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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



五条坂から東山への坂を上ると、清水寺の仁王門があり、さらに西門と三重塔、経堂、田村堂、轟門を過ぎて、舞台(本堂)から奥へと進むのが、普通の参拝順路である。

世界文化遺産清水寺の仁王門



清水寺本堂を過ぎた左手の石段の上には「えんむすびの神」と書かれた地主神社(じしゅじんじゃ)の鳥居がある。

その本殿と拝殿は、清水寺本堂と中心線を共通にしているので、清水寺本堂が地主神社の下拝殿のような配置となっている。



清水寺から続く石段を登った狭い場所にある本殿は、屋根が檜皮葺、入母屋、左右に長い社殿であるが、音羽山中腹にある狭い敷地に建築され、南面には清水寺の巨大な本堂があるために全体を見ることが難しい。



縁結びの神とされる地主神社の本殿と拝殿との間にある狭い空間には、若いカップルやギャルの団体が集まり賑やかで、さすがに縁結びの終わった年配の参詣者は少ないようである。



地主神社の創立は、わからぬことが多いようであるが、境内にある「恋占いの石」は科学的年代測定で縄文時代に設置されていたという説もあり、清水寺よりも古い歴史を持っているようである。

811年春には、嵯峨天皇が行幸され、地主桜の美しさに三度車を返されたので「御車返しの桜」と命名されたことがあるので、1200年近い昔から桜で有名な神社であった。



嵯峨天皇は小野篁(802~853年)と同時代の天皇なので、隠岐配流から戻った小野篁も地主神社に参詣した可能性は高い。

970年円融天皇(959~991年)、1082年には白河天皇(1053~1129年)が行幸され、平清盛(1118~1181年)も参詣した記録もあるので、平安時代には既に有名な神社であったようである。

境内



祭神は、本殿内中央に、大国主命、素盞嗚尊、奇稲田姫命、手摩乳命、足摩乳命、相殿に、天児屋根命、乙羽滝守護神、太田大神が祀られている。

現在の主要建築は、清水寺の多くの建築とともに、1633年に完成したもので、本殿、拝殿、総門が国の重要文化財に指定されている。

境内の下は清水寺本堂



現在の地主神社本殿は、1631年と墨書されている清水寺西門と雲の彫刻、蟇股の輪郭など共通した細部をもっているので、両者は、同一人物か師弟関係にあった人達の作ではないかと考えられている。


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