知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

新年度第一四半期終了

2009-06-30 06:28:16 | Weblog
梅雨入りして
6月も末日
今年もだらだらと時が経っております。
何をやってきたのだろうかと振り返ると
対して何もやっていない
そんなことを繰り返して
そしてそんなことを繰り返していることに気が付くのに
時間がかかりすぎです。
また夏が来て
秋が来て…
そうやって死んでいくんだろうかと
思うこの頃


人材育成の難しさ

2009-06-29 06:09:58 | Weblog
仕事には一子相伝のような類もあります。
最近は、組織がスリム化しており
いわゆる組織スラッグが薄くなっております。
つまり、余事にかまけている時間が少ないわけです。
したがって、ルーチンワーク以外の部分での仕事がしにくい。
そうなると、一子相伝のような細かい部分、専門的な部分までは伝授ができなくなってしまいます。
結局、人材が育たない。
人材が育たないが問題が解決できない。
問題が解決しないから仕事、特に拘束時間が長くなる。
悪いスパイラルに陥ってしまいます。
どうにか解決したいものです。

土日が一番疲れる現実

2009-06-28 05:54:02 | Weblog
平日仕事に全力を投入していると
正直、土日は寝ていたいのです。
しかし、どう言う訳か
子どもは平日は起きないのに、土日は早く起きるのです。
そして、騒ぐ。
どこかへ連れて行けと言う。
こちらはどこへも行きたくないのだけれども
やむを得なく子どもにつきあう。
そうするとさらに連れて行ったそこで騒ぐ。
土日が一番疲れます。
私、もう土日は勘弁というところです。

マイケル・ジャクソンの死

2009-06-27 06:16:51 | Weblog
マイケル・ジャクソンについての死亡報道が賑わしている。
正直、私はあまりマイケル・ジャクソンの影響を受けていない。
冷淡な目を含めてマイケル・ジャクソンの死を考えていた。
彼も何か永遠というものを望んでいたのだろうか?
あれだけ皮膚を白くすることにこだわっていた。
黒人に生まれたことが悲劇だったのだろうか?
でも白人に生まれていたらマイケル・ジャクソンは存在しなかったのだろう。

50歳での逝去

人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり

そう思うと明日は我が身かも知れない。

旅立の日も近い

2009-06-26 07:04:07 | Weblog
ある場所にツバメの巣がありました。
もうかなり大きな雛です。
旅立の日を待っているという感じです。

昨今、人間のモラトリアム時間が長期化してますけど
早く社会に出して鍛える
それが人間を強くする気がします。
モラトリアム時間は、人間を弱くするような気もします。

40歳のめぐり逢い

2009-06-25 07:29:12 | Weblog
先般、知人の骨折のお見舞いに行ってきました。
痛ましい傷あとでした。
多分、消えることはないのでしょう。
後遺症も出るのかな…

やや、不謹慎な話です…

二十歳のめぐり逢いという曲があったのですが
その一節が蘇りまして
その替え歌です。


今日は君の 誕生日 ワインを飲んで祝おうね

40歳になって じじいになって 出直すんだね過去など忘れ

足首の傷は消えないけれど 心の痛みは

僕がいやしてあげるやさしさで 君のためなら


アイアンキング

2009-06-24 06:24:45 | Weblog
シルバー仮面を観ていたら
ふとアイアンキングなる番組を思い出した。
主人公は石橋正二が演じていた。
アイアンキングはどういう訳は脇役。
シルバー仮面とそっくりだった。

ウルトラマンが3分しか地上で活動できなかったが
アイアンキングはもっと短く、1分しか活動ができない。

たった1分しか活動できないのも
主人公を人間に設定したからなんだろう。

ドラゴンボールZ…続きネタ

2009-06-22 05:53:49 | Weblog
休みの日を利用して110話話当たりまで一気に観ました。
話の展開に無駄が多いのですが
各話の終わり方、タイトルの付け方が興味を引くというか
実に絶妙です。
特にフリーザを倒す当たりを観ていたのですが
ドラゴンボールそのものが一人歩きを始めてしまい
作家の意向でやめるにやめられなくなったというのがよく分かりました。

座頭市…不快な表現について

2009-06-21 05:43:35 | Weblog
GYAOで座頭市を放映しておりまして
拝聴させていただきました。
冒頭で不快な表現が出てくると注意書きがありまして
視覚障害者を「めくら」と言っていることを指しているのかと思います。
ナーバスになり過ぎな感もありますが
オリジナルを放映する上では必要なことなんでしょう。

最近は、里親・里子という表現について議論があります。
里子とは、「子どもを他人に育ててもらうこと」又は、その子どもを指すわけですが、いつしか不快な表現として制限的な用法に変化しつつあります。
つまり、猫や犬をもらい受けて育てる場合には、「里親・里子」という表現を使用してはいけないという風潮があるようです。
人間を犬や猫と同じにするなと言うことでしょう。
しかし、犬や猫を我が子と同然に育てている人もいるわけですからね、複雑ですよね。

言葉は時代とともに生きています。