知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

遠い国からのたより

2016-10-10 16:39:12 | インド文化
父親に将来は「舞台をやる(女優)」といったらえらく怒られ、
父親とけんかして家を出た同級生がいた。
離婚して別な男と暮らしていた母親の家に居候し、舞台の仕事を求め続けた。
やがて、生計を立てるだけの収入も得られるようになり、彼女はネコとアパートで暮らしながら、舞台の仕事を続けた。
それなりの満足を得ることができたのだろう。
彼女は、2000年頃、インド舞踊を極めるべくインドへ上陸した。
師匠の名前は、Jastin Maccarthy という白人(アメリカ人)
しかし、生物学的には子どもを産む限界の年齢に達していた彼女は、子どもが欲しいと言って、インド人と結婚し子供をもうけた。
そうしているうちにインド舞踊を極める気はなくなってしまった。
主婦に収まるだけでは気のすまない彼女は、インドの日本語学校で日本語を教えた。
インドの日本語学校では親身になって教えたが、それがインド人の夫の嫉妬を招いた。
離婚することになった。
日本とは違って、インドでは子どもを一族で育てる。母親が引き取るということはできない。
子どもを置いたままではインド去りがたしというところだろう。
インドに残り続けた。
しかし、日本語学校だけの収入では少ないので、インドの企業に就職した。
日本の企業を相手にする部門に配属され、それが当たった。
短期間のうちに日本企業部門のトップに踊りつめた。

そういう同級生から連絡が入った。

38年ぶりの音信だった。