尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

学校は組織で動くー「金八先生」を見て思ったこと

2011年03月28日 22時41分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 「金八先生」がラストということで、昨日4時間スペシャルをやってました。全部見てるわけにもいかないけど、ブログ書きながらもなんとなく見てました。

 基本的な感想は「最後までちょっと困ったドラマだったなあ」というものです。
 大体ドラマの中の学校というのは、とても現実の学校とは思えないようなことが多いんですが。

 もっとも僕はほとんど見たことがないので(テレビドラマはほとんど見ないし、始まった当時は学生で金八にはほとんど家にいなかった)、あまり本格的に批判する資格はありません。また、脚本家の小山内さんは基本的に善意で書いてるのは間違いないし、特に性同一障害について社会に知らせた意味は大きいと思います。そのシリーズに協力したことで知られる虎井まさ衛さんを「人権」の授業にお呼びしたこともあるし、その時はTSUTAYAで金八先生のDVDを借りてきて授業で見ました。

 昨日見ていて思ったことは、この学校は組織で動かないのかなということです。こんな学校は日本中どこにもないでしょう。学校というところは、法律で設立された長い歴史を持つ組織で、公立学校もお役所の一つです。(いいとか悪いとかの問題ではなく。)

 従って、大事なことは「ルール」「会議」「先例」などで決まっていきます。昨日のドラマでは、「問題生徒」を受け入れるべきかどうかが、職員室での金八先生の演説で決まっていきます。あれって、何?
 もちろん、反対している先生もいたけど、あれほど重大な問題を会議室で話し合わない学校はないでしょう。

 ドラマの中の問題は生活指導上のことだから、担任の金八先生が指導原案を出すのもおかしい。生活指導部でまず事情聴取して指導案を作るはずです。担任がやると、まさに金八先生がそうであるように、実力のある先生のクラスはいいですけど、そうじゃないクラスもある。あらゆる問題で完全に同一歩調の指導をすることは不可能だし、またそれほど大きい問題でなければ先生ごとの多少の指導の違いもあっていいと思います。
 しかし、いじめ、暴力、飲酒喫煙などの問題は、学校として同一の指導が必要だから、どの学校でも生活指導部が中心となって決めていくはずです。生徒への申し渡しは大体生活指導主任が行います。

 今度のドラマの場合だったら、対教師暴力なので、事件内容の把握をしっかりするとともに、暴力は何があってもいけないというのが学校のスタンスですから、謝罪プログラム抜きの教室復帰はありえません。高校と違って中学では退学処分はないけれど、校長室登校などから始まるのではないでしょうか。
 担任の「思い」で指導案ができてしまうのは問題で、校長の責任です。

 また、3年B組という以上、A組があるはずで、あと何組まであるかは知らないけど、副担任を含め、3年生なんだから数人の学年団があるはずです。学年会はしないのか。当然、学年の問題は担任個々で対応するのではなく、学年会でよく話し合って学年で統一してすすめるはずです。

 こういうドラマを見ていると、教員個々が頑張れば学校が変わるような描かれ方をしています。だから、学校に不満を持った時に、教員個々が頑張っていないからだという批判をするような人が出てきます。また、個人で頑張っちゃう先生が出てきたりする。

 これは困ったことだよなあ、と思うわけです。
 しかし、生徒を自宅に引き取っちゃうなどという、絶対あってはならない指導が平気で行われている以上、あまり目くじらたてずにファンタジーと思っていればいいのかもしれませんね。

 また、最後に今までの卒業生を呼名する場面、確かに感動的なんですが、なぜ金八先生だけ同じ学校にずっといられたんだよ、と思ってしまいました。ちょうど金八先生が始まったころから強制的に異動させるルールが徹底されてきて、長く夜間中学や日本語学級で働いてきた先生が強制的に他校に転勤させられたりしてきました。
 足立区の広報に金八スペシャルの特集がありましたが、確かにあそこの学校は東京都のはず。いやあ、現行の異動要綱に対する小山内さんの批判かもしれませんね。しかし、都教委の人が見れば、同じ学校に長くいると金八先生みたいに昔の話を持ち出して校長より力を持っちゃう先生が出てくる。やっぱりどんどん先生を転勤させちゃう都の異動方針は正しいんだ、と思ったことでしょう。

 「組織で動く」などというと、決まりきったことをやってるだけのようなイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。学年会がきちんと機能していれば、みんなの意見でどんどん盛り上がり、新しいこともどんどんできるはずです。
 自分が今まで経験した学校では、大体自由闊達な意見交換を行い、楽しく仕事をしました。組織でやるというのは、どんな行事も生徒指導も皆で力を合わせないと成功しないのだから当たり前です。

 生徒を卒業させてからも、学年の先生たちで集まったりする学校ばかりでした。
 僕は生徒と同じくらい同僚の先生に恵まれて仕事をしてきたと思っています。

 僕は、これから現実の学校の姿を発信していきたいと思っています。そうでないと、教育に関する間違った政策(教員免許更新制度のような)ばかりが、出てくるからです。東京都のように。 
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 免許更新制度の問題点② | トップ | 指導力過剰教員 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (呉一郎)
2011-03-29 16:38:31
大変勉強になりました。
返信する
Unknown (Unknown)
2011-06-04 16:48:03
組織優先の時代はもう終わったんですよ。
震災と原発事故と同時にね。
これからは個人の時代です。
返信する
金八って (散髪先生)
2014-08-17 10:18:31
生徒指導主任じゃなかったっけ?
返信する
そうなんですか (ogata)
2014-08-17 22:20:17
ずいぶん昔の記事ですけど、読んでくれる人がいるんですね。僕は金八先生には詳しくないけど、そうなんですか?それでも部会が出てこないことは同じだと思います。生活指導部(生徒指導部、ちなみに東京の中学では大体生活指導部と言うと思います)という「組織」が出てこない。そのような「学校の描かれ方」に関心があるものです。
返信する
ありえない世界 (suke)
2021-01-26 12:55:25
10年近く前の記事への投稿失礼します。

先日、金八先生の第6シリーズの再放送を見ていたのですが、現実的にありえない展開に面喰いました。

管理人さんも金八先生がなぜ異動をずっとしないのかという件について書かれていますが、この第6シリーズでは校長の教育方針と金八先生がぶつかり、最後は金八先生が教育委員会への異動という形を迎えます。

ただ、この異動の情報が卒業式最中に暴露され、他教師や生徒・保護者、かつての教え子、町内会長までが異論を申し立てて、卒業式を中断させてしまうという展開です。しかも異動なのに、演者のセリフには「首を切る」「飛ばされる」という表現が飛び交います。

教師の異動なんて普通にあるという認識だった自分としては、この展開に絶句しました。視聴者置いてけぼり、「ぽかーん」という状態です。

歪んだ形で学校を描くこと自体、原作者やTBSには悪意しか感じない。
一生、同じ学校で、毎年3年生担任(しかもB組)というファンタジーを見せられていたんだという失望感しか残りませんでした。
返信する

コメントを投稿

 〃 (教育問題一般)」カテゴリの最新記事