この前の記事では、「はしだのりひこ」との関係が知りたいと書いたが、
その「はしだのりひこ」がコメントを発したようである。
10月17日
「自殺して悔しいというか…、何でやねん、お前っ!」とのこと。
グループ解散後はほとんど会っていなかったそうだが、
多才な加藤和彦の音楽性を「狂気と紙一重だった」と評している。
加藤和彦の自殺はマスコミからの連絡で知ったそうである。
グループを解散した後は「20~30年も会っていない」のだそうだ。
その加藤和彦との出会いを次のように話している。
「東京の高校から京都(龍谷大)に来て、ほとんど友人がいなかった。そこで学校へ行くふりをしては、同志社大に行っている僕の家によく遊びに来た。当時の僕はコンサート運営などをしていたんだ。親近感を持ってくれていたのかな」
「彼はユニークだった」と音楽の才能に一目置いていた。
群れることを嫌い、1人で一日中ギターを抱えては、飽きることなく歌の世界に浸っていた。
そして、その才能を「狂気と紙一重」と表現し、「当意即妙で、こいつは頭の中で何考えているんだろうと思っていた」のだそうだ。
フォーククルセダーズのことを考えると
加藤和彦がいると端田宣彦は埋没が避けられなかった。
だからこそ加藤和彦と距離を置いたのだろう。
天才という言葉を使わずに、「狂気と紙一重」と評しているところが
それでも認めたくないという気持ちが表れている気がする。
その「はしだのりひこ」がコメントを発したようである。
10月17日
「自殺して悔しいというか…、何でやねん、お前っ!」とのこと。
グループ解散後はほとんど会っていなかったそうだが、
多才な加藤和彦の音楽性を「狂気と紙一重だった」と評している。
加藤和彦の自殺はマスコミからの連絡で知ったそうである。
グループを解散した後は「20~30年も会っていない」のだそうだ。
その加藤和彦との出会いを次のように話している。
「東京の高校から京都(龍谷大)に来て、ほとんど友人がいなかった。そこで学校へ行くふりをしては、同志社大に行っている僕の家によく遊びに来た。当時の僕はコンサート運営などをしていたんだ。親近感を持ってくれていたのかな」
「彼はユニークだった」と音楽の才能に一目置いていた。
群れることを嫌い、1人で一日中ギターを抱えては、飽きることなく歌の世界に浸っていた。
そして、その才能を「狂気と紙一重」と表現し、「当意即妙で、こいつは頭の中で何考えているんだろうと思っていた」のだそうだ。
フォーククルセダーズのことを考えると
加藤和彦がいると端田宣彦は埋没が避けられなかった。
だからこそ加藤和彦と距離を置いたのだろう。
天才という言葉を使わずに、「狂気と紙一重」と評しているところが
それでも認めたくないという気持ちが表れている気がする。
あれだけの音楽の才能に恵まれたはしだのりひこさんが、病床の奥様の介護、家事、育児といった大変な日々の生活をこよなく愛し慈しんで過ごしておられるご様子を以前TVで拝見しましたが、本当にお幸せそうでした。
加藤和彦さんも安井かずみさんとご一緒に洗礼を受けられ、ご夫婦お二人で福音書を通読された経験を語っておられるのを以前クリスチャンの雑誌で読んだことがあります。
はしださん、加藤さん、この才能溢れるお二人がキリスト教の信仰を持っておられたのは偶然ではない気がします。加藤さんの自殺はとても残念です。
まだこの記事を読んでくれる方がいらしゃるのですね。
そしてそのコメントが彼の盟友だったはしだのりひこさんについてです。
昭和45年の平凡が家に残っていまして、彼のことが書かれています。やはり、時代をにぎわした方ですね。
一つの時代を生きた方には、はしだのりひこさんの存在は大きいようです。
本物の天才だと思います。彼の楽曲は、時代を越えて愛され、受け継がれて行くことでしょう。