リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

人生とは何かを育て続けるものと見つけたり

2019年09月03日 | 日々の風の吹くまま
9月2日(月曜日)。☀☀。三連休最後日のレイバーデイ。明日から子供たちが学校に戻るので、親たちにとって1年中で一番うれしい日らしい。昔、鼻歌を歌って踊りながらカートを押して学用品の買い物をする両親の後を、浮かない顔つきの男の子と女の子がとぼとぼ歩いているテレビコマーシャルがあったな。今どきはどうなんだろう。新聞では、量販店の激安セールに来ていたママたちが、学校用品を買い揃える費用がマイホームなどのローンで火の車の家計を圧迫していると嘆いていた。新学年が始まれば始まったで何かと学校行事にお金がいるし、スポーツや習い事にもお金がかかるだろうし・・・。

こういうときには私たちに子供を授けてくれなかった神さまに感謝してしまう。子育てと教育にお金と時間を費やさずに済んで、その分のお金は貯金に回ったし、時間はそっくり仕事に注ぎ込んだからさらにお金が増えて、おかげで今老後の資金に関してはのんびり構えていられるわけだもんね。子供が欲しくなかったわけじゃなくて、実際に一度はできた(らしい)けど「おめでた」を知らされる前に亡くしてしまって、神さまに何か考えるところがあったんだろうと思っているうちに30代後半になったから、ないものねだりをしてもしょうがないと諦めただけの話。

ワタシは元々後悔というものをあまりしない性質なので、諦めたら後はあっさりしたもの。子供を育てないなら自分のキャリアを育てようということで、たまたま会計事務所に勤めていたから会計の勉強をしようかと考えたけど、どうもワタシにバリキャリになって欲しくなかったらしいカレシが「家にいてできる仕事」として熱心に勧めて来たのが通訳・翻訳。乗り気じゃないのにカレシがうるさいからという理由でカレッジの通訳講座に入ったのは神さまの思し召しだったとしか思えない。すばらしい先生にめぐり会って、背中を押され、押されしてフリーランスの翻訳業に足を突っ込んだときのワタシは42歳。

神さまが「子供」を授けてくれたようで、カレシが密かに抱いていたらしい思惑はみごとに外れて、ほとんど天職と言えそうな仕事に出会ったワタシは「家にいながらのバリキャリ」。あれからいろいろあったけど、リタイア(子育て終了)して自由になった人生を好きなように生きてもいいねと思えるのは、髪を振り乱して「自分育て」をして来たからこそ。人間は子供がいなくても「何か」を育て続けるものなのかもしれない。だったら、人生ってほんとに奥が深い。