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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



西郷隆盛(1828〜1877年)の従弟(父親同士が兄弟)だった大山巌(1842〜1916年)の次男、大山柏(1889〜1969年)の随筆に隆盛の嫡男・西郷寅太郎授爵のことが出ていましたので枚岡山展望台からの眺望と一緒に紹介しましょう。

2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」には隆盛の最初の妻として須賀(ドラマでは橋本愛)、次が1859年に奄美大島で娶った愛加那(1837〜1902年・二階堂 ふみ)、三人目が1865年に薩摩に戻って結婚した正妻イト(1843〜1922年・黒木 華)が登場しています。

隆盛は、愛加那とイトとの間にそれぞれ子供を作っていますが、愛加奈との間の庶子が西郷菊次郎(1861〜1928年・2代目京都府市長)、正妻イトとの間の嫡男が西郷寅太郎(1866〜1919年)です。寅太郎はドイツに13年間滞在してドイツ士官学校を卒業、1892年(寅太郎・数え年27歳)帰国して陸軍士官となった人物。・・・花園ラグビー場

帰国から10年後の1902年・明治35年(寅太郎・数え年37歳)、父の維新時の功績で嫡男寅太郎は侯爵に列せられ、体面を維持するための金一封(5万円)が下賜されることとなりますが、ある宮内省関係者から異論が出ています。

その異論とは「西郷は子孫に資産を残していません。寅太郎も陸軍給与だけで倹しく暮らしており、5万円の御下賜金では到底侯爵の体面を維持できない故、今少し爵位を低くして戴きませんと体面維持は困難かと」と言上したこと。・・・あべのハルカス(高さ300m)は、枚岡山展望台より高い

しかし明治天皇はこの言上を聞くや否や「さすれば爵位はそのままで下賜金を倍にしてつかわせ」と即答、前例を破って寅太郎侯爵に限って10万円が支給されています。明治天皇が大西郷の功績を高く評価していた証拠でしょう。・・・南港コスモタワー

当時、西郷寅太郎一家は間口4間(約7m)くらいの粗末な二階家に母親(イト・当時60歳)と同居していましたが、授爵のことが新聞報道された翌朝、上品な老紳士が贅沢な2頭曳の馬車で西郷家を訪問しています。・・・あべのハルカスのアップ

玄関も無い粗末な家で質素な未亡人(イト)が慎ましやかに挨拶すると「これで私も安心仕りました。まるで肩の荷を一時に下したような晴れ晴れとした気持ちになりました。本当に心からお祝い申し上げます」と丁寧に言上したといいます。・・・大阪梅田方向

その紳士こそ、34年前に西郷隆盛の奔走によって命を救われた恩義を忘れなかった、徳川15代将軍徳川慶喜(当時66歳・実は前日に寅太郎と同時に公爵を授爵)その人だったのでした。・・・左の白いビルは阪急百貨店中央がグランフロント

参考文献:金星の追憶 回顧八十年 大山 柏著



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