尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

情けは人のためならず

2011年03月13日 22時08分23秒 |  〃 (震災)
 今回の大震災、マグニチュード9.0.日本で最大。1世紀に5回ほどしか起こらない規模。

 東日本の太平洋岸の被害は、未曽有の規模であることがはっきりしてきました。
 正直言って、このような規模の地震がこの地域で起きることは誰も予想していなかったのではないでしょうか。北海道から東北沖は今までも地震は起こっているし、一方、関東・東海・南海地域はしばらく大地震が起こっていません。

 阪神・淡路大震災は都市直下型で、だからこそ高速道路が倒壊したりしました。それも大変でしたが、今回は県庁所在地からも遠い地域で、救援にもなかなか行けない恐れがあります。

 阪神の時は関わっている団体のボランティアを手伝いに行きました。もう何週間か経っていましたが、新幹線は大阪どまり。でも阪神を乗り継いである程度近くまでいけました。
 
 今回は、被害者数、倒壊家屋数では測れない、恐るべき惨状が予想されます。もともと大都市で人口が多かった、家も多かった神戸と違い、今回の三陸沿岸の町ではほとんど都市地域自体がなくなってしまったかのような映像が放映されています。戦争の写真でしか見たことがないような光景です。

 地域社会の復興には、阪神大震災以上の時間と資金がかかることを予想しておかなければならないでしょう。

 現時点では、直接できることは少ないと思います。節電の協力と資金援助。あとは専門家に任せる段階です。

 内田樹さんがブログで述べているように、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」が現状でわれわれが心がけるべきことだと思います。
 
 あと二つ、あえて付け加えると、「自信をもって」と「情けは人のためならず」。

 東京でも結構揺れたのに、被災地を含め、学校が倒れて生徒が多数死んだとか、役場が倒れて行政機能が止まったとかの例は聞きません。手抜き工事はなかったわけです。
 あたりまえだけど、略奪とかもどこでも起こらない。あたりまえです。でも、それが新鮮に見える社会もあるわけです。

 人間は生まれ育ったところが、やはり一番懐かしい。時間がかかっても、必ずや町の復興は成し遂げられるはずです。そう言い切れるのが、それが災害とともに生きてきた日本人の誇りだと思っています。

 今、中国からもニュージーランドからも救援隊が来ています。四川やクライストチャーチを日本人が助けに行きました。別にお返しを期待して救援したわけではないですが。
 でも、こういうのが「情けは人のためならず」だと思います。

 「同情するのは相手のためにならない」という意味だと間違っている人が多いというこのことわざ。もちろん、「他人を手助けすれば、いざ自分が困ったときにも助けてくれる」という意味です。

 東京の人間は、ものごころついた時から、いつか東京で大地震が起きると言い聞かされてきました。まだ起きない。でも、やはりいつかは必ず起きるはずです。そう思っています。
 その時は、全日本、全世界から救援に来てくれると、心から信じています。
 だから、今回も「情けは人のためならず」。 
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大地震と学校

2011年03月13日 01時00分40秒 |  〃 (震災)
 毎日更新中のブログは、中途で挫折!しかし、やむを得ません。

 11日は、もちろん学校にいて、生徒約100人ほどと朝まで避難していました。都立高校は避難ステーションになり、終日お仕事でした。

 12日、帰ってみると、本棚が倒れ、部屋が大変なことになっていました。
 「帰って、寝て、夕食食べて、本を片付けて、お風呂に入って、ナウ」です。

 しかし、学校にいる時で良かった!! 帰宅途中だったり、休暇や出張で出ていたら、大変なことになっていました。まあ、地震が起きる時間は自分で選べませんが。

 もちろん、地震当初は数時間で交通機関が復旧すると思っていたので、朝まで無理らしいとなったときは、えええっって!感じでしたが。でも、今から考えると、政府や都の「職場で待機方針」が素早く出て、正しかったということです。

 地震当時は生徒数人と職員室でおしゃべりしていました。揺れ始め、小さな揺れが長いので、遠くて大きいなと感じましたが、その後東京でも相当大きな揺れになりました(震度5弱)。過去の地震の記録から、生命身体の危機にはならないとわかっていたので、落ち着いていました。
 でも、今まで経験した中で一番長い揺れで、船酔いするような感じでしたよね。

 学校では、プールの水があふれ、時計や本が落ちましたが、大きな被害はありませんでした。
 ただし、生徒が100人ほどいました。
 勤務先は、3部制高校で、朝の部の生徒は(部活動などで数名はいたけど)、あまりいない時間帯。夜の部の生徒も、まだあまり来ていない時間帯。ということで、2部(午後部)中心に、100人ほど、となります。

 学校は、暖房もあり、非常用の毛布や食料もあります
 さらに、3部のための給食もあったので、ずいぶん恵まれていました。学校にいて良かったと最初に書いたのはそういう意味です。

 普段は給食を食べたことのない1・2部の生徒は、携帯電話で写真を取っていましたね。
 小説や漫画の中では文化祭前に泊まり込んだりする場面もあるけど、今じゃ学校に泊まることは許されないから、この段階の生徒には、ある種の「非日常的な興奮」もありましたよね。

 でも、すさまじい被害実態が伝わるとともに、家族ともなかなか連絡がつかない場合も多く、週末の疲れがたまってきたようです。でも、余震が東京でもすごく多くて、寝られなかった生徒も多いようでした。
 東京は外的被害自体はほとんどないのに交通が止まったということなので、アドレナリン出まくり状況にはならないで、ただ疲れがたまるというのに近い感じだったかな。

 勤務先の学校は場所、規模から外部の人の救援はあまり多くありませんでした。もっと規模の大きな高校では一般の人が多数避難にきて、大変な状態で勤務した先生も多かったのではないかと思います。

 一日たって、まだ被害の全貌は見えません。想像を絶する津波被害が出ているのではないかと心配です。学校としても、自分としても、何ができるか考えていきたいと思います。
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