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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



元帥大山巌公爵の息子、大山柏大尉が陸軍に在籍していたある年(1921年・大正10年頃・柏氏32歳頃)、福井県で陸軍の大演習があり、夜行列車で同僚の徳大寺実厚大尉(柏氏より2歳年長・東山天皇の八世子孫・徳大寺家は公爵)と一緒に東京に帰る途中のエピソードを紹介しましょう。<・・・>が引用部分・・・長居植物園のハーブ園にはアゲハチョウが蜜を吸いにやってきていました。

二人は<福井から早朝京都に出て、陸軍御用(大山元帥の定宿)の近太旅館で一休みして東京に帰ることとし、京都駅からタクシーで近太旅館に着くと、まだみんな寝ている。大声で怒鳴って叩き起こすと見知らぬ新顔の女中がやっと出てきた>・・・ハーブの薄紫とアゲハチョウがよく合っています。

<若い大尉風情がと軽蔑気味に案内されたのが、近太としては最下等の従僕部屋。だが私たちは委細かまわず「先ず床を取れ」「飯ができ次第持ってこい」と矢継ぎ早にやらかす。女中は若いくせにいやに横柄な客だと、起きてきた女将に上申したらしい>・・・下の写真は右正面から

<(顔見知りの)女将がやってきて見たら、徳大寺と私が行燈部屋で飯を食っている。「あらー!」と平身低頭してお辞儀をし、顔を上げるや否や柳眉逆立て大声で「誰どす。こんなお部屋にご案内しやはったんは!早うここにきてお詫び申し上げなさい」と恐ろしい剣幕だ>・・・これも右側から

<初対面の女中君、おどおどして平蜘蛛のようにお辞儀ばかりしている。余りに気の毒だったので方向転換のつもりで「ねえ女将さん。この人は徳大寺さんなんだよ」と何気なしに言った>・・・後ろから別のアゲハチョウが接近

<ところが女将が徳大寺と聞くや否や、飛び下がって障子を開け、廊下まで出たらと思ったら、板の間にペッタリと坐って額を板にすりつけた最敬礼だ。何秒かかったか解からないが私の親爺(大山元帥)にもこんなにはしない>・・・横を通過しただけでした。

<かねてから京都人は、お公卿様をえらく尊敬するとは聞いていたが、目の当たりにこれを見て、私の方が驚いた。だが近太旅館はそれ所ではない。忽ち大騒ぎだ。この警報が旅館内に伝わると、一家総動員。まず旅館主人が紋付羽織袴の正装で出てきて行燈部屋で寝ている徳大寺様へ廊下から挨拶>・・・蜜を吸い終わってハーブから離れたアゲハ

<片や女将総指揮でお部屋の準備。いよいよ出来上がった所で女将は現れ、お部屋替えをと言う。私が「せっかく寝ているのだから起きてからにしてくれ」と言うと、「お寝みのままで結構です」と男衆が布団の四隅を持って担架輸送しようとする>・・・これもハーブから離れたアゲハ

<徳大寺君が「大山!移ってやろうよ」と言うので譲歩し、両人(二人とも後に公爵を襲爵)とも最上室に入って絹布団にくるまって寝て、その晩に夜行列車で帰京した。これが縁となって、徳大寺君は軍人をやめて、昭和天皇侍従となった後も、京都に来る度毎に、必ず近太旅館に泊まるようになったとか>・・・ハーブからやや距離を起いたアゲハ

金星の追憶 大山 柏著



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