今日は 戦争孤児の方に体験をうかがってきます。
みなさんはご存知でしたか? 13歳から19歳の少年兵が42万人いて おとなたちとおなじように
戦地で戦ったことを...その数42万人 学徒動員(大学生)12万人
子どもを軍隊につかう。これはタブーです。だから 政府は 戦後 これを隠そうとした節があります。
満蒙青少年義勇軍
農家の次男 三男 四男 などが 送られた。もちろんカタチは志願である。
学校に割り当てがあった。先生たちも教え子を戦場に送り出した。
中国人から奪った土地を開墾させた。 おとなの兵隊が南方に行った後は警備も担当。
食べ物は乏しかった。 安倍普三の祖父 岸信介は当時満州国のNO2
日本の国富 国民からの税金をはこび 満州に楽土建設を夢見る。
満州には150万が移住 帰ってきたのは 105万人 シベリアに送られ シベリア開拓に
従事させられたものも多い。
海軍特別年少兵
巧妙な宣伝により 13歳からの多くの少年が志願 その数20万余り
軍にとっては習熟していない少年兵は消耗品だった。
特攻 の70%。
少女たち戦場に行かない少年たちは学徒勤労動員に駆りだされ 軍需工場 農家 建物の解体作業に従事
劣悪な作業環境 B29に狙い撃ちされた軍需工場爆撃で 6万人あまりが死傷病死と推定されている。
国のために働いた少年少女たちに国は補償をしなかった。民間人という理由で。
ドイツは補償したのに。日本の政府は いつも おなじである。
空襲や集団疎開で 孤児になった子がおおぜいいる。
この国はそれも放置した。
「当時は、浮浪児や、行き倒れらしき子供の遺体をリヤカーで運んでいるのを、よく見かけたものです。」
上野の地下道でも毎日のように飢えて子どもが死んでいった。
みとられることもなく。おかあちゃん と いって死んでいった。死体のうえにだれかが新聞紙をかけた。
食べ物のために身を売る少女もいた。
集団的自衛権で「戦争をする」 ... ということは 子どもたちをこのような目にあわせることなのだ。
外国の子どもを....もしかすると日本の子どもを....
安倍の祖父 岸信介は 敗戦前 一目散に 日本に逃げ戻り 隠れていた。
戦後 アメリカに媚びを売り アメリカの下働きをし いいなりになって日米安保条約をむすんだ。
孫の安倍普三が 自衛隊を軍隊にして 戦争をはじめようとしている。
安倍には子どもはいない...
終戦から1年後、全員無事に帰国しております。
戦前の日本の徴兵は20才からでした。10代で戦った少年兵は100%志願=自分の意思です。赤紙で強制的に戦争に参加させられたのではありません。戦前は現在の日本の価値観も教育内容も違います。自ら志願して戦った幼い英霊たちを憐れむのはおかど違いです。私の父も叔父たちも自分のした事を卑下した事は一度もないです。私自身、10代で自ら志願して戦った父やおじたちを誇りに思っています。
少年たちがすべて特攻になりたかったわけではありません。けれど断れる雰囲気ではなかった。乗せるとき クスリを与えた例もあります。怖くておしっこ漏らした少年を無理やり乗せたこともあったそうです。機の不具合で帰還した特攻兵は女学校に隔離され 発狂した子もいます。生き残ってPTSDで苦しんだ子もいる。戦争は 国民を苦しめます。叔父様方は立派だったかもしれないが あなたは我が子を孫をそのような目に遭わせたいですか?わたしは100人以上の方の戦争体験を聴きました。どんなにいじめられても戦争だけは起こしてはいけない。体験者の声はまだ胸にこだましています。