遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   今日のテーマも声ですが、どこに迷走するかわかりません。書きたいことがたくさんあって趣くままに書いてみます。

   感覚と身体と心そして魂の一体化...芝居でも語りでも他の芸能でもひとの魂に響かせるためにそれは必要なことだと繰り返し述べてきました。今から三年前、カナダのストーリーテラー、キャシーのことば、RADAでの体験....をとおし実際に聴くこと語ることから得た...ことばや文字ではないそれこそ自分の身体と感覚と魂そのものが”知った”ことです。

   ですから当然器質的な....横隔膜や声帯または腹式呼吸というような肉体的構造だけのヴォイストレーニングには限界があります。そういう意味で川瀬さんから受けたワークショップと個人セッションはわずか3回でしたが印象に残るものでした。声がひかりになりえることを実感したのです。ところが川瀬さんはこの3月病に倒れ復帰のめどが立っていません。

   きのう行ったのは川瀬さんの意志 川瀬さんが半ばでつづけられなくなったことを継承してくださった方のワークショップでした。9人の参加者..は円になります。ハグからはじまりました....各チャクラからの発声 おなじアの音でも意識する場所で音は変わります...わたしの場合は喉つぎに胸のチャクラのところでひっかかりを感じます。すると講師は「わたしの体験からいうとあなたはだれかに言いたいことがあるのです」...これは悦子さんに言われたことと重なりました。胸は想いがたまるところですね。

   身体の軸....そのつまりがとれればスコーンと声が出るようになる...と聴いたことがあります。身体にたまったものを声とともに全部出すというエクササイズがあったのですが、自分でも驚くような声でした。そのあと声がまったく変わりました。わたしは声をかなり低めにしているのですが、実際の声はもっとずっと高いようです。

   マントラの倍音発声のあと、最後にカッチーニのアヴェマリアを歌います。実はほとんどこのためにきました。最初に全員で...それからふたりで組んで つぎにひとりで....ふたりのとき 相手がかわると出る声が変わる...合わせよう補い合おうとするためでしょうか....それがおもしろかった。そしてソロでの歌 みなさん素晴らしかったです。楽譜を手放せなかった方が楽譜をしまって歌ったとき、その声は自由になって羽ばたきました。

   わたしはしみじみとしあわせにみなさんの光となって降るような声の響きを腕..かいな..をひろげて受け取りました。ワークショップのはじめとおわりではみなさんの顔がちがいました。センターに置いた各自のペットボトルの水の味が変わりました。そして信じられないと思いますがセンターの床から1mくらいのところがとてもあたたかい、あきらかに温度が上がったのです。どうしてでしょうね。

   川瀬さんはカリスマ性のある方でした。今日の講師は地に足のついた、ひとをつなげる天性のものを持っていらっしゃる方でした。同じテーマでも講師によって見えるものは変わってきます。....わたしが声にこだわるのは声で半ば決まるからです。語りはその語り手を語ってしまいますね。.....そのなかでもっとも本質的なものを伝えるのが声なのです。

   ひとはそれぞれ耀きに充ちた声を持っているのですが、感情...わだかまり...発声のくせ...からだの遣い方....などで本来の声がでてはいない。自分の声は好きじゃない.....という方は多いのじゃないでしょうか。芸能の王道は自分を磨くことです。しかるに芸の道に向かい努力することはおのずと人間を磨くことにもなる。→→→は←←←になり螺旋を描いて高く昇ってゆく....おどおどぬめぬめしたもの小暗いものを捨て去ってゆけば......いや捨てることもいらないのかもしれません。

   わたしは市井でまわりの人々えにしある方々に語ってゆきたい、けれどするからにはベストを尽くしたい、声の不思議、神秘を知った今、自分の声を取り戻しひとを癒せる語り手になりたい....隣にいた方が「今日 きてよかった、あなたの声が聴けてよかった..」と言ってくださった.......わたしはまだまだ捨てなくてはならないものがあるのですが、今の自分もうけとめて抱きしめていきたいと思います。

   ワークショップで気づきを得ることはできる、声は一時 耀きを増す...これをどのように定着させるか.....川瀬さんとの個人セッションでは声がどんどん高くなって澄んでゆくのがわかりました...でもそのあと自分の声がどう変わったのか変わらないのかわからない.....たぶん”その時”変容すればいいのでしょう....降ってくる、沁みこんでくる声に...主張する声ではないはずです。雨のような....ひかりのような....

   結局迷走も寄り道もしませんでしたね。書きたいことは岡崎京子さんのことなんですが。今夜霊感が降ってくるのを待ちましょう。
   






   

    

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