尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

指導力過剰教員

2011年03月29日 20時30分05秒 |  〃 (教師論)
 教員免許更新制というのは、今は文科省は「教員の資質向上」などと言ってますが、もともと自民党右派議員から出てきたときは、「指導力不足教員の排除」が目的だったことは疑いありません。

 この「指導力不足教員」というのは、不思議なことばだなあと前から思ってます。
 「指導力」とは関係ない、教員個々の思想信条(日の丸君が代に賛成かどうかなど)とか、教員個々の問題行動(わいせつ事件、飲酒運転、体罰などなど…)が「指導力不足」という言葉に一面化されている気がします。

 上(教育行政)から見て問題と感じられるものを、皆「指導力不足教員」としてひとくくりにしている感じがします。言うまでもなく、「指導力」と限定をつけるならば、勤務時間終了後に飲酒運転しようが「援助交際」しようが、学校での指導力は優れているという教師だってありうるはずです。

 また、昔のマスコミでこんな先生が増えてると言われた「ヘンな先生」はどうでしょう?生徒と話せない、目を見られない、あげくは自家用車にこもって職員室に行けない先生がいる、などと報じられたこともありました。今では、もう誰でもはっきりわかると思います。これらの先生は「心を病む教員」だったのだということを。だから、このような、一見指導力不足教員に見える先生は、排除の対象ではなく、支援の対象だったのです。
 (ところで、障がい者雇用比率が全国でもっとも少ない職場の一つが「教育界」なんですよね。)

 「上から目線」で眺めれば「指導力不足教員」が問題に見えるかもしれません。
 しかし、生徒の声が聞きとれる人なら、指導力不足教員と言われかなねない先生は確かにいるかもしれないけど、それらの先生は学校現場でそんなに問題じゃないことがわかると思います。
 生徒にとって、いつもトラブルのは、「指導力過剰教員」(©尾形)なんですよ。

 「指導力過剰教員」は、多くの生徒にとってはいい先生です。指導力がありますから。熱心に指導してみんなついていきます。しかし、全員はついていけません。先生はすぐれているので悪くない、とついていけない生徒は自分を責めるし、先生本人もダメな生徒と見てしまいます。口にはしないかもしれないけど、なんでこんなことができないんだという態度がつい見えます。

 「指導力過剰教員」こそ、ホントに問題なんじゃないかと思うんですけどね。
 じゃあ、どうすればいいのかというようなことは明日に。
コメント (1)
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