ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ゲンチャ墓地で、ワイン3杯

2010-12-22 | ルーマニア・わたしの日常

 
チャウシエスク夫妻のお墓が新しくなったと言うニュースの新聞記事を握り締め、マドモワゼルのゲンチャ墓地、訪問記。とかくその墓地は広くたくさんの墓標が立ち並んでいるので、目的の場所を探すのが大変、この記事を持って行って指し示せば、道案内してもらうのも簡単。
 
もうひとつのお楽しみは、この記事に添えられた写真、お墓の脇に2匹のワンコたち。見つけて切り抜いてくれたマイダーリンも大笑い、「チャウシエスクのお墓の横に、ブカレストの野良犬が2匹もいる!これぞルーマニアだ!」、この子たちに出会うこと。
 
門をくぐったところで係員さんに訪問の目的を告げます、ここは多くの市民も埋葬されているところ。余り関係のなさそうなアジア人が入り込んでくると、怪しまれるかも。「日本から来ました。」と観光客を装って、お墓の場所を尋ねると、丸々と太った係員さん、軽々と立ち上がり「付いてきて。日本人もたくさん来るよ」と、お墓の場所まで道案内。到着して、墓標を見ると一目で夫妻の墓、「ここがニコラエ・チャウシエスクとエレナ夫人のお墓で・・・、etc、」と判りきったことを繰り返すので、1レウ札を渡してご退散願いました~。
 


前のお墓も得に大きなものでもなく、立派なものでもありませんでした。同じ場所なので敷地面積はそのまま。新しくなった墓標もシンプルなもの。



その辺りで記念撮影をしていると、おお!さっそく出会いました、チャウシエスクの墓とともに新聞に載ったワンコ。まだ小犬に近いです。
 


またいた、2匹目!まさにこの2匹。



細い通路を隔てたところで作業をしていた人が、「なぜ、犬の写真を撮っているの?」~「ほら見て、この子達、新聞に載った野良犬たちよ。」「ほんとだ、この子達だ。」
「もう一匹いるんだよ、黒いの。」、噂をするまでもなく、じきに現れました。



「チャウシエスクの墓を見に来たの?お墓の前で写真を撮ってあげようか?」
 こんなとき、一瞬身構えなければならないのが、悲しいかな、ルーマニア。またはルーマニアに限らず、ヨーロッパの幾箇所の観光名所。カメラを手渡したとたん、掴んで逃げていく輩どももいます。



でも、この人たちはこの墓地内のチャペルにクリスマスの飾り付けをしている人たちのようです。3人いて、1人だけが脚立の上に上がって屋根の下に電飾を取り付けています。


 
「どこから来たの?中国人?」、決まりきまった質問。
「君、ルーマニア語を話すけど、ここに住んでいるの?いつから?何してるの?」
手持ち無沙汰の二人と四方山話。二人はタバコを次々ふかしながら。若い方の男の子はダニエル、おじさんはリカ。
 


そのうち、「きみ、タバコ吸う?どう?」~勧めてもらってもヌ・ムルツメスク(=No thank you)。
「え?吸わないの?一度も吸ったことないの?」~大きなお世話、「タバコは健康に悪いし、死をもたらすとパッケージにも書いてあるし。」



気を悪くされるかと思いきや、「寒いね。こんなとき、ワインがいいね。ワインはどう?」~仕事中のチャペルの前に、赤ワインの入ったペットボトル。半分ほど減っています。



「うん、寒い。こんなとき、ホットワインがいいけど。」
「ホットワインは無いよ、残念ながら。でも、寒いから飲んで温まろう。」
え~、仕事中でしょ~~。

「さっきから見ているけど、あの赤い服の人だけが仕事しているよ。あなたたち二人はずっと私と話している。」
「いいの、一人が仕事して、交代で次に仕事するの。三交代なの。」、そんなものかな~。
「えっと、グラスはあったかな?」~作業車の中から取り出してくれたのは、カップスープでも飲めそうなかなり大き目の発砲スチロール製。

「どこかその辺で見つけたやつだけど、洗ってあるから。これで良いよね。」と差し出してもらうと、ここで受け取ってにっこり笑ってしまうのが、ワタクシ、マドモワゼル。

気持ちが通じたのか、並々と8分目くらいまで注いでもらって、「Noroc(=乾杯)」「La Multi Ani(=おめでとう)」、この時期、挨拶の言葉は早々と「La Multi Ani(=新年おめでとう)」を使うことも多いです。
 
ワインを注いでもらうときには、手袋を取って素手でグラスを持っていたけれど、すぐに冷えてくるくらいの氷点下。赤ワインも天然で冷えています。一口飲めば、「田舎のワインね!100%ナチュラル!」~「そうだよ、これが美味しいんだ。店でボトルに詰められて売っているのとは、味が違うよ。」~「そうそう!美味しい、美味しい!」、ワインで意気投合だぁ~。



そのうち、脚立に上がっていたマリアンも下りてきて、ワインを一口二口。そして脚立を移動させて、また、電飾の取り付け。私には2杯目のワイン。



マリアンだけが、仕事熱心だけど。」~「いいの、いいの。僕達、チームだから。」
マリアンも、自分ひとりだけが働いている状況に何も言わずニコニコしながら仕事しています。

「次の用事があるから、そろそろ行かなくちゃ。」と言うところで、「まあまあ。」と3杯目のワイン。ここで断固お断りできないのが、まあ、なんと言うか、ワイン愛好家のワタクシ、マドモワゼル・・・。最寄の地下鉄駅まで歩くつもりだったけれど、市バスに乗れば時間短縮できるし。

「僕たち、もうすぐ終わるから、車近くまで送ってあげるよ。」と言うのだけは丁重にお断りして、最後のワインを飲み干すまで長居。



いつの間にか墓地のガードマンさんも合流していて、チャペルの中を見せてもらったり、墓地の中央にある大きな礼拝堂の中へも案内してもらいました。小さなチャペルの中には、66歳で亡くなった女性の写真が飾られていました、若く見えます。

大きな礼拝堂の中には、明日の埋葬を待つ人が3人。二人のおばあちゃんはそれぞれ1922年と23年生まれ。もう一人のおじいちゃんは1911年生まれ。長生きだった人たちのお顔はとてもきれいでちっとも怖くなかったです。

日本だと、亡くなった人が最後に葬られるまでひとりになることはないと思うけれど、この人たちは誰にも付き添われずに夜を越すのかしら?~「明日、また、家族が来るんだよ。」、そのような習慣のようです。ご冥福をお祈りして合掌。
 
結局勧められるままにワインを3杯も飲み干し、1時間以上も立ち話をして過ごした氷点下のゲンチャ墓地。3杯目にはいるころには身体もぬくもっていたし、ルーマニア人のおしゃべり好きにすっかり巻き込まれてしまいました。
 
電飾を取り付ける仕事も、マリアンがほぼ完成させていたし。記事中の写真、掲載順にご注目。最初声をかけられたとき、チャペルに向かって右側の屋根に取り付けていました。そこから正面をぐるりと回りこみ、最後には左側に脚立を移動。すべてマリアン一人でやっていました。何か足りない用具をとりに降りてきて、車から探し出すのも彼でした。あとの二人はずっとしゃべっていたけど、これで良いらしい~~?
 
みんなとは「Craciun Fericit!(クリスマス、おめでとう)」「La Multi Ani!(=おめでとう)」と言ってわかれ、昼間からすっかりほろ酔い~♪

@Bucureşţi


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チャウシェスク夫妻、合葬

2010-12-22 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
今月9日にお披露目されたチャウシェスク夫妻の新しい墓標、ブカレスト市内ゲンチャ墓地内。チャウシェスクと言えばいわずと知れた共産主義時代のルーマニアの大統領。1989年、東欧に巻き起こった社会主義革命の最後に起こったルーマニア革命は流血革命となり、捕らえられた独裁政権者は有無を言わさぬ裁判の後、クリスマスの日に銃殺刑となっています。
 
それから20年半がたった今年の夏、「ここに埋葬されているチャウシェスク夫妻の遺体は本物か」論議が最高潮に達し(以前から別人が埋められているのではないか、と論議が耐えなかった)、墓を掘り起こし、遺体をDNA鑑定するまでに至りました。結果判明したのが秋になってから。お二人とも本人と判明し、これまで別々の墓で眠っていた夫妻が、この機会に合装されたのです。



一国の大統領であった人ですが、けっして大きな墓ではないようです。近隣にあるお墓と同じくらいの大きさ。けれど、合葬のお披露目の際にはルーマニア国旗の三色の花飾りが備えられ、三色旗のリボンで飾られていたのを、ニュースで知りました。
 


大統領であったとはいえ、旧体制の独裁リーダーとして追放され、処刑された人。けれども、はなむけの飾りは、ルーマニア国家をあらわす赤・黄・青。
 
とにかく一度見に行ってみよう、と出かけたその日(・・近くの巨大ショッピングセンターに出かけたついでではありましたが)~平日だったけれど、墓地を訪れる人たちの何人かが、チャウシエスク夫妻の墓にも立ち寄っていました、ここに新しくなったんだ、と。中年以上のあるおじさんは、「チャウシエスクは偉大だったよ。」と。墓地のガードマンも、とても自慢げに「立派なリーダーだったんだ。」と。
 
少し以前までは、主に年金生活者くらいの年代の人たちにチャウシエスクを称える人が多かったです。~「あの時代は良かったよ、みんな仕事があり、給料がもらえ、家もあった。ポケットにお金をいっぱい持っていたんだ。町には品物が少なかったけれどね。いまは、ポケットにお金がない、町には買いたいものがあふれていると言うのに。」 
 
昨今の経済恐慌で、40歳代くらいの人にもチャウシエスク時代を懐かしみ、あの時代のほうが良かった、という人が増えてきています。もうけっして後戻りできないし、するはずもないことをみんな判っているけれど。
 
21年前の12月16日、ティミショアラに端を発したルーマニア革命は、21日にブカレストでの抗議デモへ、共産党本部(現在の革命広場前)の屋上からヘリコプターで脱出したチャウシエスク夫妻は22日にスナゴフ別邸にいるところを捕らえられ、25日、名ばかりの軍事裁判の後、即座に処刑。今年もその日が近づいてきています・・・。

ゲンチャ墓地:


チャウシエスク夫妻のお墓があるのはブカレスト6区のゲンチャ墓地。上の写真、その入口。



統一広場から市バス385番。
地下鉄エロイロル駅からトロリーバス96番。



入り口から墓地内を臨む。向こうに見える礼拝堂の向かって左横の通路を入ってすぐ、北側に夫妻のお墓があります。元のチャウシエスク本人のお墓があった場所と同じ。以前は、エレナ婦人は同じ墓地内ですが別のところに埋葬されていました。息子のニクさんも、別のところに埋葬されています。

昨年は革命後20年の記念の年でした、マドモワゼル自身が目で見て耳で聞いたいろいろな見聞はこちらから:
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その1・革命広場へ
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その2・犠牲者数
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記その3・写真展
2009-12-21ルーマニア革命20年、見聞記クライマックス
2009-12-25ルーマニア革命・チャウシエスク没20年

私事:
厳粛な気持ちで訪ねたチャウシエスク夫妻の墓ですが、お墓の横でワインを次々(!)ご馳走になり、実に1時間以上も愉快に立ち話をして過ごした氷点下のその日でした~マドモワゼルのゲンチャ墓地訪問記は次のエントリーにて♪

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