尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

卒業式の思い出

2011年03月20日 22時37分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日予告した卒業式についての話。

 いつの頃からか「卒業証書授与式」が本当の名前なんだなどという人が出てきました。でも、学習指導要領だって、例の「国旗掲揚、国歌斉唱」条項のところでは「入学式や卒業式においては」と書かれています。「卒業式」がホントなんですよ。
 いや、校長が授与する式典なんだなどというエライ先生が増えてきたころから、学校がヘンになってきたような気がします。卒業式は、卒業する生徒を教員・保護者・在校生でお祝いする会ですよね。

 今まで、卒業生を担任した学年では、いずれも入学から卒業まで関わってきました。これは今では、実に奇跡的に珍しいことではないかと思います。

 中学で2回、全日制高校で1回、夜間定時制高校1回、そして現任の単位制定時制高校です。
 今いる高校は、何回と言いにくい。9月末の半期卒業という珍しい制度もあって、卒業生呼名をしたのは4回ですが、同じ入学年次の生徒ばかりだから、合わせて1回みたいな感じもしてます。

 やはり思い出に残るのは若い頃の卒業式です。特に最初の卒業生の時は、クラスで「今日の日はさようなら」なんて歌ったんだよね。今じゃ考えられない。高校が決まってない生徒がいて、2次募集の発表が卒業式当日。ホームルーム中に合格の知らせがあったのをクラスに伝えたのが忘れられません。

 2回目の卒業式は父親の死の直後で、特に思い出深いです。生徒の自主的活動でいろいろな行事を成功させてきた学年で、卒業式でも「大地讃頌」を合唱したり、「歓喜の歌」を原語で歌ったりしました。この中学の時は文集作りが盛んで、特にこのときの卒業生文集は素晴らしいできでした。

 その後、高校に移り、商業高校の卒業式。このときは素晴らしい色紙をもらったっけ。
 そして夜間定時制高校では、高齢の生徒や外国籍の生徒が何人もいて卒業していきました。

 でも、一番感激した卒業式は、今の高校の2年前。今までは学校の種類は大きく違うけれど、学年制という点では共通。クラス、学年の生徒はほぼ全員一緒に卒業する。(いや高校ではずいぶん退学、留年していったけれど。)単位制だと、入学が一緒でも卒業が違ってきます。
 自分で単位を積み上げて、卒業まで至る道のりの重さが、今までの学校と違いました。

 今の学校でも卒業にあたり文集を作りました。このとき生徒たちが一番参考にしたのが、先に書いた中学の文集でした。時間を経て、僕の卒業生がつながっていって本当に嬉しかったです。
 その時に3年で卒業できない生徒が次のように書きました。

 崖っぷちにたっても諦めずにここまでこれたのは/支えてくれる仲間達がいたから
 『一緒に頑張ろ』と手をさしのべてくれて/
 諦めかけた自分を引っぱってくれたから 今自分はここにいる。
 みんなと過ごした3年間は最高の時間でした。/面と向かって素直に言えないけど
 精一杯に気持ちを込めて・・・・ありがとう!!

 これ書いた生徒は、5年かけて今年卒業しました。おめでとう。良かったね、ほんと。
コメント (1)
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