
「入り口のそばの椅子」と題された第一章の書き出しである。

反体制・左派系の集まりであった「コルシア書店」だが、
パトロンらしき人がいて成り立っていた。
ツィア・テレーサ、ミラノの名家の出であり、世界的著名な大企業の株主でもある。
須賀敦子は彼女と知り合ったことで、
イタリアの上流階級、貴族社会を垣間見ることになる。

ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父たち「カトリック左派」のめざす共同体に集まる人たち、
書店仲間はみな貧しい人たちだった。
須賀敦子は一方、ツィア・テレーサを通して、貴族社会への窓口を持つことによって、
戸惑いながらも、イタリア暮らしが厚みを持つことになる。
しかし須賀の目線はいつも書店で出会う人たちへの、
静かで優しい眼差しが全編にわたって注がれている。



本書の終章は「ダヴィデ――あとがきにかえて」となって、
実にダヴィデへの清冽な鎮魂の文が綴られる。
そしてまた、自分自身と仲間たちへの決別と鎮魂でもある。

「二月六日、木曜日にダヴィデが死んだ。……」
……
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」

著者の本を読んでいて、いつも思うことで、
須賀敦子は、最後の一章が最初にあって、
そこへの帰結を静謐で透明感に満ちた言葉を積み重ねる。

そこに展開される須賀ワールドに多くの読者が、惹きつけられるのだろうか。


須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>

2011-01-22 09:42:13 | 須賀敦子の著作

今年はイタリア統一から150年ということで、NHKbsでは「イタリア7つの輝き」という、
集中放送が元日から始まっている。
朝から晩までイタリアに関する番組ばかりだ。

全部見るわけには行かないが、
昨秋から須賀敦子の著作に集中しているたにしの爺には、
大変好都合で興味深い番組もある。
柄にもなく、ミラノ・スカラ座のオペラなどにはまっている。



須賀敦子が暮らしたミラノについて、3回ほど記したので、
今回はその「コルシア書店」は、どんな書店であったのか知りたいと思う。
正式名は「コルシア・デイ・セルヴィ書店」
1945年、連合軍によってファシズムとドイツ軍の圧制から開放された、
イタリアの知識人らによって始められたのが「コルシア書店」だった。
この書店の精神のバックボーン的存在になっていたのが、
詩人でもあったダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。

書中の「銀の夜」から引用します。

ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。司祭で詩人。イタリアでは、かなり名を知られた人物である。一九一六年、北伊フリウリ地方の貧農の農家に、九人兄弟の末っ子に生まれた。とうもろこしのパンにつける塩が買える日はよかった、というほどの貧しさだったらしい。
そんな家の子が学問をするには、修道院に入るしかなかった時代だった。成人してミラノのカトリック大学に学び、そのころから友人の輪が広がっていく。戦争末期には、ドイツ軍に占領されたミラノの、知識人が中心になって組織した地下活動をおこし、戦後、親友のカミッロ・デ・ピアツといっしょに、数人の若者をまじえて、都心にあるサン・カルロ教会の場所を借りうけ、コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた。




彼らを中心としたグループは「カトリック左派」といわれ、精神主義に閉じこもるカトリック教会を「聖と俗」の垣根を取り払おうとする運動として広がっていった。
ダヴィデ神父。大聖堂でインターナショナルを歌ったこともあるという。

そんなグループに、どうして須賀敦子が関わるようになったのか。
ダヴィデ神父と知り合ったことが契機だったことこともあるが、
彼女の育った環境と大学時代からの方向性の帰結でもあった。
全著作を通じてダヴィデ神父と書店の仲間たち、
とくに結婚してわずか6年で亡くなったペッピーノへの回想が、
清冽な記憶となって、タテヨコの時間軸のなかで綴られている。

カットの写真は「須賀敦子が歩いた道」(新潮社、トンボの本から撮ったものです)(この項未完)

ユキウサギさんから 新年の便り

2011-01-10 18:12:54 | 24節気

 今日は成人式でした。
小寒の寒の入りも過ぎて、
 列島の日本海側は大雪が続いているようです。

今年の干支は兎年。 
朝日山のユキウサギさんから、
例年のご挨拶で、雪の便りが届きました。

> ぴょん  今朝は大雪でした。
> 除雪前は太ももまで、
> 60センチくらいありました

> こんなときもあって当たり前の場所なので
> 驚きもしませんが
> これからまだ降るそうです ぴょん

たにしの爺は   に行きたい。
雪の降り続く露天ふろ  がいい。

今年も よろしく お願いします。

2011-01-02 16:03:08 | Journalism

新春のお喜びを 申し上げます。
昨年のご贔屓くださった皆様に、
お礼を申し上げます。
今年もよろしく、お出でくださるよう願い致します。

タニシの爺、青空に飛んでいます。

柄にもなく、初詣などに行ってきました。
ところを言えば、全国中知らない人はいない定番のお寺さんです。
タニシの爺の生息地がバレるので、所在地は伏せておきます。
たにし歩きで、40分ほどうろつきましたが、
一年分の栄養を付けようと、うなぎやさんの老舗に入りました。
11時開店ですが、10時半には人が並んでいました。
待つ間は、店先の床机でお茶など振舞われました。



うな重の上を奮発しました。値段は、結構リーナズブルでしたが、
超うめー、こんな旨いうな重は食べたことがない。
飯の量も適量で、うなぎをほごしながら、ちょうど良く食べ終わる。
おまけに、きも煮も一皿とりました。これがまた、絶品のお味でした。



ビールは、ノンアルコール。
初めて飲んでみたけれど、これはいけません。
とても飲めるもんじゃない。

今度行くときは汽車で行って、お銚子でいきたいですね。
それでは、皆さん今年もいい年になりましょうね。

爺の願いは、永田町に跋扈するゴキブリみたいな議員が一人いますが、
早く消えてくれることです。
汚金まみれの政治家、あっ、政治家じゃなかった金権屋よ、いなくなーれ!!