読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

小説十八史略(三) 陳舜臣 講談社文庫

2007-02-14 22:19:07 | 読んだ
第3巻は、漢の武帝時代から始まり、王莽によって「新」に乗っ取られ、光武帝によって漢が復活(後漢)になり、そしていよいよ三国志の時代に入る、ところまでである。

前漢の黄金時代の皇帝であった武帝もその末期は次代に不安を残すような、いわば「ワンマン体制」の悪い部分がでてくるようになった。
つまりは「偉い人」というのは「晩節を汚さない人」ではないだろうか?と思わされるのである。

権力がひとりに集中したとき、周囲の人物が必ずしも善人ではないことを、権力者がどれだけ把握できているか、が問題である。
自分にとって気持ちのいい人や気楽な人だけでなく、批判的な人をどこまで受け入れることができるか、それが大きな課題である。

中国史を読んでいると、このあたりで失敗している人が多い。こういうことを権力につく人は学ばない。もっとも学ばないゆえに権力者になることができた、ということもあるのだろうが・・・

李陵や彼をかばった司馬遷の不幸などは、いろいろな要素が絡んでいるとはいえ武帝の責任は大である。

さて、前漢は皇帝の外戚が権力を持つことによって衰える。
王莽は皇帝の外戚である。
王蒙が「新」を建国するまで、というか下層からのし上がってくるまでの善人ぶりは見事である。
この例を見ると「善人」すぎるというのもなんだかアヤシイのである。

大望を持つ人はガマンができる。「据え膳」なんて食べない。
だから大望をかなえたときに狂ってしまう。

後漢は光武帝が興した。
前漢の二の舞とならないように「外戚」には気をつけた。
そのかわり皇帝の側に仕える「宦官」(濁流)と政府員(清流)との争いによって終末を迎える。

清流と濁流であれば清流が正しいのではないか?
と思うが、清流と名乗っていてもヒドイ奴はいるし濁流にも清廉な人物がいる。

東洋では「皇帝」が<血>によって引き継がれる。
真の実力者が権力のトップにいるわけではない。
このあたりがローマ帝国と違うところである。
どちらがいいのか、ということになるとそれぞれあるが、ともかく中国では一旦<王朝>が始まると<血>が重要な意味を持ってくる。

革命というのは<血>の交代である。
したがって革命には「流血」が必要らしい。

三国志の時代は、登場人物が多彩で面白い。
その前までもたぶん登場人物が多く面白い物語があったはずなんだろうけれど、三国志は三つ巴というのが、設定、としていいのだと思う。

三つ巴なるがゆえに「謀略」が凄まじく、そこが三国志時代の人気の高さに結びつくのではないかと思われる。

いよいよ第4巻は三国志時代から始まる。ローマ人の物語と併読しながらゆっくり読み進もうと考えている。


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