知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

僕らは日本人らしさを失ってはいけない

2019-11-06 21:43:36 | 日本人であること
ヘイト、ヘイト草木もなびく御時世
日本が人口減少社会を迎えて
外国人労働者の受け入れを真剣に考えようとしています。
残念ながら日本は手厚い福祉を目的に入国する害国の餌食になっています。
そういう連中が天皇制反対とか、朝鮮学校に補助金をとか言っています。
TBSテレビにいたっては、日本に否定的な報道ばかりしています。
まず大事なことは、日本優先であり、日本人優先です。
何かとそういうことをヘイトに結び付けようとするのですが、
まずは私たちが日本人であることを大切にし、
私たちの利益を損なう者や行為は否定すべきです。
日本人であることは、日本国籍を有するだけでなく、日本の古代から現在に至るスペクトルを肯定できる人間ということです。

公立中学校卒業式…日本の文化は…

2018-03-15 14:54:52 | 日本人であること
卒業式の時期です。
公立中学校での話です。
国籍問わず教育は受けられますので、今や肌の黒い子もちらほら…
しかし、中国人になると外見は日本人と大差ないのですが、雰囲気が違うのを肌で感じるのです。夫婦で来ていて、会話は中国語。やっぱり中国人だと確信。

王○○といらしいのですが、国家斉唱の際、起立もせずに君が代歌を歌わないわけです。
少なくとも、この中国人の子弟が日本の税金で教育を受ねけてるわけです。
和をもって尊とし…これが私たち日本人の価値観
中国人のこう言う態度は水を差して、
何かいやがらせに来てるのと感じさせ、
こう言うことも中国人共産党の工作かとも思うわけです。

やはり、日本が危うい状況にあることを実感しました。

外国人参政権なんて声高々に主張する政治家は論外です。

森友問題と日本に巣くうスパイ…日本を守る

2018-03-10 11:39:00 | 日本人であること
日本人であるということの意味は大分変質してしまい、日本人なら陛下を敬い日の丸を愛していると思ってきたのです。人は右翼と言うかもしれませんが、私は今上陛下が皇太子のときに敬愛の念が湧いたことを隠せません。
しかし、今は日本の福祉制度をいいことに日本に来て国籍を取り、遊んで暮らす日本人やその子供が増大してしまいました。
現在領土などで対立している国に出自のある国民も多いのでしょう。日本国中スパイだらけのようなものです。
これまでの日本の外交は弱腰でご機嫌うかがいみたいなことばかりでした。そういうなかで安倍総理は、インドなどを視野に入れた対中国戦略、従軍慰安婦問題への毅然とした対応など、弱腰でない外交を展開してきました。
私は安倍総理ほど国益にかなった外交を実行した政治家はいないと思います。
日本のマスコミの大半が国益を損なう報道ばかりしているなかで、森友問題も然りです。
過剰に報道して煽ったということができます。
どこまでが誇張されどこまでが真実かわかりませんが、安倍総理の奥さんが籠池夫妻と懇意であったことは事実でしょう。財務省が何かをやった。しかし、ことの重大さを十分に予見せずに国会で答弁しました。近畿財務局に自殺者まで出たのは、安倍総理が直接絡まなかったにせよ、政局を招いたといえるでしょう。
多分、このままではすまない気がします。
そうなると、国益を考えて行動のできる次のリーダーを見つけておく必要があると思います。
安倍総理の意思を継げる方が必要です。
私は古い考えの日本人ですが、このままでは他国の属国になってしまうでしょう。

日の出る国の天子 日の没する国の天子に書もっていたす
これが日本です。



日本人であること

2018-02-23 07:48:54 | 日本人であること
私の同級生(女性)は、2000年頃、インドの古典舞踊を習得するためにインドに渡った。35歳頃のことだ。

縁もゆかりもないインドへ行く精神的強さは称賛に値する。
しかし、やはり女性である。子孫を残したいという本能が働いたらしい。インド人男性と結婚し、子供を儲けた。

結婚生活に忙しくて、インドの古典舞踊は断念したらしい。
私には、目が大きくてスタイルも違うインドの女の子には勝てないから断念したと言っている。それは負け惜しみだろう。
有り体にいえば、男に走ったのだと思う。インド人の口説きは日本人は慣れていない。結局のところ、夢を追いつづけてそれに挫折することを選んだ。
そして、インドの家庭に入った。だが、離婚した。

離婚の理由は、インド人夫の嫉妬。
何故嫉妬したかと言うと、彼女は日本語教師としてたくさんのインドに日本語を教えた。その教え子達に、母のごとき愛情を注いだ。その様子を夫は理解できなかった様だ。母の愛情ではなく浮気のように思われた。
私も若い男達と楽しそうに写真に納まる姿に、夫が誤解するのはもっともだと思った。
インドは母親がいなくても一族が育てるので、子供は当然ながら夫側に引き取られるのが通例。そもそもヒンズー教には離婚が想定されない。
結果的に子供とも離れ離れになったのだろう。
子供についての詳しい話は聞いていない。話そうともしない。どうにもならない闇がありそうである。

日本ではインド人と結婚したことに母親が嘆いたようだ。母親の発した嘆きの言葉には相当な差別めいたものがあったのかもしれない。
日本に帰国するときは、伯母には連絡しても、実母には連絡しない。
今も母と娘の蟠りは深い。
私は娘を思う母親の気持ちがわかる。
娘は母親の言動を今なお水に流せない。

彼女は今でもデリーに住み、日本企業のインド進出をサポートする仕事に就いている。これは大成功をおさめていて、数年で相当の地位についている。

そしてそこから外国に住む日本人として自分のアイデンティティを確認し、日本を眺め、日本を語っている。

平和と水はただだと思っている日本人の脳天気さを嘆き、日本の行く末を案じている。

私は日本帰る気などさらさらない彼女を思っている。
永遠に交わることのない運命を予感しながら…