万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

多様性もメビウスの輪戦略?-画一化へと向かう理由

2019年09月30日 19時04分49秒 | 国際政治
今日、インターネットやメディアでは‘多様性’という言葉が氾濫しています。一般的には良い意味で使われており、色彩豊かな未来を人類に約束しているかのような印象を与えています。しかしながら、深く考えて見ますと、多様性もまた、何時の間にか目的地が逆となって全人類を画一化へと導くメビウスの輪戦略であるように思えます。それでは、何故、多様性が真逆の画一化を帰結してしまうのでしょうか。このからくりを解くに先立って、多様性なるもののタイプを区別して見ることとします。

 多様性のタイプの一つは、人種、民族、宗教…といった自然発生的な集団の枠組を残し、既存の集団の独自性を維持・保存することで実現する多様性です。例えば、今日の国民国家体系は、原則として自然発生的な集団を国民の構成枠組とし、各集団が国境線を隔てて地球上で棲み分けていますので、このタイプに分類されます。集団間の違いに多様性の基準を求める同タイプは、集団型多様性と名付けることができましょう。

もう一つのタイプは、個人型の多様性です。個人型の多様性とは、個人間には相違がありつつも、相互に承認し合うタイプです。この場合、社会空間の内部では、上述した人種、民族、宗教といった集団的枠組が、容姿、言語、習慣、信条といった個人の属性に還元されるのみならず、年齢、性別、性格等に至るまで、全ての‘個性’が排除されることなく共存します。個人レベルでの多様性が実現している状態が理想的な社会とされるのです。

それでは、集団型の多様性と個人型の多様性を同時に追求した場合、両者は両立するのでしょうか。実のところ、個人型の多様性を人類の理想として追求しますと、二つのステップを経て人類が画一化してしまうという問題があります。第一のステップでは、集団の枠組の融解が起きます。何故ならば、人類の流動化が激しくなり、各国ともその内部で個人レベルでの多様化が進めば、集団レベルでの固有性、即ち、伝統や民族性は‘多の中の一’に過ぎなくなり、やがて代を重ねるにつれて消滅する運命を辿るからです。この間、異人種や異民族間での婚姻が増加すれば、種としての人類のDNAも画一化して行くことでしょう―身体的画一化―。

そして、自然発生的な集団の消滅と平行して開始される第二のステップとは、政治権力や経済的影響力を用いた言語、習慣、信条を含めたあらゆる要素の画一化です。人が一つの社会を構成するためには、相互のコミュニケーションを可能とするための言語やルールなどの共通要素を要します。一人一人が別の言語を話していては意思疎通はできませんし、共通のルールがなければ争いばかりが頻発します(もっとも、共通ルール造りに中国が主導権を握れば、フェアなルールとは限らない…)。

しかしながら、全ての個人の違いを尊重すると言うことは、同時に、特定の一つに特別の地位を与えてはならないことを意味します。ここでこの路線は、極めて困難な問題に直面するのです。人口数は民族によって違いがありますので、仮に多数決で決めるとすれば、人口の少ない国は既存の国民の人口大国からの移民が持ち込んだ言語やルールに合わせることとなりましょう(その一方で、人口大国に移住する遺民は相対的に少ない…)。あるいは、エスペレラント語の普及には無理がありますので、全ての人々にとって中立的な言語を選ぶとすれば、グローバリズムの波に乗った英語ということになるかもしれません。かくして、社会の共通基盤となる言語やルール等もまた画一化されます。加えて、グローバルなプラットフォーマーとなったIT大手を介して、人々の生活様式や価値観も画一化されてゆくことでしょう。

今日のメディアの風潮を見ておりますと、個人レベルでの多様化を目指しているように思えます。そして、このタイプの多様化の行く先には全人類の画一化が待っているとしますと、人類は、既にメビウスの輪の中に入り込んでしまったのでしょうか。しかも、集団型の多様性を一切認めない、あるいは、消えるに任せるという非寛容な態度は、唯一のイデオロギーを絶対視する全体主義体制と見紛うばかりなのです。多様性を目指しながらその逆の画一性に、そして、自由を求めながら全体主義に辿りついたとき、人々は、はじめてメビウスの輪に気が付くのでしょうか。

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2 コメント

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ネトウヨは画一的 (Unknown)
2019-10-01 04:22:21
 ネトウヨのサイトを見ると、全部、嫌韓、反中、反皇室、反移民、さらに陰謀説だいすき。陰謀説は左翼も一緒だが。
 関電の賄賂(そうだろう)問題でネトウヨは沈黙、左翼は激怒、どちらも画一的。むしろ株価暴落で誰が仕掛けたのだろうと私なら思うが。
 国家は多様であれと画一的に述べられても困るなあ。隗より始めよ、まず自分の主張を多様にして欲しい。嫌韓すれば対馬の人は困るのよ。九州の温泉地も困る。一方、女性たちはコスメ買いにばんばんソウルに行く。何しろ飛行機代が安いから。韓流だいすきのおばちゃんたちを喜ばせているだけ。
 オイラはインド映画を見ている。ハリウッドより面白い。チャイナの映画も面白いらしい。何しろ紫禁城をセットで作る国だから。
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Unknownさま (kuranishi masako)
2019-10-01 09:16:37
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 物事に対する意見や見解の相違ではなく、本記事では、マスメディア等が推進している’多様化’というものの問題点を扱っております。なお、個々人の間ではなく、一人の人の内面において意見の多様化を求めるならば、それは、全ての人々に統合失調症になるように要求するようなものなのではないでしょうか。
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