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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



今日は、祇園祭の宵宵宮であるが、京都の夏祭りとして有名な祇園祭は、869年に各地で疫病が流行した際に行われた御霊会を起源とするもので、970年ごろから八坂神社の祭礼として毎年行われるようになっている。

西楼門(1497年建立、重文)



今年も7月17日に山鉾巡行があるが、当初は長さ6mくらいの柄の先端に鉾を取り付けたものを立てて歩いていたようである。

絵馬堂



御霊会(祇園祭)が始まって26年が経過した頃、清少納言が枕草子の中に「ここち良けなるもの」は「御霊会」と書いているので、千年以上前から京都で続いていることは確実である。

舞殿(西側)



1378年には、世阿弥が四条東洞院の桟敷から祇園祭を楽しんだと記録も残っているが、応仁の乱(1467~1477年)では山鉾町が焼かれ、58基の山鉾の殆どが被害を受けている。

本殿(1654年建立、重文)



さて、その八坂神社の歴史であるが、平安京以前、東山山麓には祇園坂、長楽寺坂、下河原坂、法観寺坂、霊坂山、山井坂、清水坂、三寧坂の8つの坂があり、八坂郷と呼ばれていたという。

三寧坂



社伝によれば656年、高句麗より来日した調進副使が、素戔嗚尊をこの八坂郷に祀ったのに始まるというので、794年の平安遷都よりも138年も古い神社である。

祇園祭の山鉾巡行がある四条通りと八坂神社のある東山方面



876年には僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、摂政 藤原基経(836~891年)が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称している。

舞殿(南側)



当初は、神社ではなく寺とみなされていたため、延喜式神名帳には記されていないが、後に二十二社の一社になっている。

南鳥居



祇園精舎とは、本来インドにあったとされる寺院であるが、神仏習合思想があった平安期には、八坂神社のことを指していた。

従って、13世紀始めに書かれた平家物語の中の「祇園精舎の鐘」とは、当時八坂神社にあった鐘のことで、鎌倉時代の京都では誰でも知っている有名な鐘であった。

本殿正面



祇園の町が八坂神社へ参詣する人の門前町として発展したのは、元和年間(1615~1624年)のことで、それから50年を経た1665年には幕府から正式に茶屋の営業が認められている。

祇園一力前の路地



祇園に茶屋ができて37年後の1702年、赤穂浪士の大石内蔵助がここで遊んだことは有名であるが、当時の内蔵助も恐らく八坂神社に参詣し、この景色を見たのであろう。


追記、ROSSは取材旅行のため、2日間ブログを休みます。


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