朗読ワークショップ第2回です。トマティスメソッドによるエクササイズのあと堀井先生が『今回の「幸福の王子」は浪漫劇場のスタイルでオスカーワイルドの詩的な世界をリアルに表現するのではなく、むしろ朗々とうたいあげるようにしましょう』とおっしゃいました。
(昭和44年三島由紀夫と松浦竹夫等によって劇団浪漫劇場は結成されました。昭和45年11月、三島の自決二日前まで「薔薇と海賊」を上演し、三島由紀夫は問題のシーンで涙していたそうです。)
それを聞いたとき、天の計らい!と思いました。わたしは声を外に出すより自分の内に落とし勝ちなのです。もっと前に前に!と永実子さんに注意されたこともありますし、聴き手を置いてけぼりにしてしまう...と言われたときもあります。内省的になっているとき、怖れがあるとき、疲れているときは声が前に出にくいのですが、それにはもうひとつ理由があるように思われました。
わたし自身に踏み込まれたくない想いがあることと関わりがあるような気がしたのです。本来 ひとの肉声はやさしいものですが、力で押してくる声、耳に障る声、押し付けがましい声は生理的に受けつけない、逃げ出したくなるときがあります。トマティスによれば聞き取れない声は発声できないのですから聞きたくない声の調子...当然 発声できにくい....ということになります。
発声のメカニズムには心理的要因もあるといいます。聴きたくない音 周波数は耳が拒絶してしまう.....たとえばガラスを爪でこするようなキーーーという音、いつも叱られているひとの声....するとその周波数が発声できなくなる。わたしは二年前から喉に圧迫がある、出にくい感じがある...という違和感を感じていました。ヒーラーの悦子さんは「おかあさんに、話したい、伝えたいことを伝えていないから...」といいました。声はなんて不思議なんでしょうね。...
これらのことを含めて声を前に出すこと、あえて避けてきた「表現」に一歩を踏み出せるような気がして、わたしは堀井先生に訊ねました。「わたしは声を内に落とし勝ちなのですが内に落とすのと外へ出そうとするとどのくらいの割合で考えたらいいでしょうか」先生は頷いていいました。「.....さんの場合は充分内側をとおっているので100%外に出して大丈夫です。やってみましょう。あたらしくひろがっていきますよ」あと三回の練習のあと、最終日は発表会です。たのしみなことになりました。さて、どんな展開になりますやら...。
ワークショップのあと、さっちぃさんと待ち合わせてランチを兼ねて会社のホームページの打ち合わせをしたあと、ついついと見えない糸に引かれるようにわたしはひとり歩き出しました。といってもあてはないのです。手がかりは墓地と高速道路かなにかの車の音....わたしは35年前訪ねた大島弓子さんの住んでいた家を探していたのでした。....この花屋でお花を買ったのだろうか....やがて黒々と茂みが見えてきました。なぜか見覚えがありました。
それは永福寺の境内の木々でした。手前を左折すると...蔦のからまる「生体エネルギー研究所」の異様....そのままぐるり境内、墓地をまわりこむと...あの夜聴いたと同じ車の音がさぁーっと波のようにわたしを捉えました。...ここに違いない...あの窓から見えた墓地は....そうか二階からだったのだ.....角度から特定できました。...たぶん、ここ、屋根より高く琵琶の木が聳え採るひともないのか黄金の実がたわわに実っていました。
わたしはためいきをひとつつき琵琶の木を見上げました。夢ではなかった....ここに確かにわたしの運命の曲がり角となったひとが棲んでいた。そしてわたしは自ら探し当て扉を叩いた。35年前も今も変わらない、これからもわたしは扉を叩き続けるでしょう。その向こうに待っているものがなにかわからないけれど....。道すがら、どこから漂ってくるのか くちなしの甘い匂いがしました。
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