10月31日になるとだいぶ涼しくなってきて
暦を見ると今年も残り2ヶ月ということに気がつきます。
今年のパフォーマンスは何だったのかと考えると
実際のところ、何もないのです。
あったのは悪いことばかりで、特に今月は最悪でした。
でもいいことというのは些細なことばかりなので、記憶の中にないだけなのかも知れません。
どこかに遊びに行くとか、お小遣いをもらうとか、子どもの頃は、そういうことがいいことでした。
それは、子どもには大きな事だったのかも知れないけど、大人になって逆の立場になってそう言うことに感動しなくなっています。
実に物質的な満足から精神的な満足を求めているのでしょうか?
考えてみると、先般、小学生の運動会で、娘が徒競走で走っている姿に我を忘れて大声を出して応援していたのも、実は「感動=精神的満足」だったのかも知れません。
人間、歳を取ると自分のことよりも子どものことに感動し、もっと歳を取ると孫のことに感動するものでしょう。
いずれは孫のことで精神的な満足を得ようとするのでしょう。
話し変わりますけど
三遊亭圓楽師匠も逝去されたそうで、
笑点では、圓楽が一番好きでした。
「とうとう圓楽にまで順番がきたのかな」なんて思ってしまいました。
そんなわけで段々と「老い」というものが身近に迫っているような気がしてなりません。
暦を見ると今年も残り2ヶ月ということに気がつきます。
今年のパフォーマンスは何だったのかと考えると
実際のところ、何もないのです。
あったのは悪いことばかりで、特に今月は最悪でした。
でもいいことというのは些細なことばかりなので、記憶の中にないだけなのかも知れません。
どこかに遊びに行くとか、お小遣いをもらうとか、子どもの頃は、そういうことがいいことでした。
それは、子どもには大きな事だったのかも知れないけど、大人になって逆の立場になってそう言うことに感動しなくなっています。
実に物質的な満足から精神的な満足を求めているのでしょうか?
考えてみると、先般、小学生の運動会で、娘が徒競走で走っている姿に我を忘れて大声を出して応援していたのも、実は「感動=精神的満足」だったのかも知れません。
人間、歳を取ると自分のことよりも子どものことに感動し、もっと歳を取ると孫のことに感動するものでしょう。
いずれは孫のことで精神的な満足を得ようとするのでしょう。
話し変わりますけど
三遊亭圓楽師匠も逝去されたそうで、
笑点では、圓楽が一番好きでした。
「とうとう圓楽にまで順番がきたのかな」なんて思ってしまいました。
そんなわけで段々と「老い」というものが身近に迫っているような気がしてなりません。