先日、国語学者である師との酒席で
「先生はご飯を炊くというようなことをなさっていますか」ときくと
「やっている」とのこたえでした。
私も「無洗米というのを使っていますが、洗わなくて済むので楽です」と申したところ
「無洗米というのは、洗っていない米。洗わなくて済む米という意味にはならない」とのことでした。
当の師は、無洗米を使っているのですが、
「洗っていない米の意味なのに、洗わなくていいとは気持ちが悪い」そうです。
あらためて字義の重さを痛感した次第です。
「先生はご飯を炊くというようなことをなさっていますか」ときくと
「やっている」とのこたえでした。
私も「無洗米というのを使っていますが、洗わなくて済むので楽です」と申したところ
「無洗米というのは、洗っていない米。洗わなくて済む米という意味にはならない」とのことでした。
当の師は、無洗米を使っているのですが、
「洗っていない米の意味なのに、洗わなくていいとは気持ちが悪い」そうです。
あらためて字義の重さを痛感した次第です。