尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

学校と会社の仕事はどこが違うか

2011年03月31日 21時41分13秒 |  〃 (教育問題一般)
 ちょっと難しい話を続けていますが、今日で一時おしまい。もう少し。
 「金八先生」に関して学校は組織で働くと言い、一方昨日は生徒と教師の関係は組織では動かないと書きました。

 どういうことでしょうか。それは学校の「平時」、普段の授業や部活が毎日続いているときは学校の組織性は隠れていて、教師や生徒の様々な人間関係の方が目につくのです。一方、平時ではない「特別な時間」になると、学校の組織性が表に出てきます。たとえば、生徒が大きな事件を起こしたとか、絶対にミスがあってはならない入学者選抜の時とか…です。

 現在は年度代わりの春休みです。教師の転勤等があり、新しい先生を迎えて、新しい時間割が作られ、新しい部活顧問が決まります。こういう時は学校の組織性が全面に出ている時期ですね。
 誰かが時間割の案を作り、誰かが部活顧問の案をつくる。だから、生徒が始業式、入学式を迎えたあとに、スムーズに学校の日常が開始されていくのです。

 要するに学校も社会の一部である以上、先生たちは分業で仕事をするわけで、会社で営業や経理や総務など分業しているのと同じです。そこだけだったら、「学校も会社と同じ」。だから、人事管理や昇給も会社と同じでいいわけです。

 しかし、学校ではそれは「裏の仕事」であって、授業や行事や部活動などの生徒との関わりという「表の仕事」があります。

 この「表の仕事」に関しては、初中等教育では生徒が教師を選べないので、教師の指導力が重要なのはもちろんです。しかし、ただ「指導力」だけを取り出して育成強化しようとすると、「自分は頑張っている」という教師の側の努力についていけない生徒が挫折する「指導力過剰教員」問題がおきます。

 教師をバラバラにして、昇給などで競わせれば学校はよくなる、というような発想がうまく行かない原因はそこが認識できない点にあります。民間企業と同じような人事管理をしていったあげくに、全然効果が上がらず、書類仕事が激増した分、生徒と教員の関係性が壊れかけています。それが、現在の日本の教育界ではないでしょうか。

 ではどうすればいいか?そんなに簡単に答えがあるはずがありませんが、たぶん多くの現場教員が望んでいるに違いないことが二つあります。

 一つは、現場裁量を大きくすること。生徒のことを考えて先生たちが工夫した行事の案が、管理職からストップさせられる、というようなことがあれば、誰もマジメに意見をいう気がなくなります。実は現在の学校ではこういうことが多すぎて、話し合いが成立しなくなっているところも多いと思います。
 
 もう一つが、自主的な研修の拡充です。「指導力」は目に見えるものばかりでなく、氷山の下の「見えない指導力」があるのです。それを支えるのが、旅行や文化、スポーツ体験、読書、ボランティア活動、家族や友人との関係などだと思います。今は夏休みの自主的な研修がほとんどなくなり、教師の「見えない指導力」が減少している恐れを感じます。

 さて、長くなりました。この指導力の問題や学校という職場の現状は今後も折に触れ書いて行きたいと思っています。今日はここまで。

 ところで、この数日間、学校の片付けで手一杯。何とか最終日に片付け終了。今度は家に持ち帰った分を「断捨離」しなくては。ということで、明日、また。 
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