尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

NAMES ある歌の話

2011年03月15日 21時02分10秒 |  〃 (震災)
 前にも書きましたが、「人権」という授業を担当してきました。
 その中で、「NAMES」という歌をよく紹介しました。
 キャシー・フィンクというアメリカの歌手が作り、日本では高石ともやさんが訳詩をつけて歌っています。(「高石ともやのファミリーフォーク12曲集」というCDに入っていますがが、現在は入手できないようです。)

 アメリカで「HIV」による死者が急増した時代、メモリアル・キルト運動の中で歌われた歌です。

 1番は「エイズで倒れた者への追悼」の歌詞ですので、今は2番と3番を紹介します。
  (詞 Cathy Finc 訳詩 高石ともや)

 恐怖が世界に広がるときはいつも
 ひと(人類)は手をつなぎ たたかった
 いま新しい時代に 新しい勇気を
 手をつなぐ輪よ 大きくなれ

   誰にも言えずに 悲しかったかい
   恐怖は……どんなだったろう
   君のいのちを 数でかぞえないよ
   名前で呼ぶんだ
   同じ時代を生きた者同志

 恋人、先生、親、きょうだい
 なつかしい その名を呼べば
 生きてる私を ささえるように
 あなたの名前が 私を見つめている

   誰にも言えずに 悲しかったかい
   恐怖は……どんなだったろう
   君のいのちを 数でかぞえないよ
   名前で呼ぶんだ
   同じ時代を生きた者同志
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「TSUNAMI襲来の悪夢」

2011年03月14日 20時43分26秒 |  〃 (震災)
 ニュースで見た今回の大津波。どこかで見たような記憶がありました。スマトラ沖大地震ではなく。
 思い出しました。NHKスペシャルです。4回連続の特集「巨大地震」。その4回目が「TSUNAMI襲来の悪夢」でした。奇しくも放映日は、2010年3月14日。まさに1年前の今日でした。

 そのシリーズの紹介は、以下のHPで見られます。http://www.nhk.or.jp/megaquake/p_schedule.html

 コンピュータ・グラフィックで作られたその映像は、恐るべきものでした。
 が、10メートルにも及ぶそのような津波を実際に目にすることは、自分の人生の中ではないだろうと信じ込んでいました。

 東京は直接の被害は少なかったです。(それでも東京都で7名の方が亡くなっています。普段なら大ニュースです。)しかし、交通がストップし、今日もかなり停電、節電対応で混乱しました。学校は休校です。首都圏の生産、消費、また「首都」としての機能がかなりダウンすることが避けられません。

 東日本の経済活動の大幅な低下。まさに「国難」という事態がはっきりしてきました。

 そこに、福島原発の異常事態。チェルノブイリ原発事故のあと、日本中で反原発運動が盛り上がりました。日比谷野外音楽堂で行われた集会や、その後のデモに参加した思い出があります。1986年。今の高校生はまだ生まれてません。民主党政権になっても続いた原発輸出政策に違和感も持っていました。しかし、「だから言ったじゃないか」という言葉は飲み込み、冷静に事態の推移を見守りたいと思います。

 今日は暖かったですが、また冷えてくるようです。東北は雪も予想されています。暖房もないまま避難所で家族との再会を待ちわびている多くの人がいます。
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情けは人のためならず

2011年03月13日 22時08分23秒 |  〃 (震災)
 今回の大震災、マグニチュード9.0.日本で最大。1世紀に5回ほどしか起こらない規模。

 東日本の太平洋岸の被害は、未曽有の規模であることがはっきりしてきました。
 正直言って、このような規模の地震がこの地域で起きることは誰も予想していなかったのではないでしょうか。北海道から東北沖は今までも地震は起こっているし、一方、関東・東海・南海地域はしばらく大地震が起こっていません。

 阪神・淡路大震災は都市直下型で、だからこそ高速道路が倒壊したりしました。それも大変でしたが、今回は県庁所在地からも遠い地域で、救援にもなかなか行けない恐れがあります。

 阪神の時は関わっている団体のボランティアを手伝いに行きました。もう何週間か経っていましたが、新幹線は大阪どまり。でも阪神を乗り継いである程度近くまでいけました。
 
 今回は、被害者数、倒壊家屋数では測れない、恐るべき惨状が予想されます。もともと大都市で人口が多かった、家も多かった神戸と違い、今回の三陸沿岸の町ではほとんど都市地域自体がなくなってしまったかのような映像が放映されています。戦争の写真でしか見たことがないような光景です。

 地域社会の復興には、阪神大震災以上の時間と資金がかかることを予想しておかなければならないでしょう。

 現時点では、直接できることは少ないと思います。節電の協力と資金援助。あとは専門家に任せる段階です。

 内田樹さんがブログで述べているように、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」が現状でわれわれが心がけるべきことだと思います。
 
 あと二つ、あえて付け加えると、「自信をもって」と「情けは人のためならず」。

 東京でも結構揺れたのに、被災地を含め、学校が倒れて生徒が多数死んだとか、役場が倒れて行政機能が止まったとかの例は聞きません。手抜き工事はなかったわけです。
 あたりまえだけど、略奪とかもどこでも起こらない。あたりまえです。でも、それが新鮮に見える社会もあるわけです。

 人間は生まれ育ったところが、やはり一番懐かしい。時間がかかっても、必ずや町の復興は成し遂げられるはずです。そう言い切れるのが、それが災害とともに生きてきた日本人の誇りだと思っています。

 今、中国からもニュージーランドからも救援隊が来ています。四川やクライストチャーチを日本人が助けに行きました。別にお返しを期待して救援したわけではないですが。
 でも、こういうのが「情けは人のためならず」だと思います。

 「同情するのは相手のためにならない」という意味だと間違っている人が多いというこのことわざ。もちろん、「他人を手助けすれば、いざ自分が困ったときにも助けてくれる」という意味です。

 東京の人間は、ものごころついた時から、いつか東京で大地震が起きると言い聞かされてきました。まだ起きない。でも、やはりいつかは必ず起きるはずです。そう思っています。
 その時は、全日本、全世界から救援に来てくれると、心から信じています。
 だから、今回も「情けは人のためならず」。 
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大地震と学校

2011年03月13日 01時00分40秒 |  〃 (震災)
 毎日更新中のブログは、中途で挫折!しかし、やむを得ません。

 11日は、もちろん学校にいて、生徒約100人ほどと朝まで避難していました。都立高校は避難ステーションになり、終日お仕事でした。

 12日、帰ってみると、本棚が倒れ、部屋が大変なことになっていました。
 「帰って、寝て、夕食食べて、本を片付けて、お風呂に入って、ナウ」です。

 しかし、学校にいる時で良かった!! 帰宅途中だったり、休暇や出張で出ていたら、大変なことになっていました。まあ、地震が起きる時間は自分で選べませんが。

 もちろん、地震当初は数時間で交通機関が復旧すると思っていたので、朝まで無理らしいとなったときは、えええっって!感じでしたが。でも、今から考えると、政府や都の「職場で待機方針」が素早く出て、正しかったということです。

 地震当時は生徒数人と職員室でおしゃべりしていました。揺れ始め、小さな揺れが長いので、遠くて大きいなと感じましたが、その後東京でも相当大きな揺れになりました(震度5弱)。過去の地震の記録から、生命身体の危機にはならないとわかっていたので、落ち着いていました。
 でも、今まで経験した中で一番長い揺れで、船酔いするような感じでしたよね。

 学校では、プールの水があふれ、時計や本が落ちましたが、大きな被害はありませんでした。
 ただし、生徒が100人ほどいました。
 勤務先は、3部制高校で、朝の部の生徒は(部活動などで数名はいたけど)、あまりいない時間帯。夜の部の生徒も、まだあまり来ていない時間帯。ということで、2部(午後部)中心に、100人ほど、となります。

 学校は、暖房もあり、非常用の毛布や食料もあります
 さらに、3部のための給食もあったので、ずいぶん恵まれていました。学校にいて良かったと最初に書いたのはそういう意味です。

 普段は給食を食べたことのない1・2部の生徒は、携帯電話で写真を取っていましたね。
 小説や漫画の中では文化祭前に泊まり込んだりする場面もあるけど、今じゃ学校に泊まることは許されないから、この段階の生徒には、ある種の「非日常的な興奮」もありましたよね。

 でも、すさまじい被害実態が伝わるとともに、家族ともなかなか連絡がつかない場合も多く、週末の疲れがたまってきたようです。でも、余震が東京でもすごく多くて、寝られなかった生徒も多いようでした。
 東京は外的被害自体はほとんどないのに交通が止まったということなので、アドレナリン出まくり状況にはならないで、ただ疲れがたまるというのに近い感じだったかな。

 勤務先の学校は場所、規模から外部の人の救援はあまり多くありませんでした。もっと規模の大きな高校では一般の人が多数避難にきて、大変な状態で勤務した先生も多かったのではないかと思います。

 一日たって、まだ被害の全貌は見えません。想像を絶する津波被害が出ているのではないかと心配です。学校としても、自分としても、何ができるか考えていきたいと思います。
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教師の勉強ってなんだろう?

2011年03月10日 20時32分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教師はもっと勉強せよという人がいます。いや、まあ、それはそうだと思います。
 でも、教師の勉強って何をすることなんだろう?
 
 自分の教える教科の知識を増やすこと?
 生徒を笑わせるテクニック?
 生徒の心を開くためのカウンセリングの方法?
 生徒の上をいくパソコンの知識技量?


 それとも、まずは「常識を身につけろ」とか「生徒の心がわかる人間になれ」とか言われるかもしれませんね。

 これらは、校内で行う「研修」で得られるもの、大学や研究会等に参加して得られるもの、自分で本を読んだり体験して得られるものなどさまざまだと思います。

 教員の世界では、今「団塊の世代」が大量退職していく中、大きく世代交代していく時代です。しかし、学校の自主的な力量、「現場力」をつぶしすぎてしまったので、「先輩教師の技を盗む」という伝統的な職人気質だけでは学校が持たなくなっているのは事実でしょう。

 だから、文科省は2002年に教育公務員特例法を改正して、「10年経験者研修」を制度化しました。細かく書きませんが、かなりの時間数の校内外の研修が課せられています。

 この「10年研修」もどうかと思う面が多いけど、校内で研究授業をするわけだから、一定の効果は見込めます。ただ大学行くよりいいでしょう。かわいそうなのは、25歳で教員に採用された人。「10年研修」は廃止されなかったので、35歳の時に「10年研修」と「教員免許更新講習」の両方がかぶってきます。

 「10年研修」って知ってましたか?東京じゃ「20年」「30年」の研修もありました。(さすがにそれは廃止。)10年ごとに勉強するという仕組みはすでにあったじゃないの?どうして、それじゃダメ?

 僕が思うには、今も昔も教師(だけでなく、リーダー一般)に一番求められるものは、生徒に向き合う時の心のゆとりさまざまな体験の積み重ねからにじみ出る人間としての力、などではないでしょうか?
 これらは簡単に得ようとしても得られないものでしょう。
 こういうものは、文科省や教育委員会が命令的に行って効果があるというものではないと思います。

 むしろ学校で生徒や同僚と苦労を重ねながら、失敗もありながら、様々な感激を積み重ねる中でしか得られないものだと思っています。
 
 真に、学校の教育力をアップさせるための「教員の資質向上」とは何か?まだこの問題は考えていきたいと思います。
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東京の社会科見学

2011年03月09日 20時55分36秒 |  〃 (教育問題一般)
 前に今年は6つの科目を担当したということを書きましたが、実はそれは正確ではありません。もう一つ、「総合研究」という授業を担当していました。これは夏、秋、冬と3回に分けて3日間、計9日間普段と違う講座を開設する「短期集中講座」です。単位制高校なので他の高校にはないようないろいろな授業があるのです。

 今年は「東京の社会科見学」というテーマで行いました。この講座が面白かったです、と最近複数の生徒から反応がありました。うれしかったです。

 赴任当初は「映画研究」という講座を開設しました。趣味を生かし、夏は涼しく冬は暖かい視聴覚室で世界の名画を見せようという企画。
 自分が若い時感動した映画でも今は受けない映画もありました。「アメリカン・グラフィティ」や「イージーライダー」なんかは少し古い感じでした。僕の選ぶ映画はみんな面白いという生徒もいる反面、学校でやる映画じゃないと怒る生徒もいたりして。(「フル・モンティ」という映画。)
 3年間やって最後は思い切りアートシネマ路線で、キネマ旬報ベストワン作品のみやると宣言。でも、あまり関心のない生徒もどうしても取ってしまうので、なんか難しかった。

 ということで、去年から東京の歴史探訪というテーマ。でも探訪すると夏暑く冬寒いので、少し施設見学を増やそうと、今年は社会科見学にしました。

 今回は、全部無料施設を選んだところに、生徒の懐を考えた苦心のしどころがありました。
 裁判傍聴や、日銀参議院なんかもあるけど、ほかのおススメ施設を少し紹介しておきます。

 まず、「しょうけい館」。九段下にある戦傷病者資料館。水木しげるが注目される今こそ、一度是非。 http://www.shokeikan.go.jp/ 
 「アド・ミュージアム」。汐留にある電通の博物館。昔のテレビCMがいっぱい見れて飽きないです。山下達郎「クリスマスイブ」当時のJRは自動改札じゃなかったんですね。

 「江戸城」。これは「皇居東御苑」です。江戸城の天守閣跡、大奥や松の廊下跡などが見られることを知らない方が多いと思います。東京人は一度は江戸城へ。

 それより何より、東京にあるモスク「東京ジャーミイ」が素晴らしかったです。代々木上原駅すぐ。素晴らしく美しく祈りに満ちた空間でした。でも、ミニスカートで行った生徒は上から長いスカートを履くようにお願いされました。用意があるのです。それも含めて異文化体験、一度は。
 http://www.tokyocamii.org/#giris

 まあ、そういうところもいいんだけど、スカイツリー建設を見に行ったり、最後は銀座で日本地理学習と称して、物産館めぐり。ちょっと買って、学校に戻って簡単に交歓会。いや、ご存知の方も多いと思いますが、有楽町駅前交通会館やその近くだけで、北海道、沖縄、高知、鹿児島、熊本、山形、秋田、富山、和歌山など多数のアンテナショップがあります。まさに、日本の各地方の豊かさを実感できるし、日本地理の一番の勉強になると思う。なんかそういうのも楽しかったよね。
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校長は教員免許がなくてもできるのに。

2011年03月08日 20時45分35秒 |  〃 (教員免許更新制)
 「講習」と「研修」の違いがよくわかってない人が多いと思います。
 僕が、教員免許更新講習を受けてないというと、校長や教育委員会に逆らって頑張って(または孤立して)いるように思う人も多いようです。
 教員免許の研修、どうしたの?などと聞かれることもあります。

 だから、「研修」じゃないんだって!「研修」は教育公務員特例法にある「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」に基づくものです。教員の権利であり、義務

 義務だから、任命権者(教委)や所属長(校長)に研修命令を発令されたら、基本的には拒否できません。逆に言えば、拒否したら処分されるだろうから、処分取り消しの裁判ができます。

 教員免許更新制は、その研修ではなくて、自分の私的な資格を更新するための「講習」とされました。自動車免許更新の時にも「講習」があるけど、それと同じだとされたわけ。私的な資格の更新だから、校長や教委の命令で行うものではないということ。

 だから、校長先生に逆らっているわけではないんです。(文科省には逆らっているのかもしれませんが。)

 しかし、この制度の考え方自体がやっぱりおかしい。教師の教員免許、あるいは医者の医師免許、その他その資格をもって仕事をしている場合、単なる私的資格ではないでしょ。それがその仕事の基盤をなしているんだから、もし更新制度をやるなら、免許を出してる都道府県教育委員会が責任を持ってやるべきです。

 ということで、講習を受けないでいてもいいけど、そうするとある日突然、教員免許がなくなり、そうすると「失職」する。教員免許がなくなるだけで、地方公務員であることは変わりなさそうですが、つまり教員以外の免許がなくてもできる仕事に回れてもいい感じがするけど、そうではなくて、地方公務員の資格もなくなるんだって!そして、退職金も出ないんだって
 これ、ありうるんですか?なんか、絶対憲法違反のにおいがするんですが。

 と思うんだけど、一切の処分がなく、私的な資格がなくなっただけということなんで、処分取り消しの裁判を起こしにくいんです。

 教員免許って、そんなに大事なんですかね
 そんなに大事なら、なんで民間人校長っているんだろう?校長先生になるのに、教員免許はいらないんですよ。医者や弁護士と違って、仕事を独占する資格でもありません。医者じゃない人が医療行為をすると違法行為ですが、教員免許がない人が塾を開いても問題ありません。大学や予備校で教えるのにも教員免許はいりません。今、進学指導は予備校に学べなんて、教委側がいう時代なのに。

 と思ったりするわけです。
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教員免許更新制のおかしさ

2011年03月06日 20時36分04秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制度反対のブログのはずだから、今日はその話を書きます。
 この制度は多くの問題があると思いますが、前に書いたように制度の細部あれこれ以前に、制度の考え方自体が間違ってます

 更新講習を自分で見つけて、自費で受講して合格し、自分で手続きして更新しないと、失職する

 これが教師をバカにした制度だとわからない人がいる。官僚や政治家にいるだけでなく、教師自身にもいます。10年以上面倒くさい縛りばかり強くなって、頭を低くして、定年まで嵐が過ぎ去るのを待つしかないと思ってしまった先生たちです。
 慣れてしまったんです。自分の意見は教育行政に通らないということに。

 じゃあ、そういう「おどし」みたいなやり方で勉強させることを、教師自身はやっていないかって?
 やってますよ、もちろん。
 定期テストの成績が悪く、提出物や出席も悪い生徒がいたら、このままでは「1」になるよと言って、課題や補習や追試を行うことは高校ではよくあります。(今回もやった。)
 
 しかし、それは「そうされても仕方ない生徒」だからです。みんなチャンスを与えられたことに安堵し、一生懸命取り組んでいますよ。(つまり「おどし」じゃなくて「チャンス」だったわけ。)

 だけど、いつもちゃんと出席し、テストも90点くらい取ってた、そういう生徒が今までの点数は無視されて、「最後のレポート出さなきゃ、全員1」って言われたら、どうですか?
 (しかも、この課題提出は有料なんだよね。)

 じゃあ、今までのテスト頑張ったのは何だったの?普段の勉強なんてどうでもいいんですね。最後のレポートだけが重要なんだ、バカにするなよって思うんじゃないですか?

 つまり、研修せよとか、大学行って勉強せよとかいうなら、そういう制度があってもいいですよ。
 でも、それはペナルティ型ではなく、それをやったら昇給の条件になるとか、ボーナス型でなければ、効果はない、というか逆効果なんです。

 教師の大部分は、管理職でも組合のリーダーでもない。指導力もまあ、特に優れてもいないし、特に問題もない。特に問題もおこさず、普通に仕事している、大部分の「指導力フツー教員」にとって、なんで講習受けないと失職するかがわからない。

 普通に問題なく仕事してただけでは、なんでダメなの?

 こういう制度ができると、普通に仕事で頑張ることの意味が失われるのです

 今、社会の変容、教育界の変化の大きさに教師は戸惑い、疲れています。デジタル・ネイティヴ世代の若い教員もいるけど、数は少ない。50代以上の教師は、慣れないパソコンで書類作りばかり奔走させられ、新しい要求が行政からどんどん増え、生徒も変化してきて…。まあ、それらは何とか我慢して頑張るけど、教育行政がバカみたいな政策ばかり打ち出し、ほとんどキレかかっているんじゃないでしょうか?

 もうバーンアウト(燃え尽き)寸前の教員が多いと思います。
 この、教師はバーンアウト寸前という現状認識があれば、免許更新制なんて言わないはずです。
 だって、いやいややっても効果ないからです。むしろ、疲れて逆効果。

 ところが、この制度に賛成の新聞社もあるんですよね。別にいろいろな意見があるのはいいですけど、だったらまず自社にもそういう制度を作ってほしいです。
 私的企業だから、法律はいりません。自社で導入すればいいだけ。

 新聞記者は10年ごとに、自費で大学で講習しないとクビという制度です。そうすれば新聞記者の能力がアップして、やる気出すはずですから。

 
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多忙な一日

2011年03月04日 21時28分16秒 | 自分の話&日記
 教師は多忙だと最近よく言われます。その通りだと思いますが、その原因やあり方は、各校様々なのではないかと思います。
 今は学年末だから、学校はどこも忙しいはずです。しかし、これはどんな仕事にもある「〆の季節」ということなんだろうと思います。

 しかし、まあ、今日は半端じゃなく多忙だったなあ。
 まず、勤務校は今日が後期入学者選抜の出願日。朝から1時間半くらい、寒い中「誘導」の仕事。
 
 その後、ひたすら、成績を出していました。
 勤務先は3部制の単位制高校。卒業予定者も含め、3月3日、つまり昨日までテスト期間。
 この間、テストしない総合科目(が、ある学校なのです。)は授業をやります。
 今年は、世界史、地理、現代社会、人権、歴史探訪、新聞の読み方、と6つも担当してます。

 で、「点票提出」は7日(月)の21時。(3部制なので21時。)
 点票提出とは、成績を出すことです。学校用語ですね。勤務校では時間割が生徒個々で違うので、出欠や成績はすべてパソコンに打ち込んで完了します。紙にも書きます。成績処理用パソコンは4台しかないし、人間のやることだから、打ち間違いがないわけはなく、その確認作業が大変。

 しかし、昨日までテストやってて、月曜に成績処理締切ですからね。忙しいはずだよね。

 その間、生徒が来て、ホームルーム、答案返却。面談や補習やロッカー片付け。ロッカーを片付けないと新入生が入れない。卒業予定者のロッカー整理は、多くの高校でものすごく大変な仕事だと思います。(何度も指導して、持って行かせてますが、完全は無理。)

 さらに、単位制なので、来年もいる生徒の時間割登録。連絡がつかない生徒への電話。
 学費の督促。

 えっ、学費?とお思いかも。高校授業料は無償になったのでは?
 その通りなのですが、全日制3年、定時制・通信制4年までが無償なのです。勤務先は単位制で6年まで在学を認めています。単位制の定時制高校には、経済的にも健康的にも大変な生徒がたくさん通学しています。大変な生徒ほど5年、6年かかってしまいます。(もちろん、減免制度もあるけれど。)
 ということで、5年目の生徒の担任なので、授業料の連絡もあるわけです。で、連絡がつかない家庭も多いのです。だから、折々に電話したり、手紙書いたり。

 単位制高校は卒業式が遅いです。しかし、あと2週間になりました。
 卒業を迎える生徒も、気分が卒業モードになってきたみたい。そういう「別れの思い」が学校に満ちてくる季節です。

 進路を決めて晴れ晴れとした顔で出て行ってほしいのですが…。
 そういえば、昨日、トライアル雇用ですが、1人、就職が決まりました!!
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免許更新制度は、「職の尊厳」を損ないます!

2011年03月03日 20時58分34秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制度は、「教員免許取得者全員(現に雇われている教員ではない)に、講習を修了して更新を申請しないと免許自体が失効するという制度です。職の前提となる資格自体が失効するという前例のない制度です。

 講習は一部の大学しかやっていません。教員免許自体はかなり多くの大学で取得できますが、教職講座を開設している大学に、更新講習を開設する義務はないので、多くの教員は自分の出身校で講習することはできません

 教員免許は、教職課程修了大学がある都道府県教育委員会の発行です。しかし、かなり多くの教員は、免許取得教委と務めている都道府県、そして住んでいる場所が違っています。まあ近県ですめばいいですが、北海道の大学で教職を取り、東京で採用された人なんてどうするんでしょうか?

 また、当然のこととして、離島の教員は大変に困るでしょう。インターネットで講習できる講座もあるけれど、実際に聞き、体験する講習を受けることは、なかなか困難でしょう。
 
 生活指導が大変な困難校夏休みも部活指導が盛んな学校の部活顧問なども困ります。何校か掛け持ちで、非常勤講師を続けながら常勤を目指している教員産育休代替などの常勤でない教員も、労働条件が悪いのに講習を受ける必要があります。

 要するに、熱心な教員、困難な環境の下で働いている教員ほど、負担が大きいのです。

 こういう制度設計になっているのは、教育の場で問題が起これば、それが制度の問題や教育予算の問題でなく、教員自身の資質にあるという発想があるからだと思います。

 「新自由主義」の発想に基づくものでしょう。
 
 しかし、資格というのは、勉強した証です。後から失効するような性格のものではありません。禁錮以上の刑事罰を受けるほかは失効しないというのが、多くの資格の今までの決まりだと思います。

 こういう制度を許したら、他の資格にも広がりかねません
 
 要するに、教員免許更新制が、一つの前例になりかねません。
 これが僕の一番恐れることなのです。

 資格を持って働くすべての人へ
  この制度は職の尊厳への冒涜です。
   次に狙われるのは、あなたの資格です。

 真面目に仕事をしていれば、常にちゃんと勉強しています。
  今さら現場を知らない大学で講習を受けても役に立ちません。

 失効を恐れて、脅しでやらせる講習は、教育現場になじみません。
  困難な環境で働く、条件の悪い教員ほど困る制度です。
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「人権」の最後の授業

2011年03月02日 21時27分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 教員免許更新制という、とことん教師という職をバカにした制度にガマンできず、講習を受けなかったため、勧奨退職することになる現職高校教員。

 今後の日々を綴りつつ、教師自身にもあまりよく知られていないこの制度の悪質さをアピールしていきたいと思っています。(ニュースや本、映画なども書くと思うけど。)

 さて、1955年生まれ。55歳の都立高校教員。55年体制」発足の年に生まれ、60年代には早すぎ、バブルには遅すぎ、教員免許更新制には第1回に当たってしまった年回り!

 何かと多忙で遅れてしまったけど、今日は、父親の命日。もう20年かぁ。これも何かの縁かと思い、今日から投稿します。当時は、江戸川区で中学3年の学年主任でした。(父親尾形健次郎は東武鉄道の副社長でした。)

 さて、勤務先は単位制高校なので、「人権」という特色科目を作って、4年。
 今年はハンセン病やホームレス問題、冤罪やセクシャル・マイノリティなどの当事者をお呼びしてお話を聞いてきました。

 今日は最後の「人権」の授業。僕も「カミングアウト」しました。
 ちゃんと聞いてくれて、拍手まであって、ありがとう。僕もちょっとウルウルしました。
 
 単位制なので途中でリタイアする生徒も多い中、30人以上が履修できました!!
 これは誇ってもいいかも。(っていうか、ほんとは募集人員30名なんだけど。)

 でも、来年度登録した生徒の皆さん、ごめんなさい(ちょっと)。
 まあ、折々に来ちゃおうかなとも思ってるんだけど。(転勤じゃないので。)
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「週刊金曜日」」(2・25号)に投稿しました

2011年03月02日 21時10分12秒 |  〃 (教員免許更新制)
 「教員免許更新という悪法」(以下が投稿した文章です。ただし、太字は投稿者)

 本誌2月4日号「悪法大研究」になぜか「改悪教員免許法」が入っていなかった。 
 この法律は、教育基本法改悪をついに成立させた安倍内閣の「遺産」である。この「改悪」により教員免許は10年しか有効ではなくなった。これでは教師は全員「非正規労働者」である。 教師は自費で大学等の講習に申込み、免許を更新しないと「失職」するという。

 私はこの制度を受け入れられず、講習を受けないままに来て、民主党政権に期待をかけたが、もはや無理だろう。なんと、「失職」とは退職金も出ないのだという。やむを得ず「退職」するしかない。

 教師は勉強せよと免許更新制に賛成する意見もあるようだが、2002年の教育公務員特例法改正で「10年研修」が義務づけられているではないか。東京では、さらに20年、30年の研修も行われていた。現場を知らない大学に行くより、勤務先で研究授業をする方が教師の力量アップになる。

 免許更新制だと、低待遇で苦労している非常勤教員や離島の教員、部活や生活指導で大変な教員ほど負担が大きい。大変な思いで頑張っている教員ほど苦労する。生徒と関係が作れない教員には、座学で済むから「10年研修」より楽という変な制度である。しかも管理職や指導主事、主幹教諭は指導層だから受けなくても更新できるという。「何だ、それ」と正直思う。

 講習を受けないと失効するという制度設計自体が、おどしであり非教育的だと思う。大学で勉強して取得して、採用後も問題なく勤務していても、ある日突然資格が失効するという「改正」には怒りを通り越し、信じがたい思いでいっぱいである。

 (下線部は掲載時削除。赤字は掲載では「より」の前にあるが、間違い。次号で訂正の予定。そもそもは原文になかったのですが。)
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