知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

福岡の事件は、悲惨な終わり方…

2008-09-22 21:31:17 | Weblog
多分、多くの人が予想したとおりだろう。

「トイレに行った間に、子供の姿が見えなくなった!」
事件当日の18日、薫容疑者はそう言って、現場の公園にいた人たちに助けを求めた。
約30分後、捜索に加わった人が、トイレの外壁と柱のすき間で息絶えた弘輝君を見つけると、顔が黒ずんだ弘輝君にすがりついて泣いた。
救急車で病院に向かう間は、ずっと弘輝君の名を呼び続けた。

しかし、不自然すぎる。

弘輝君は軽度の発達障害があったとされ、
小学校では特別支援学級に通っていた。

これも親としては辛いことだろう。
この部分は大ぴらに報道されていないかったように感じる。

同級生の母親は入学式の後のクラス懇談会で、あいさつした時のことをおぼえている。
「(薫容疑者は)最後にあいさつし『うちの子は落ち着きがないところがあるので、迷惑をおかけすることがあるかもしれません』と泣き出しそうな顔で話していた」という。
その言葉は、自身の負い目を象徴している。

警察も状況証拠を考えれば、一つの結論を出さざるを得まい。

弘輝君の葬儀翌日の9月21日、福岡県警の捜査員は任意の事情聴取で薫容疑者に「本当のことを聞きたい」と告げた。
「私がやりました……」
薫容疑者はそう打ち明けると、せきを切ったように号泣したという。
やがて落ち着くと、自分が病気であることや、子育てに悩みがあって将来を悲観していたことなどを語り始めたという。

何が悪かったのか?

彼女も不幸だったと思う。
子どもを持つ親として、子育ての大変さは重々承知している。
されど子どもを失う悲しさを考えることはできそうもない。

これは子どもを持つリスク。

この苦しみを評価してやらなければいけない。