知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

長州の死んでいった草莽の志士

2015-07-16 09:21:49 | 文学・歴史
長州では少なからずの草莽の志士が志中半で死んでいます。
これをどうとらえるかという難しい問題があるんですが
極端すぎる人が死んでいるのかなと思います。
吉田松陰はその典型かなと…
高杉晋作も極端な人でしたが、彼は上海を見ているところで私は評価します。
最後まで租借を拒否したところが最大の評価部分です。
しかし、吉田松陰はどうなのか、人望も厚く、影響を数多くの人に残したのは事実ですが
死に至る行動は短絡的すぎた気がします。

全体的に長州はラジカルでした。
これも極端さを積極的に評価するか、しないかにつきます。
しかし、大陸に近く位置し、こうつうの要所ということは、太平に安穏として暮らすよりも国際感覚に敏感だったということでしょう。

そういった地政学的に自然発生する意識が命に替えていった志士を多く生んだのでしょう。

「吾輩は猫である」を読了しました

2013-12-24 07:00:05 | 文学・歴史
中学時代に読了しないまま30年以上
ようやく読了しました。
そこには日露戦争の実感もあり、
探偵を嫌う漱石の思想も見えたり、
中身は今読めば理解できますが
中学生には難しかったようです。
明治時代の知識人の水準の高さを実感できました。
今回は読了したいという気持ちが先行しましたけど
もう一度じっくりと読んでみたいと思います。

鴎外の舞姫

2013-12-19 09:16:26 | 文学・歴史
高校の現代国語の授業以来、森鴎外の舞姫を読みました。
文語体なので読みにくいと言えばそうなんですが
なれると口語よりもトントン拍子で進んでいきます。
鴎外の作品は、最後のヤマが来たあと余韻を残して終わってしまいます。
舞姫のエリスもあっという間に病変して終わってしまいました。
原告の授業をいい加減に受けていたので
今読んであらためて新鮮な感じです。

漱石と鴎外

2013-12-08 08:31:32 | 文学・歴史
漱石と鴎外
明治の文豪ですが
正直いって鴎外はほとんど読んでいませんでした。
最近、無料本なる配信ものがあり、鴎外を読んでいます。
鴎外の文は無駄がなく論理的で読みやすいのですが、中身の深さは晩年の漱石が数段上回る気がします。
どうしても長編は論理的でなくなるのは仕方がないと思いますが、
それにしても漱石の作品は人間の思考を深く描いていると感じます。
何を今更という感じですけど…




女でなくなること…菜穂子から

2013-12-06 09:49:57 | 文学・歴史
今、堀辰雄の菜穂子を読んでいます。
その下りに「私はね、菜穂子、この頃になってやっと女ではなくなったのよ。私はずいぶんそういう年になるのを待っていました。」とあります。
これは閉経を暗示しているのだと容易に推測は付くのですが
世の女性、本当にそう思うことがあるのでしょうか?
私自身、女性であれば閉経を迎えるような年になってしまい、男の更年期障害にさいなまれていますが、これとは異なる感覚でしょうし、なかなか理解しがたい部分です。

吾輩は猫である

2013-11-06 09:51:14 | 文学・歴史
小学6年の時読み始めて
書いてある世界へなかなか入っていけずに
読破を断念したのがこの「吾輩は猫である」です。
40年近く経って新ためて読み直しています。
思ったよりも中へ入っていけるので
自分も成長したのかなと錯覚しているところです。
しばらくは日露戦争の頃の日本を感じてみようと思います。

夏目漱石「こころ」

2013-10-17 09:11:48 | 文学・歴史
夏目漱石の「こころ」については過去にも読んだことがありますので筋は分かっていますが、今は疑問となることを抜き書きしてもう一度考えてみようと思うのです。
さて、私が先生を見かけるのは、外国人と一緒にいるところなのですが、彼の先生、対外的には没交渉の人として描かれています。
先生は孤独な人であり、明治天皇の崩御、乃木希典の殉死に絡んで、先生は明治の精神に殉死するとして死を選択するという筋です。
その先生がなぜ外国人と関係があったのか…
少し冷静に読み直してみたいと思います。