知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

山窩(さんか)と呼ばれた山の民と生活保護法

2006-05-05 07:30:03 | Weblog
今日は、こどもの日ですが全然関係ない話を…。
我が国には山窩と呼ばれた山の民がいたことを知らない人が多いだろう。
山窩(サンカまたはサンガ)は日本の山地を漂泊し、河川漁労、竹細工などを生業としていた非定住民の集団である。山家とも呼ばれる。独特の隠語を喋り、サンカ文字を使用し、農耕せず、定住せず、政治権力に服従しないなど、大和民族とは明らかに文化が違っていた。その実態は明らかでなはく、分類や起源には様々な説があり、謎に包まれているがゆえに一部には滑稽な珍説も見られる。サンカが、日本の少数民族の範疇なのか、歴史的に様々な姿や呼称で日本の様々な時代に記録されてきた、非定住文化をもつ日本人なのかは現在不明である。少なくとも、近世以降、政治権力に公認された共同体である、町や村に編成された人々ではなかった。柳田国男は、「人類学雑誌」に彼等の記述を行っている。サンカは、明治から徐々に被差別や都市労働者層に吸収され、また戸籍と定住を強要され徴兵されていった結果、戦後に日本文化と同化し、姿を消した。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)
白土三平の作品にもたびたび描かれることがある。(私は、氏の作品で山窩を知り、興味を持つようになった。)
山窩の方々の中で救護施設等で暮らしていらっしゃった方もいたようである。現在のところは、資料がないので分からない。
さて、戦後に山窩の方々が減少した背景に生活保護法の役割があったのではないだろうか。旧厚生省が示した生活保護問答集に「洞窟に住む人を生活保護の対象とできるか」といったくだりがある。これは、洞窟を住所地として認定して保護しようとするものである。当然、住民票はどころか戸籍もない人達である。問答集は、洞窟に定住していると認められる限り、住所地として認定できるとして積極的に解しているようである。彼らは現金収入がないため要保護となり、生活費を支援を受けたのだろう。やがて、高齢化すると洞窟等での生活が難しくなり、各種施設に入所して生涯を終えるといった途をたどったと思われる。このように政策的に山窩と呼ばれる人たちは、現在の体制に引き込まれていったのではないかと思うこの頃である。無論、山窩の人たちが反社会的であったと言うことはできない。ただ、生活保護法の一つの役割として治安の維持という側面があったことは否めないところである。
しかし、電気も水道も何もない洞窟に住む人が我が国にいるとは思えない(あえて定住地を持たない方向に向かった人を除く)。そういう意味では、我が国も狭くなってしまったという感がする。

山窩について情報をお持ちの方は、是非ご教示いただきたい。(インターネットに載っているレベルはこちらも勉強してますけど…)

最後に、山窩という言葉に差別的意味が込められているとしたら、当方の勉強不足ですので深くお詫びするところである。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (324)
2015-03-24 10:33:39
初めまして。先月、夢を見ていた際に 「我々はサンガの民」と言う小さな体の薄ぼれだ着物を着、杖をついている仙人の様な方が出来てました。肌は硬く衛生的ではありませんでした。サンガとは何だろう?と、気になり検索しました。柳田国男さんの風土記?遠野物語あたりに出て来そうですね。夢では、サンガは少数の為に囲われて隠れるように住んでいると話していました。不思議ですね。生活保護などの制度で消滅した集団だったのですね。日本にもそういった集団があったとは驚きました。
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