京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

鴨長さんの方丈?

2009年07月21日 04時27分14秒 | 社寺


みたらし祭の後、糺ノ森を歩いていると境内にある河合神社(かわいじんじゃ)の看板があった。
「女性守護 日本第一美麗の神」とあります。
私は、別にいいんだけど、この記事に来ていただいているお嬢さんたちは興味があるかもしれませんので、行って見ました。





河合神社は正式には、鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそやけ)神社というらしい。
小社宅(おこそやけ)とは社戸(こそべ)のこと。世襲制で神に仕える人々のこと。
従業員の社宅という感じかな。



祭神が、玉依姫命(たまよりびめ、たまよりひめ)。
タマヨリという神名は、「神霊の依り代」という意味。
神霊の依り代、つまり巫女さんのことかな。
ここの玉依姫命は、神武天皇のお母さんの神さんなんだそうです。
日本建国の母ということなんだそうです。
安産、育児、縁結び、学業、延命長寿の守護神ね。
きれいになるとは書いてなかったけど・・・。まあ細かいことはいいか。



隣に貴布禰神社(きふねじんじゃ)がありました。
あの貴船神社と同じ水の神さんが祀ってあります。



鴨長明さんは、平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人、随筆家。
賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ、ネギではない)の地位につくことがでけへんかった、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家(なんでやろね)して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。出家の後、1212年に成立した『方丈記』を著した。



この本は、日本中世文学の代表的な随筆とされている。日本三大随筆のひとつ。
ちなみに後のふたつは、吉田兼好の『徒然草』、清少納言の『枕草子』。
予備のよっつ目は、京男の『京男雑草子』。この書物は、日常的風景に対するあまり鋭くない観察眼で「おかし」という絵言葉で象徴される迷随筆。



方丈(ほうじょう)は、1丈四方の面積を指す。1丈は、大体四畳半程度。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。
「ゆく河の流れ・・・」のフレーズしか知らんな。こんな文章を中学とか高校で読んでもわからんかったな。いまならかろうじてわかるけど。



この方丈は、組立式になっていて、色んなところに鴨さんが持っていかはったそうです。バス・トイレ・キッチンは別なんかな。
まあ、背負ってはいかはらへんかったと思う。
背負うなら「ネギ」やものね。「鴨ネギ」っていいまっしゃろ。
お後がよろしいようで。

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コメント (6)
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