21日の朝刊で見つけた記事、「革命の犠牲者を偲ぶパレード、夕方5時から」、居ても立ってもいられなくなり、出発地点の大学広場に出かけてみることに。
「多くの人が20年前の革命の犠牲を忘れ去ったかのように暮らしている、いまの若い人の多くは革命のことを知ろうともしない、残念なことだ」と、大学広場にやって来ているルーマニア人は語ってくれました。
その言葉通り、やってきたパレード隊は意外なほどの少人数。大学広場地下に設置された犠牲者を偲ぶクリスマス・ツリーにキャンドルをともします。そこに集まっていた人も合流し、いざ出発。この時刻、外はすでに真っ暗、外気温はマイナス10℃近く。
「あなたがたの犠牲を忘れない。」「犠牲になったあなたがたよ、どうして僕たちと一緒に来ないんだ?」、シュプレヒコールを繰り返しながらブカレストの目抜き通りを北上。
デモ隊は車道を進んでいきます。私は雪の積もった歩道を歩きながら遠巻きにして付いていきます。
この寒さのなか、手袋もせずに、犠牲者の名前を書いたプラカードを掲げている人もいます。
ところどころにある犠牲者への献花場所で止まりつつ、警官や機動隊も出て、デモ隊は守られながら、ロマーナ広場へ。
大きなロマーナ広場中央にも犠牲者を偲ぶ慰霊碑があり、デモ隊は立ち止まります。回りは車が周回する交通の要所、うろうろしていたら警官にデモ隊の中に入るよう促されました。
ロマーナ広場を左折し、デモ隊はまた車道を歩いていきます。歩道もすぐ脇にあるので、私はいったんデモ隊を離れ、歩道から見守ることに。少人数で出発したデモ隊、途中でどんどん人々が加わったらしく、後方を見ると隊列が長くなっています。
私も一緒に歩いてみたくなり、自分の意思でデモ隊の中に入りました~「あ、中国人が加わったぞ!」、間違いなく私のこと。
「君、ルーマニア語が判るの?」~「ほんの少し。」、「君、僕たちがなんと言っているかわかっているの?」、革命の犠牲者を忘れないためのパレード。
「イリエスクを法廷へ。」、そんなシュプレヒコールも混じります。「イリエスクをどうしろと言っているの?」、こんどは私が尋ねる番です。市民に銃を向けたイリエスク、その罪は隠されたままで解明されていない、22年経つと時効が成立してしまうから、それまでに真相が解明され、法廷にて裁かれるべきだ、というのです。
私が別のルーマニア人から聞いたことと同じことを言っています。市民に銃を向けろと命令を下した人物が、今でも政治の中央にいることは許しがたいことだと。先の大統領選挙でPSDのジョアーナ氏が敗れたのは、PSDの長老ともいえるイリエスクに反感を持つ人が多いからだとも言います。
途中デモ隊は国立博物館の前を通りかかりました。おりしも「革命20周年記念写真展」開催中。外塀にも何枚ものパネル写真がずらり展示。デモ隊列の中ほどにいた私のすぐ後ろの若者が、一枚の写真に雪だまを投げつけました。
それに刺激されたのか、後方の人たちが次々、雪だまを同じ写真に投げつけています。後方の隊列を守っていた警官たち、一瞬気色ばみましたが、デモ隊に発声することなく、デモ隊もまたすぐにもとの隊列に戻し、ゴール地点に進んでいきます。
昼間でもマイナス5℃をさしていた近くの寒暖計、午後7時ともなれば氷点下10℃は間違いありません、目指すは革命広場、旧共産党本部前。もうそこにチャウシエスクは居ません、が、もっとつかみどころのないものが、さらに増徴して渦巻いているのが判ります。
ここまで一緒に歩いてきて、私は何を見たというの?しばらく立ち止まるふうの隊列を離れ、先の国立博物館前まで取って返しました。雪だまを投げられた写真を良く見ていなかったのです。
いくつもの雪だまが当たり、パネルには穴が空いていました。写真の中央向かって左にいる人物は、制帽をかぶった59歳のイリエスク。・・・顔の部分が残っていて良かったです、その部分に穴が空いていると標的が誰だか判らなくなってしまうから。
誰かが雪だまを投げつけ穴があき始めると、また別の誰かも投げつけるかもしれない、雪だまとはいえ氷の塊のようなもの、威力あります。1月10日の開催期間終了まで、無事でいられるのかしら、この写真。
この日私が見たり聞いたりしたものは、ごく一部のものに過ぎないし、ごく一部の人たちの行動。けれども、先のルーマニア人が言うように「政治家の外国向けの顔」「政治家の表と裏」、今日この日、ブカレストに居て、写真展やデモ隊を見に行って始めて知りえたことなのです。
昔から日本のことわざで「火のないところには煙は立たない」、反イリエスクの抗議行動は、何かあるからなのか??今のイリエスクも20年前のチャウシエスク以上に高齢、残された時間は短く、早いうちに解明しないと永遠の謎に葬り去られてしまう恐れあり。
今日のこれがすべてではないけれども、こういったことも見聞したかったのです。一般的な資料や記者会見では現れてこない、ルーマニアの現地の人々の行動。大きくはないだろうけれども、こんな動きもあるのです。
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