京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

茅の輪

2013年06月30日 04時06分45秒 | 社寺・和菓子
昨日、新日吉神宮(いまひえじんぐう)に一日早い、夏越しの大祓に行ってきました。
大祓は、年に二回自分の穢れを祓います。
現在のような世の中では、年に二回回なんてのは少なすぎますね。
最低、週に一回ぐらいは大祓が必要だと思いますよ。
政治屋さんたちは、一時間に一回ぐらいだろうな・・・。



そういえば年越の祓(としこしのはらえ)はしていませんよね。
きっと穢れたまま新年を迎えていますよね。
汚いまま、新年の神社に初詣と称して、行き「神様、商売繁盛、健康をお願いします~」なんて失礼なことをしていますよね。
私が神様なら「臭いから向こうへ行け!」と雷を落とすだろうな。
私と違って神様は、人柄(?)がいいのでしょうね。



さて茅の輪の由来
素盞鳴尊(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)が登場人物です。
素盞鳴尊は、いろいろな漢字があります。表示しないかもしれないので「スナノオ」と表示します。
スサノオには、お姉さんが二人(柱?)のいます。
長女が天照大神(あまてらすおおみかみ・太陽、昼担当)と次女が月読命(つきよみ・月、夜担当)です。スサノオは、海担当なんだそうです。月読命さんは、あまり話がないようですね。
ここからは、ちょっと話を短くします。
まず、スサノオがアマテラス姉さんのところ(高天原)に遊びに行った。その時、騒動を起こしたので、アマテラスが天の岩戸に引き籠もった。その罪で高天原を追い出された。
地上を彷徨っている時、現島根県の東部で八岐大蛇を退治する。その時、救った櫛名田比売(くしなだひめ)さんと結婚。
でも結婚生活は長く続かなかったみたいです。
その後、なぜか南海方面の女神に求婚するために旅にでる。
「茅の輪」の話は、その時のものです。



南海に行く途中、ホテルに泊まろうとスサノオは考えた。ところがその時、観光シーズンの真っ最中でどこのホテルや旅館も泊まれなかった。
ある村で、アベノミクスの3本の矢に飛び乗ってうまく儲けた勝ち組の巨旦将来(こたんしょうらい)と負け組の蘇民将来(そみんしょうらい)という兄弟の家があった。
最初、弟の巨旦将来の門構えの立派な家に行った。この時スサノオは、ホームレスのような服装だった。当然、警備員レベルで追い返された。
次に兄の蘇民将来の家に行った。蘇民将来は、ネットでスサノオの事を知っていたので泊めた。粟餅で歓待したそうです。
スサノオは、泊めて歓待してくれたことを喜んで、帰りしな「おおきに、あんたさんの子孫は代々、自ら蘇民将来の子孫也と名乗り、ホンデ腰に茅の輪をつけときよし。そうしといたら、変な病気が流行ってもあんたらだけは、守られると思うよ」と言った。



やがて変な病気が村を襲った。当然、弟の巨旦将来家は全滅。
それ以来、茅の輪と「蘇民将来子孫也」のお札を貼ると変な病気から家族を守ることができるようになったとさ。



最初、茅の輪はコンパクトなサイズだったのです。
そんな小さなものでは、観光資源にならないということで、いつしか大きな茅の輪を作るようになったのです。
京都では、結構この「蘇民将来子孫也」お札を貼っています。あきらかに嘘です。
そんな単純な嘘で疫病神は騙されるのかな・・・。いっそみんな苗字を「蘇民」にしたらいいかも。(笑)

2013年茅の輪



↑亀屋良長「夏越」


↑煉切、黒こしあん

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (8)
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